どうして、と叫んだところで変わらない
最近はイシュタリアも大人しい。近づいてもこないし、視線をチラチラと寄越すことも減ってきた。
「はぁ、ひと段落」
「ルミィ、ひと段落じゃないよ。そこの単語の綴りが違う」
「あれ?……あ、ほんとだ」
「ルミナスごめん、そっちにある辞書貸してー?」
「ん?あ、これね。はいどうぞー」
左右をがっちりとガードされた状態が、ルミナスの日常になりつつある頃、相も変わらず自習室でアリューズ、アリアのいつもの仲良し三人で課題に取り組んでいた。
少しずつではあるものの、基礎から応用の内容へと進みつつあるし、予習復習を逃してしまうと置いていかれそうになる。
入学して早一年。学園で学べることの多さもさることながら、人間関係も広がった。人伝に過去問題をもらったりして、テスト対策をし始めたりもしているが、根本的なところを祖母に鍛えられていて良かった、と思う反面、聞きなれない単語はどうしてもスペルミスをしてしまうルミナス。
だが、そんなルミナスのスペルミスに関して、自分の手元しか見ていないように見えるのに、アリューズは的確にそれを指摘する。
「(アリューズ、ルミナスに関してはほんっっっっとに溺愛が凄いのよねぇ)」
アリアは内心呟き、いそいそと勉強しているルミナスに視線をやる。
さらさらの髪、綺麗な目、肌も綺麗だしキメが整っている。
貴族特有の傲慢さだってないし、それはアリューズも同じく、だ。
この二人だから友達になれたんだよなぁ、とアリアはしみじみ出会いに感謝する。
そして、アリューズとルミナスに関しては学院を卒業するくらいに結婚してくれないかなぁ、とも思っている。ちなみに、思っているのは勝手にだ。
何せこの二人、見ているこちらがほっこり通り越してむず痒くなるような、イチャイチャっぷりを無自覚で発揮してくれる。女子だけで話している時にルミナスにそれを言うと、本人は無自覚なようで、『……?』と可愛らしく首を傾げているだけだった。
その場にいた女子生徒全員、『アンタはそのままでいなさい!』と絶叫に近い悲鳴を上げたのは一度や二度では無い。
「アリア、なぁに?」
「んー、何でもない。ルミナス、そのままでいてね」
「へ?」
「ルミィに何言ってるの、アリア」
「私の親友は可愛いなぁ、って思ったからこそ、変わらないでいてほしいな、っていう欲望があるのよ、アリューズ」
「はぁ」
あぁ、なるほどね、と呟くアリューズは、黙っていれば大変イケメンだ。
告白をされているようだが、『婚約者がいて、彼女以外の女性とどうこうなりたくない』と断言して断りを入れているらしい。成人年齢の十八歳まで、まだまだあるというのにどんな断り方だよ、と女子生徒は騒然としたらしい。
そんなこんなで、王太子からの絡みが無くなれば、ここまで平和になるこの三人の学園生活。
課題も順調、学園生活も至って平和。王太子も絡んでこない。
いいや違う。王太子は絡んでこない。
「まぁ、ごきげんよう。ローズベリー伯爵令嬢」
「……ご、ごきげん、よう」
ルミナスの頬がひくりと引きつった。
恐らく、ルミナスが声をかけてほしくない、現時点ではその筆頭候補の、王太子イシュタリアの婚約者にして、サヴィラス公爵家令嬢・リリィベール。
イシュタリアから絡まれることはなくなった、その代わりに、と言わんばかりに、このリリィベールが、大変しつこく絡んできているのだ。
何が悲しくて自分の学園生活を、ここまであれこれ引っ掻き回されなければならないのか。
何か悪いことしましたかね?と、内心で問いかけてみるものの、誰も答えてくれるわけがない。アリューズもアリアも、揃ってげんなりしている。
一難去ってまた一難。
王太子からの接触が避けられた!やったね!と思っていたルミナスは、ある意味また絶望の中へと叩き落とされたような感覚だ。
そもそも、どうしてこの王太子の婚約者様は、この学園に途中編入なんかしてくれたのか。
しかも、どうしてだかルミナスをライバル視している。だいぶ一方的に。成績という意味では、確かにライバルなのかもしれないけれど、なぜ、今、このタイミング!とルミナスは毎回心の中で大絶叫している。
王太子、という死の元凶だって取り払えたというのに、次は公爵家ご令嬢とは、これ如何に。
「(王太子殿下の、婚約者………こんやく、………こん、やく………)」
ルミナスは必死に頭をフル回転させる。こんな奴が自分の人生に関わってくることがあったのか、なかったのか。そもそも、いたとしたら、いつか。
そうして、思い至った。
「……あ」
限りなく小さな声で呟かれたそれに反応したのは、アリューズとアリアだけ。
みるみるうちに顔色を悪くしていくルミナスの背に、アリューズはそっと手を置いて優しく撫でてやる。アリアはさりげなくルミナスよりも体を前に出し、僅かでも良いからと隠した。
「まぁ、ローズベリー伯爵令嬢。今日もお勉強が捗っているようで羨ましいですわ」
「あ、ありがとう、ございます……?」
「うふふ、そんなに緊張なさらずともよろしくてよ。単にご挨拶に来ただけですもの。では、ごきげんよう」
艶やかに微笑み、リリィベールは去っていく。
ガチガチと歯を鳴らして震えるルミナスの様子に、アリューズもアリアも、只事ではないと察するが、ルミナスの顔色は青から土気色に。
「ルミィ……?……お、おい、ルミィ、どうしたんだ!」
「ルミナス!」
リリィベールが去った後で良かった。彼女がいれば、間違いなく騒ぎ立てられてしまったから、と周りの心配をして、ルミナスはアリューズの制服をぎゅう、と掴んだ。
「……ルミ、ナス?」
「……ごめ……ん」
泣きそうな顔で謝罪の言葉を口にしたルミナスは、そのまま椅子から崩れ落ちた。
ルミナス!と名を呼ぶアリアとアリューズの声が、最後に聞こえて、そのままルミナスの意識は、あっという間に暗闇へと落ちていったのだった。




