果たして本当に怖いのは?
拒絶されたのは、きっと初めてのこと。王太子だから、王族だからと自分を遠ざける人なんてほとんどいなかった。
ゆえに、慢心もしていた。謝れば許してもらえるし、何なら勉強も手を取り合いながらやっていけるだろう、と。その考えこそが甘いと言われてしまうような事なのだが、理解していなかった。いや、理解出来ていなかった。
「……見損ないました」
冷たい、母の声。
「イシュタリア、あなたは『謝罪』ということの意味を理解しておりますか?」
「し、して、いま、す」
「だったらどうして、どういう思考回路で、どういった感情から、『謝ってやる』という上から目線になれるのですか」
「…お、王族、だから、その」
「わたくしが産んだから王族ですよ。わたくしが王族に嫁いでいなければ、そもそもお前は王族ですらないというのに」
「あ、の」
「…情けないこと…」
ぐ、とイシュタリアは黙り込んでしまう。
謝ろうとは試みたのだ。だが、できなかった。
それこそ、イシュタリアがルミナスに嫉妬しているからこそなのだが、本人がそれを理解しないし認めようともしない。
「よろしいですか」
静かに。冷静に。
だが、怒りを宿した声で、王妃はゆっくりと口を開いた。
「お前がやったことがどれだけ最低か、理解させるために同じことをしてあげましょうか?」
「…え」
「言ってもきかない、響かないのであれば、同じことをしてからどれほど辛いのか理解させるしかないでしょう」
イシュタリアが今までルミナスにやってきたこと。
暴言こそ吐いていないが、すれ違いざまに睨む、舌打ちをする、ルミナスが話していれば忌々しげに溜め息を吐く。
それらをやられる、しかも自分の母親に。そんなこと嫌すぎる!と慌てて抗議しようとして立ち上がり、はっとようやく気付いた。
「………………あ」
自分がやられることを想像して初めてルミナスの気持ちが分かった。
やられたくないことを、よりによって同じ学院のクラスメイトにしてしまったのだ。今でこそ、傍付きが代わったことによりやらなくなっているが、あれやこれやのフルコンボをかましてしまっていたことに変わりは無い。
「い、いや、です」
顔面蒼白になって、それだけ告げるが母は淡々と告げた。
「人に対してやったのだから、やり返される覚悟があってやったのでしょう? …何をあまっちょろいことを…」
「い、いやだ! ごめんなさい母上!」
「謝る相手が違うでしょう!!!!!!」
「ひっ」
素手で思いきりテーブルを叩かれ、バン!!と物凄い音が響いた。
カタカタと震えるイシュタリアを見つめている王妃の目は怒りに満ち溢れていた。
「守るべき民に対してお前は何という最低なことを…っ」
よく聞いていると、『そなた』だった呼び方が『お前』に変わっている。
母親の顔で、そして自分の息子がやらかしてしまったことに対して本気で怒っているのだ。
王妃としての一面を出していた母からも叱られた。今はイシュタリアを産み落とした『母』として叱っている。
「確かに、王族は簡単に頭を下げてはなりません。ですが、我らが守らねばならない民に対して理不尽なことをしていいというわけではない! それが分からぬか、この愚か者!」
「……っ!」
「分からぬならば……いいや、分かろうとしないならお前が王族である必要はない!」
ここまで本気で怒った母は、初めてだった。
イシュタリアがこれまでやらかしてきたことなど、子供なら誰でもやるような些細なイタズラばかり。比べて、ルミナスにやらかしていることについては、度が過ぎている。
「……イシュタリア。お前がわたくしに謝るのは、怒られて嫌だったから。早く許してほしいから。けれど、よく考えなさい。ローズベリー伯爵令嬢は、こうして一度、思いきり怒られるよりも長い時間、お前の理不尽に苦しめられていたんですからね」
「…………………っ、はい」
「これより二週間、謹慎とします。そしてお前につけていた教師は全員解雇にしましょう。プライドの高さだけ教えるために彼らがいる訳ではないのだから」
「…は、い」
イシュタリアは、がっくりと項垂れた。
それをじっと見ていた王妃は、溜め息を吐いてこめかみをおさえる。
「まだ不満なの?」
「い、いいえ!…あの、ローズベリー伯爵令嬢に、謝り、たくて」
「今はやめなさい」
「…え?」
「トラウマになっていたら、ショックを引き起こしかねないから」
「…っ…!」
今更ながら、更に思い知った。
そこまで追い詰めていた自覚がなかったから、ルミナスの心に与えてしまった負荷の大きさをようやく知る。
「イシュタリア」
「は、はい」
「今ならまだ、あなたは変われるわ。厳しくも、優しく民を導ける王になれるよう…そのために王太子でい続けられるよう、精進なさい」
「母、上」
「気付けて、反省する心があるならばまだ、取り返しができるから」
ぽんぽん、と優しく頭が撫でられる。
は、と思わず息を吐いてからイシュタリアは何度も何度も首を縦に振った。
ほんの少し前まではルミナスへの怒りもあったが、母からの雷は相当堪えたし心に突き刺さるものがあったのだ。
公務で忙しいにも関わらず、きちんと息子である自分と向き合ってくれた母。その想いを無駄にしてはならない。溢れていた涙を袖口で乱暴に拭い、イシュタリアは己の両頬を思いきりパン!と叩いた。
「…謹慎がとけたら、ローズベリー伯爵令嬢に謝ります。許してもらえるだなんて思っていないけど…でも、きちんと、向き合います」
「まぁ、そんなに簡単にはいかないでしょうけど」
「え?」
息子の決意は嬉しいのだが、何せ敵に回した人物が厄介なのだ。
一人はルミナスの婚約者。
そして、もう一人。
「アリア。……アリア・グレイスフォード」
「……ん?」
「グレイスフォード商会」
「…………………あ」
次は、別の意味でイシュタリアの顔色が悪くなった。
「爵位を断り続け、相当な功績があるにも関わらず貴族になることを嫌がっている大商会、その一人娘。両親の商才と、とてつもないカンの鋭さであの歳であれこれ勉強を進めている才女」
アリアを思い出したイシュタリアは、思わず呼吸が止まりかけた。
自分を『敵』と認識した、アリューズとルミナスに対しては決して見せないであろう極寒の眼差し。
「…まぁ頑張りなさい。そなたが許されることを、母は祈っておりますよ」
「は、はい…」
別の意味で顔色を悪くしたイシュタリアは、のそのそと母の執務室から出ていった。
自分の悪い所を直したいという思いは大きくなっていったのだが、それよりもどうにかしないといけない問題に気付いてしまったので、別の意味でそれどころではなくなったのであった。
おかんの激怒って怖いよね、っていう話。




