近寄らないで
ルミナスは、とんでもない頭痛に襲われまくっていた。
原因は、柱や壁からチラッチラとこちらを覗いてくるこの国の王太子殿下。
恐らく、王妃や周りからルミナスに謝れ!と叱られたに違いない。
機会を伺うために観察しているのだろうが、その行動も人目を集めることになり、自分の品位を自ら落とすことになっているのには気づいていないようだ。
「ほんと止めてほしい」
真顔で言うルミナスの頭をよしよしと撫でるアリューズと、隣からぎゅうぎゅうとルミナスを抱き締め、背中をぽんぽんしてくれているアリア。なお、今は自習室で揃って課題をやっている最中だ。
この二人がメインでしっかり守ってくれているからどうにかなっているし、クラスメイトもさりげなく壁となり王太子から守ってくれている。
お礼を言うと『いや、あれはマジ無理だろ』と、イシュタリア以外全員が口を揃えて言い切られてしまった。平民、貴族揃いも揃って言うものだから、余程だったんだろうなぁ…とルミナスはしみじみ思う。
やらかした場所が場所なだけに、校内にも噂は広まっているからどうしようもない。
「ねぇ、謝罪を受け入れた方が良いのかな」
「ルミィがそうしたいなら、だけど…」
「うーん。…ならさ、条件付けたら?」
「条件?」
アリアがルミナスから離れないまま言った。
「そ、条件」
ニッコリと笑うアリアは、一旦ルミナスから離れてレポート用紙を別に一枚用意してサラサラと書き込んでいく。
ルミナスとアリューズはアリアの手元を何だ何だ、と揃って覗き込んだ。
「こんな感じ」
間もなく差し出された用紙をアリューズと二人でじっと見る。
書かれていた内容に思わずルミナスはぎょっとするが、アリューズはうんうん、と頷いている。
「…えー、っと…」
「今回のことはもう気にしない。その代わり、学院にいる間は近付かないでほしい…良い案じゃないかアリア」
「でしょー?」
「で、でもさ、そのうち社交界デビューとかしたら…あ、会わないわけには…」
「その時はアリューズも、家の人もいるじゃない」
「あ」
すっかりそれが頭から抜け落ちていたらしいルミナスの間抜けな声に、両サイドの二人は思わず苦笑いを浮かべた。
頭は良いのに周りを頼ろうとしないものだから、一人で行き詰まって悩んで体調までも崩しかねない。
そうならないようにと、中に抱え込みやすすぎるこの子をサポートせねば、とアリアとアリューズは心に決めている。
「ルミィ、周りを見てごらん。皆、君の助けになってくれるから」
「周り…を」
「そうよ。私もそうだし、勿論アリューズも。クラスの皆も!ルミナスのお父様やお母様、おじい様におばあ様も!」
…あぁ、そうか、と。
今は『過去』ではない。勇気をだしてあの家から出て、そして味方になってくれる人や友人も増えた。クラスメイトは王太子を除いて皆、良くしてくれている。
たかが一人、どうということはない。
「そう、だよね…」
「そうよ!王太子殿下だからって、今は学院の生徒の一人。しかも、何もしてないルミナスに対して勝手にいちゃもんつけてきたヤバい人、っていう認識。そんな人、こっちから願い下げじゃない」
「向こうは謝ってこようとするだろうから、人目のあるところでこれを渡して、サインももらおう。念には念をだ」
何と心強い味方なんだろう、とルミナスはまた泣きそうになってしまう。
この二人がいれば、きっと大丈夫だ。無残に、ただ死んだだけの過去では得られなかったかけがえのない存在。アリューズはどの場合も味方でいてくれたが、アリアという更に心強い味方を得ることができたのは、ルミナスにとってとても心強かった。
「…ありがと、アリア」
「どういたしまして!やるなら徹底的に、だもんね!」
「王太子殿下は放っておいても向こうから来るだろう。従者も居て、僕やアリアもいるときに機会を伺えば良い」
「そ、だね」
深呼吸をし、それからは三人揃って課題を済ませた。
提出日に間に合うように行動し、提出日よりも数日早く担当教官に提出したその帰り道のこと。廊下の真ん中で腕組みをして立っているイシュタリアに遭遇した。
顔は不機嫌そのもので、思わずアリューズの背後に隠れたルミナスは決して悪くない。
「な、なんだ!人の顔を見るなり無礼だぞ!」
「殿下、ご自身の顔を鏡で見てから今の台詞をもう一度どうぞ」
「……ぐ、」
怒鳴りつけたその瞬間、言い終わると同時に良く通る声で従者の侯爵令息から注意をされるイシュタリア。
反論しようと彼を見ても視線は冷ややかそのもの。
ぎりぎりと歯ぎしりをするイシュタリアだが、本来の目的を果たさねばならない。改めて深呼吸をしてからルミナスをじっと見る。
「おい、お前。前は悪かったな。この俺が直々に謝罪してやろう」
ふん、と鼻を鳴らして謝罪なのかそうでないのかよく分からない雰囲気でイシュタリアが言った直後、侯爵令息は思いきりイシュタリアの頭を叩いた。
スパン!と良い音が響き、アリューズもアリアも、ルミナスもぎょっとする。
「えぇ…?」
三人が綺麗にハモってしまうのも無理はない。
ついでに叩かれた本人もきょとんとしている。
「殿下、謝罪の意味をご理解しておいでか」
「え…な…、な!?」
「お三方、特にローズベリー伯爵令嬢、我が主が誠に申し訳ございません。謝り方すら存じ上げない主とは思わず…重ね重ね、非礼をお許しください」
物凄く丁寧に、そして深々とお辞儀をする従者の侯爵令息。
アリューズもルミナスも、アリアも思わず頷きそうになったが、はっとルミナスが我に返ってアリューズの前へと出てきた。
「わ。悪いと思っているなら…一つだけ、約束してください」
「な、なんだ」
初めて、きちんと真っ直ぐ見たルミナスの目が綺麗だと見惚れそうになったが、次いだ言葉でイシュタリアは硬直した。
「近づかないでください。万が一グループ課題で組まれてしまっては、その時はどうにかして我慢します。でも、何もしていないのにあんな風に睨んでくる人となんか、いくら同じクラスでも関わり合いになんか、なりたくない!」
悲鳴のように叫ばれ、イシュタリアは愕然とするが従者はそれも予想の範囲だったようだ。
「勿論です、憂いなく学業に励んでいただくためにもお約束させます」
「…では、後程正式な文書でご連絡しても?」
「勿論です、リーズ伯爵令息」
「当家は、この度の殿下の行動について、正直…見損なっております。そして彼女は我が婚約者だ。ぼ…いや、わたしが守りたいと思う気持ちも併せてご理解ください」
「ええ」
イシュタリアは反論したかったが、出来るわけもなかった。
だが、それ以前に彼の考えはとことん甘かった。
王族たる自分が謝れば、許し等簡単に得られると思っていたのだから。それに対して返された拒絶に愕然としていたが、言い切ったルミナスは安堵してまた泣いてしまっていた。
どうして、どうして、と頭の中で問うても、イシュタリアの望んでいるような甘い答えを誰もくれるはずもなかったのである。




