後悔先立たず、とはよくいったもの
どうしたら良いんだ、とその言葉だけがぐるぐるとめぐる。
あんなことをするつもりではなかったし、あんな態度も取るつもりではなかったのだが、如何せん怒りが勝ってしまった。
あの、『ローズベリー伯爵家』の代名詞ともいえるべき存在、ミーシャの孫。
成績も相当よく、人当たりも良い。何から何まで完璧に見えてしまい、ただそれだけで苛立ってしまう存在。王太子であるイシュタリアにとっての目の上のたんこぶ、なのである。
だがルミナスからしてみるといい迷惑でしかないし、たかだかそんなことで敵視されてしまっては、彼の上を行く人間全てを忌み嫌わなければいけない。
「…どう、したら」
謝ろうにも、ルミナスが徹底的にイシュタリアを避けているし、アリューズががっちりガードしている。いや、避けられて当たり前なのだが。こうした経験がない彼は『なぜ避ける!』と憤慨しているが、恐らくこれを己の母である王妃に言うと、言外に呆れられるのは確実だ。それだけは嫌だった。
また、アリューズの家、リーズ伯爵家も魔道具事業においてはローズベリー家と並ぶほどの名家。しかもルミナスの婚約者でもあり、入試の成績は彼女に次いで二位。なお、イシュタリアはアリューズと同列二位であったが名前表記の都合上、上から三番目にしか見えなかったのが実情である。
王族たるもの、頭を下げてはいけないという教育を受け続けてきたイシュタリアの思考回路は、それはそれは凝り固まっていた。
色々な大切なことをすっ飛ばして覚えていたのが『王族たるもの、頭を下げてはいけない』というところだけな上に、彼の教育係が相当古い思考回路の持ち主であったことも災いしてしまった。
なお、それに周りが気付いてからはもちろん教育係は解雇されているし、きちんとした方向へ導くために周りも尽力しているのだが、遅すぎた感はある。
「謝る、方法…」
ぶつぶつと呟きながら、王城の図書館にてイシュタリアは本を探す。だが、『傷つけた人への謝り方』などという本は残念ながら存在はしない。
「ない、よな」
はぁ、と肩を落として図書館を後にし、自室へと歩きだした。
イシュタリアは負けん気がとても強く、学業では今まで負け知らず…とはいっても、あくまで王城内、それも正妃、側妃の子らの中での負け知らずだったにすぎない。
成績の良さで王太子に決定しているものの、実は現時点では『仮・王太子』でしかないし、自分の婚約者である公爵家令嬢もそれを理解して傍にいるだけ、というようなもの。色々と浮いた立場であるから、まずは学院で桁外れの成績で入学、皆の羨望の眼差しを受けながら日々の勉学に励む予定であった。あくまで、予定、だが。
それがどうだ、いざ外の世界に出てみれば自分より優秀な子は大量にいる。
入学時の成績ではルミナスとアリューズが。学院の実習では平民の子でも貴族の子でも、才能あるものが次々に教師に褒められている。なぜ自分を褒めない!と言いたかったが、明らかに能力の差があるのだ、と見せつけられてはぐうの音も出ない。
狭い世界で生きてきたのだと見せつけられたような感覚、そして上には上がいるのが当たり前なのだと見せつけられてしまっては、どうしようもない劣等感に苛まれた。別に周りは見せつけてなどいないのだが、それは本人の解釈次第でどうにでもなってしまう。
また、彼の傍にいるのが所謂『取り巻き』でしかなかったのが悪かった。
彼らはイシュタリアに気に入られたい貴族の子息であったので、彼を諫めることができなかった。結果的に今回の出来事で全員側付きを辞めさせられた。
己の主がしてはならぬことをすれば、諫めることは当たり前。それができないなら、側付きでいる意味はあるか?と問われた彼らは全員押し黙ってしまったというが、既に学院での出来事は彼らの親にも伝わっているし、あの時カフェテリアに居た生徒達から様々な方面に広がりつつある。
王族として、これから成長していかなければならないがとてつもない醜態を晒したことになるのだが、最初は分かっていなかった。
何が悪い、自分は王族だぞ、と言いそうになった時に王妃はこう告げた。
「民無くして王族と言い張って、何が得られますか」
「…え?」
「自分一人が偉いのではないわ。イシュタリア、そなたはわたくしがたまたま産んだだけ。親が違えば王族などではなかった可能性の方が大きい。しかも、今のそなたは我らの権力を振りかざしているだけでしょうに…」
はぁ、と特大の溜息と共に呆れかえった母の眼差しを、きっとイシュタリアは忘れないだろう。
親だからとて無駄に甘やかさず、王妃は『駄目なものは駄目』とはっきり拒絶したのだ。
「そなたが傷つけた令嬢は、我が国の主要産業である魔道具事業において、欠けてはならぬ伯爵家の令嬢。そなたの迂闊な行動、発言で迷惑をこうむるのはそなただけではない」
『この国そのものだ』と続いた言葉に恐怖が勝った。そうだ、自分は何ということをしたのかと思う気持ちはもちろんある。
だが悲しきかな。ちっぽけなプライドは邪魔をするわ、アリューズやアリア、そしてあの時の光景を知っている生徒によってルミナスはがっちりガードされてしまっている。
どうにかして謝らねば、と思い新しく側付きとなった侯爵家令息に相談してみた。一応、彼の中ではこれは相当な進歩なのだ。
そうとは知らない侯爵家令息はこう言った。
「謝らせてもらえるまで何度もトライするしかないでしょう。彼女は婚約者であるリーズ伯爵令息にしっかり守られておりますし、彼女の親友であるアリア嬢も殿下を敵視しかしておりません。ならば、彼らにも殿下は謝罪の意思があるのだ、ということを知らせたうえで、かつ、第三者の目がある場所できちんと謝罪をする他ないかと思われますが」
淡々と言われた内容、特に『敵視しかしておりません』という言葉が杭のように己の胸にどすりと刺さるが、それしか方法はない。
うっかりローズベリー伯爵家に謝りに行こうものなら、待ち受けているのは厳しくもルミナスを溺愛している祖母ミーシャと母レノオーラ。勿論祖父や父もしっかり待ち構えている。
「そ、そうだよ、な」
「殿下のお気持ちも分かりますが、まず、これはしっかり理解なさいませ」
「うん?」
「その場にいたわたしから見ても、『何の落ち度も、関わりもない伯爵家令嬢を睨みつけた』んです。しかも、公衆の面前で」
「…う、ん」
「ご自分がそのような扱いを受ければどう思いますか」
「……不愉快だ」
「いや、不愉快通り越していますよ」
「え?」
きょとん、と目を丸くしたイシュタリアに、遠慮なく侯爵家令息はトドメをぶっ刺した。
「平民からすれば『何もしてないのに文句をつけてくる傍若無人な王太子殿下』でしかないですね。ついでに、貴族令息や令嬢からすれば『これがこの国を将来治める君主になると思うとぞっとする』という思いになっていることを肝に銘じてください」
「は!?」
「だって、あの日以降殿下は皆に避けられまくってるじゃないですか」
「あ…」
学院の、あの場に居合わせた生徒たちは『コイツやばすぎる』と判断してさりげなくイシュタリアから物理的な距離を取っている。
本人は謝ることに必死になりすぎて、周りが見えていなかったのだ。
「王族として、これからも王太子であり続けるためにも、これまでのプライドなどお捨てください。今の殿下は、学院のいち生徒なのですよ」
ぴしゃりと厳しい言葉を投げかけ、『ご無礼、大変失礼いたしました』と謝罪をくれた。なお、彼を側付きに任命したのは他でもない王妃。
『あのバカ息子にはこれだけハッキリ言ってくれる人でないと、これまでの行動は変えられない』と断言したのがそもそもなのだが、これは見事に当てはまっていた。やんわりとした表面だけの言葉では、イシュタリアには届かないし、伝わらない。
ここまでされないと駄目な状態に育ってしまった己の息子の馬鹿さ加減に頭を抱えつつ、正妃たる自身の息子がこのまま王太子であるためにはどれだけスパルタでも、きちんとさせなければいけないと思われているとはつゆ知らず、イシュタリアは決意して翌日学院に登校したのであった…。




