良い意味で、やっと気が抜けた
午後からも授業があるはずのルミナスが帰宅したことにより、伯爵家は一時騒然となった。
遅刻早退休みが全くなく、アリューズやアリアと同じクラスだから楽しくて仕方ないと言いながら日々にこやかに通学して、その日の出来事を教えてくれて学んだことに対していつもいつも目を輝かせていたルミナスが、真っ青通り越して土気色の顔色で帰ってきたのだ。
侯爵家からこちらへと早々にやって来たルミナスつきのミリィは、ただならぬ様子に慌てて他のルミナス付きの侍女たちと一緒に彼女を部屋へと連れていく。
そして手分けして制服の着替えやお茶の用意、伯爵夫妻と祖父母への連絡をあっという間に済ませてしまった。
「ごめん、なさい」
力なく謝って、用意されたお茶にも手を付けず、ルミナスはただ、小さな声で謝る。
「お嬢様、気にしないでください…って言っても難しいですけど、今はゆっくりいたしましょう。ねっ?」
「…うん」
ミリィが率先してルミナスの背を優しく擦る。
そして、慌ててやってきたレノオーラはルミナスの顔色を見た途端、駆け寄ってぎゅう、と力強くも優しくルミナスの体を抱き締めてくれた。母様、という力のない声にレノオーラは一度目を固く閉じ、大きく深呼吸をしてから腕の力を緩めてお互いの視線を合わせる。
「体調が悪い?」
優しい声の問いかけには、首が横に振られた。
「嫌なことが、あった?」
次の問いかけには戸惑いがちに頷いた。
「…何か、怖いことだったの?」
続いた質問で、首を縦に振ったルミナスの涙腺が決壊した。
「…ぅ、…っ、ふ…」
家に帰ってきて、学園では何とかぎりぎり持ちこたえていた精神状態が、緩んでようやく涙がこぼれた。
人生を繰り返していて、精神年齢はある程度熟しているとはいえ子供は子供。威圧されればそりゃどうやっても怖いものは怖いし、顔色だって悪くなる。ましてルミナス自身はどの生でも王族とかかわりが深かったわけではないからなおさらだ。
特に今回は関わらないように徹底的に避けているし、この国の王太子と学院でのクラスも分かれているからこそ平和に過ごせていた。何ならきっとすぐやってくる中等科への進学の際に、王太子が進学するコースからは何が何でも離れてやろうとまで決心していたくらいなのだから、今日のことがなければ間違いなく平穏無事な生活だっただろう。
「かあさま…そうたいしてしまってごめんなさい…」
しゃくりあげながら言ったルミナスだが、王族から受けた威圧がよっぽどの恐怖として沁みついてしまっているので、どこから説明して良いのか分からない。
ミーシャもレノオーラも、ヴィアトール学院の卒業生で、論文もきちんと提出している上に、魔道具事業においてはローズベリー家は右に出るものが居ないほどの知る人ぞ知る名家。表向き広告を出して宣伝しているわけではないが、少なからず事業面で王家との繋がりもあるだけに、更にどう伝えて良いか分からずにぼろぼろと涙が零れてくる。
「ルミナス、大丈夫よ。何なら学院の授業なんか受けなくても卒業できるくらいに知識をあげるから!!」
「…ひぇ」
「まぁ、そういうわけにもいかないし学校に通うのは必須だし…。ふふ、涙は止まったわね」
「あ」
冗談にも本気にも取れてしまうレノオーラの言葉と驚きによって、涙はひゅっと引っ込んでしまっていた。
ついでに顔色も少し戻ってきており、それにはレノオーラがほっとした。
「で、実際のところ何があったの?」
「…え、っと」
ぽつりぽつりとルミナスは話し始める。
学校でこれまでにあったこと。そして今日起こったとどめのような出来事。
イシュタリアから訳も分からず睨まれてしまい、情けないけれど怖かった。アリューズとアリアが二人してその場から連れ出してくれたから事なきを得て(ルミナスだけは)、こうして早退して帰ってこれたこと。
恐らく午後の授業については二人が説明してくれるだろうし、ルミナス自身が提出しなければいけない課題についても範囲分はすべて完了させている。
必要なものは明日受け取れば良い、と思っていることまでを少しつっかえながら話すと、レノオーラから優しく頭を撫でられた。
「それでいいわ。王太子殿下がどうしてそんなことをしたのかは分からないけれど、結果的に彼がとった行動は最大の悪手でしかないし、ルミナスは気にせずに学園に通いなさい」
「は、はい」
「もう今日はゆっくりしちゃいなさいな。おやつを食べるでもよし、念のために明日の予習をするでもよし。ね?」
「…はい」
叱られてしまったらどうしよう、と思っていた過去の自分を引っぱたきたい、とは思いつつ、ここに来れて良かった、と心から思えた。
そして、そのままゆっくりね、と言ってくれた母に甘えて、ベッドに横になった。精神的なものだけとはいえ、相当疲れていたようでルミナスはそのまま眠りに落ちた。一度ライルが様子を見に来てくれたらしいが、眠っているのを起こすのは悪いから、そっとしておいてくれたらしい。
夕方前にはアリューズとアリアが揃ってお見舞いにも来てくれたおかげで、翌日も通える勇気を貰えた。
色々な人に支えられているなぁ…、と思う反面、明日あの王太子が絡んできたらどうやって逃げよう、と考えると気は滅入るが『なるようになれ!逃げる!』と心に誓って、登校したのだった。




