緊張と遭遇とクラス分け
「ルミナス。…ルミナス、ちょっとあなた、緊張しすぎよ」
「もう少しちゃんと呼吸をしなさい。ほら、深呼吸して」
レノオーラとライルにぽんぽんと背中を叩かれながら労わるように声をかけられるが、当の本人は真っ青になってガタガタと震えている。
「ルミナス、聞こえてるか?深呼吸しろ。…ルミナスー?…………駄目です、レノオーラ様、ライル様。ガッチガチです」
「あ、ぅ」
アリューズにも声をかけられるが、緊張がMAXになってしまっているルミナスは、ぎぎ、とぎこちなく彼の方に首を回した。
「だめ、緊張、して、はく」
「新入生代表挨拶の原稿はちゃんとあるんだろう?」
「ある」
「基本的には原稿を見たままにして、たまー…に全体を見渡す感じでいくのはどうかしら?」
「ひと、多い、です」
「ルミィ、どうして単語なの。ちゃんと練習もしていたんだから大丈夫だよ」
婚約してから、ルミナスとアリューズの距離はとても縮まっていた。どれくらいかというと、愛称で呼ばれるくらいに。
…といってもそれは、かつて彼だけが呼んでいたルミナスの愛称なのだが、ある時不意にアリューズが呼んでくれたのだ。記憶など持ちえないはずなのに、そうしてくれたのが嬉しくて、親しい人達がいる前と二人だけの時にはそう呼んでもらっている。
今までも令嬢としてパーティーなどには参加することもあったし、人前に出ることもなくはなかった。だが、それとこれとは違う。
ヴィアトール学院への入学生と、在校生。そして入学生の両親やら親族、教員たち。恐らく1000人ほどは入るのではないかと思われるくらいの大講堂にての挨拶なのだ。それも自分に一斉に注目が集まる。
「こんなに、いる、だなんて…」
「南瓜かジャガイモだと思うのはどうだろう」
「私より身分の高い方々もいるのに?!」
「ダメだわ、結構な重症ねこれ」
両サイドをリーズ家に、正面と背後を父母に囲まれ、必死に緊張を解してもらおうとしているのだが、思ったよりがちごちになっていた。
背中を優しく摩ってもらうと、少しだけ強ばりが取れてきたらしく僅かに表情が緩んだ。
「……あ、あと、…何分で…始まる…?」
アリューズの制服のジャケットを掴んで問いかける。
問われて周囲を見渡すと、恐らく半分くらいの生徒達が席に着席し始めていた。
「とりあえずもう少し、というのは分かる。ルミィ、席は隣なんだから行こう」
「は、はい…」
「大丈夫だよ、一緒なんだから」
「…うん」
「母上、ローズベリー伯爵夫妻、行ってきます」
「いって、きます」
アリューズと手を繋いで歩いていくルミナスを見送り、両家の親達は深い深いため息をついた。
「まさかあんなにルミナスがあがり症だったなんて…」
「まぁでも…緊張するだろう。母上曰く『喋り始めたらあの子は大丈夫』ということだが…」
「あがり症でなくとも、この人数だと…」
リーズ伯爵は愛息子の晴れ舞台に参加できなかったことをひたすらに嘆いていたが、夫人の『映像記録魔道具できちんと残してくるから』という言葉で、何とか納得はしてくれたらしい。
親達は決められた席に並んで腰を下ろし、新入生達が座るであろう空白になっている場所に視線をやる。
「今年は少し入学者が多いのかしら」
「かもしれないね。今年の試験が難しかった、とは噂されていたんだが…」
ふむ、と呟いて見渡すライルは、視界の端にいたある人物を見て硬直した。
そして、レノオーラとミリアリアもそちらを見て、小さくひゅ、と息を呑んだ。
「え…」
「あれって…」
そこに座っていたのは、ダリス王国の宰相。顔をしっかり知っている人が少ないが故に騒がれてはいないが、知っている人は知っているのだ。
ライルのような王宮勤めの人間であれば、少なくとも顔を知らないというわけではない。会話したことはなくとも、顔は知っている。
「今年の入学者に王太子殿下がいるのは間違いないな…。おそらく、陛下の代理で参加されていらっしゃるのだろう」
「…………」
レノオーラはふと思い出す。
王太子という存在に対して相当怯えていた愛娘のことを。だが、ルミナスは宰相の顔も知らなければ王太子の顔も知らない。
大丈夫、と己に言い聞かせながらもどことなく過ぎる不安。
『定刻となりましたので、これより入学式を始めたいと思います。まず、新入生の方々、ご起立ください』
言い終わると同時に、新入生達が一斉に立ち上がる。
ルミナスは挨拶の関係上、新入生の一番前に座っている。アリューズは次席入学者なので、ルミナスの隣に座っており、立ち上がった時に軽く目配せをしてやった。
『大丈夫だよ』と、視線でそう言われ、ルミナスの気持ちはようやく落ち着きを取り戻してくる。ここまで来れば腹を括るだけなのだから。
『新入生の方々へ、学院長よりお言葉がございます』
「新入生の諸君、入学おめでとう――」
挨拶が始まり、ルミナスは少しだけ不思議な気持ちになっていた。
妹の呪縛ともいえる執着心から離れられ、無事にこうしてダリス王国へとやってきた。やりたいことの一歩目を、踏み出せた。しかも隣にはずぅっと好きだった人が、寄り添って立ってくれている。
夢ならば、覚めないでほしいと思いながら、学院長の挨拶をじっと聞く。この挨拶が終われば、自分の役目をきちんと果たさなければならない。
後々、魔道具の開発などに携わろうとするのであれば、学術会への参加などもしなければならないだろう。だから、もう腹を括るしかない、と、一度大きく深呼吸をした。
『続きまして、新入生総代生徒からの挨拶です』
「―――はい」
少しだけ上擦った声で応え、ルミナスは壇上へと登る。
大勢が、ルミナスを一気に見つめた。
これほどの人数に見られることなど、そうそうない。
もう一度深呼吸をして挨拶が書かれた紙を胸元から取り出し、ゆっくりと話し始めた。
「本日、私たちは伝統あるこの学院へと入学いたしました。
ここでは、様々な出会いがあることでしょう。ですが、学院にいる間、私たちは仲間であり、学友でもあり、そして、魔道具をより良きものにするため、意見を出し合い、学び、切磋琢磨しあうライバルでもあります。
思考に縛られることなく自由に、そして今より高みを目指し、学院の生徒であるということの誇りを胸に、これからの日々を過ごしてまいります。
諸先輩方、ならびに先生方、そして私たちを一番近くで支えてくれる父や母、全ての期待に応えられるよう、精進いたします。
これより以降の日々を実りあるものにしてまいりますことを誓いの言葉とし、短くはありますが、総代としての挨拶とさせていただきます。
新入生総代、ルミナス・フォン・ローズベリー」
つっかえることもなく、少し遅いかと思われるような速度であったが聞き取りやすいよう、きちんと喋れたのではないかと、ルミナスは安堵した。
深くお辞儀をすれば、割れんばかりの拍手が起こる。
きちんとできた、と安堵して壇上から下り、アリューズの隣へと戻り、座った。
「(頑張ったね)」
小声で言ってくれる彼に、微笑みを返すルミナス。
その後、定刻通りに入学式は進んでいき、各々のクラスを確認するべく、校舎前にあるという掲示板にぞろぞろと皆で歩いていく。
「一緒だと良いね」
「うん」
あまり私語をしすぎるのも良くないかと思い、こそっと話して掲示板を見上げる。
友人同士、同じクラスになれていると喜んでいる人もいれば、一人でどうしようと困惑している人もいる。
そんな中、ルミナスは無事にアリューズと同じクラスだったことに安堵した。
「良かった…!」
「課題とか、色々一緒にできるね。ルミィ」
「うん!」
「ねぇ!」
喜んでいるとルミナスの肩をぽん!と叩いて声をかけてきた女子生徒が、一人。
「あなた、さっきの代表の子でしょ?よろしく、私も同じクラスなの! 私の名前、アリア!」
「あ、えっと、よろしく!私はルミナス。それと、こっちはアリューズだよ」
「…どうも」
「仲良いね、二人って…もしかして…」
アリア、と名乗ってくれた女子生徒は二人をニヤニヤとからかうように笑いながら交互に見る。
「家同士、あと本人同士納得した上での婚約者だよ」
「さすが貴族………早い!」
「あの…アリアは…」
「私?私は普通の商会の娘だから、まだまだ先の話。好きな人はいるけど、私よりも年上だから魅力的なレディになるために、そっちも今は保留!」
「そ、そうなんだ?」
くるくると表情が変わるアリアを見ていると、すっかりルミナスの緊張もとけたらしい。少しだけ嫉妬のような感情に襲われつつも、力の抜けたルミナスのいきいきとした表情が見られるのであれば、と、その感情を一旦横に置いたらしい。
「ルミナス、良かったね。仲良くやれそうだ」
「うんっ!」
「あら、アリューズとも仲良くしたいわ。皆で課題やったり、お昼ご飯食べたりしましょ?」
「え、あ、うん」
「大丈夫大丈夫、私好きな人一筋だから。アリューズは何ていうかそう、眼中に無い!」
「僕もルミナス以外眼中に無いから大丈夫だから」
二人が勢いよくルミナスに揃って言うものだから、思わず目を丸くした。
完全に力が抜け、クスクスと笑うルミナスにつられて、二人も和やかに微笑みあっている。
と、そんな三人を見ている一人の男子生徒がいたのに、彼らは気付いていなかった。
嫉妬、妬み、色々と複雑な感情が混ざり合う視線をルミナスへと向けている男子生徒。
寄り添っているのは、この国の宰相。
「殿下、あまりそのようなお顔をなさいますな」
「……分かっている。……あれが、ローズベリー伯爵家令嬢か…忌々しい」
心底不愉快だと顔全体で表した彼こそ、この国の王太子であるイシュタリアだった。
挨拶の原稿は学校側が用意してくれたものです。
ルミナスはつっかえないように必死に読んでおりました(笑)




