不安に思うこととおばあさまの心配ごと
まさか、婚約できるだなんて思っていなかった。というより、振られてしまったらどうしようという不安が大きすぎた、というのもあるのだが。
ルミナスは嬉しさのあまり、自室のベッドにてゴロゴロと転がる。
何やらアリューズはアリューズで思うところがあったようだが、それはルミナスが悪いわけではないらしい。リーズ伯爵夫人が帰り際に笑いをこらえているのをアリューズが『母様!ちょっと!』と顔を真っ赤にして怒っていたのだが、あれは一体何だったんだろうかと、ルミナスは首を傾げた。
「恥ずかしかったのかな…アリューズ様…」
ゴロゴロするのがようやく落ち着いたところで、枕を抱きしめて天井を眺める。
だが、気を緩めるとすぐにふわふわとした嬉しさに包まれてしまう。
「う~……」
アリューズも嫌がってはいなかったので、それだけは安心できたものの、ここだけは変えたくなかった運命。
何かあれば相談してもいいのだろうか、と思いつつ、屋敷に届けられた制服を改めて確認するためにクローゼットを開く。
試着させてもらった自分専用の、ヴィアトール学院の制服。これまた表情が緩んでしまい、「へへへ」と笑みが零れてしまう。
もうすぐで、これを着用して学院に通える。
魔道具の基礎から応用まで、そしてそこからはどうやって開発を行っていくのか。
学ばなければいけないことは多いし、きっと首席入学だからこの国の貴族たちにやっかまれてはしまわないだろうか、とか。学院生活で、もしできれば友達というものも作ってみたいな、とか。
これから始まる学院生活に一喜一憂しつつも、最も不安なことが頭を過ぎっていく。
「…そうよ、王太子殿下と、いるならばその婚約者…」
確かここに、と学院から送られてきた生徒名簿を見る。
この国・ダリス王国の王太子の名前はしっかりある。『イシュタリア・フォン・ダリス』と。
誰が婚約者かまでは分からないが、同い年ということは九歳。もう婚約者は内定しているだろうし、彼が王太子ということは、婚約者は王太子妃としての教育も受けているはずだ、とそこまでは考えられた。
自国のことは知っている人に聞くのが一番だと、ルミナスは枕を置き直して部屋を出て、祖母の執務室に向かった。
コンコン、とノックをすると室内から祖母の『どうぞ、お入りなさい』という冷静な声が響く。
「失礼しまーす」
「あら。ルミナス、どうしたの」
「おばあさま、教えていただきたくて」
「何を?…あぁ、そちらにお座りなさいな」
「あ、はい。えっと、ダリスの王太子殿下に婚約者のご令嬢はいらっしゃいますか?」
「………」
すぱっとそのまま聞いてしまい、ルミナスは不味かった!と表情を固くした。
祖母の顔が全てを物語っていた。
訝しげというか、『それを聞いてどうするの』と顔全体に書いている顔で、じぃっとルミナスを見つめていたのだ。
「い…いや、その…」
「あなた、王太子殿下にお会いしたことはあるの?」
「ない、です」
「この前から気になっていたのよ。どうしてあそこまで王太子殿下に怯えているの?」
「あ……」
「責めているわけではないわ。ただね、わたくしもアレクシスも、気になっているの。会ったこともないのに『王太子』という存在に怯えているのには、何か理由があるのではなくて?」
話してしまえれば、きっと力になってくれそうな予感はしている。だが、どうやって説明したら良いのか分からないのだ。
アリューズに関しては『一目惚れ』で切り抜けられた。王太子に関しては、そもそも会ったことすらない。
それに、ルミナス自身は婚約者が決まったばかりで王太子を気にしなくとも問題はないはずだと、ミーシャは思っている。
ルミナス自身は、婚約者が決まっていても気が抜けないのだ。
何故か、婚約者が決まっているにも関わらず、権力と家柄を総動員して婚姻を迫ってきた公爵閣下がいたのだから。
そうならないためにも、身分が高い人にはなるべくならば近付かないようにしたいところ。
「……失礼なことを、したくなくて」
「失礼なこと?」
「はい。学院は、身分に関わらず平等に接しても良いとされております。ですが、学院を卒業したら元の身分が付きまとうといいますか…弁えなければならないところが多々出てくると思うんです。それを、今のうちからきちんとしておきたくて」
…決まった!と内心ガッツポーズをした。
というか、決まりすぎて九歳が言うような内容でないことに本人だけが気付いておらず、ポーカーフェイスを貫き通すミーシャは『うちの孫、…しっかりしすぎではないかしら』と、子供らしさがあまりに少なくて心配になってきていた。
「…ルミナス」
「はい?!」
「子供がそこまで気にしなくても、…良くてよ?」
「……はい」
「でも、王太子殿下には既に婚約者はいらっしゃるわ。公爵家令嬢だから、ヴィアトール学院には通わないそうだけれど、機会があれば…そうね。舞踏会なんかでお会いすると思うわよ」
「あ…」
「伯爵家令嬢なのだから、デビュタントにも参加しないといけないわね」
にっこり、と擬音がつきそうな程の良い笑顔でミーシャは告げる。
言われてみれば、学院に入学は決めたものの貴族としての務めも勿論果たさなければならない。学生という身分も考慮されて、頻繁にではなくて良いが夜会への参加が必須だ。
「あのぅ…まさかとは思いますが、…ドレス、とか…」
「お飾りも含めて、きちんと揃えますから安心なさい。アリューズ卿と揃いにして、婚約披露もしなくてはならないわね。やることは多いから、覚悟なさい」
『はひ…』と気が抜けきった返事をして退出したルミナスを見送り、机の下に忍ばせていた小型の通信魔道具のスイッチを押した。
「聞こえていたかしら、アレクシス」
【もちろん。…何かあるんじゃろうな、あの子は】
「えぇ。今はまだ、こちらに相談できないようだけれど…いつか、話せるような環境にしてあげなくてはいけないわ」
【そうしてやろう。じゃが…】
「間違いなく怯えていたわ。『王太子』という存在に」
馬車の中で見た怯えるルミナスの表情が過ぎる。
『王太子』という存在に怯え、警戒する孫娘の不安に思う気持ちを取り除いてやりたいと思った。
アリューズと婚約を結ぶ少し前も、何かしらの不安からか泣き崩れていたくらいだ。
「……何があるのかしら、あの子」
予想しても、ルミナスの心配事が何なのかが分からなければ対処できない。
いつか話してくれる日が来てくれるよう、あの子の信頼に応え続けてやろうと、そう改めて決意したのだった。
「あなたは、独りじゃないんですからね…ルミナス」
おばあちゃん、おじいちゃん、とんでもなく察しは良いのでとても心配なんです。
きっといつかルミナスは話してくれるよ…!




