思い返せば
朝食の席は、当たり前だがお通夜のように暗いものだった。ケロリとして食べ進めたのはルミナスのみだが、当の本人は今までの我慢してきた鬱憤をようやく、四度目の人生にして言えたのだから満足しきっていた。
確かに朝食の席で、しかも朝の挨拶をしたあの瞬間に切り出さなくても良かったのかもしれないけれど、家族揃ってゆっくり話せる機会など、そうそうない。父は食べ終わったら王宮へと出勤してしまうし、母も暇ではない人なので何かしら予定が入っている。それならばとあのタイミングにしたの、だが。
「さすがに、マズかったかしら」
自室に戻り、うんうん唸りながら祖父母へと手紙を書いていた手を止める。
行儀が悪いとは思いながらも椅子の背もたれにぐっともたれ掛かり、自室の天井をぼんやりと見上げた。
タイミング的にはあれしかないとは思いながらも、マリアにはトラウマをばっちり植え付けてしまったのかもしれない。だが、あの妹があのままの性格で育ってしまうとルミナスのみならず、侯爵家にまで被害を被るような事態に陥ってしまう。
妹に階段から突き落とされて死んでしまった、あの二度目の人生。別にルミナスが何かやらかした訳ではなかった。
ただ、全てにおいてタイミングが死ぬほど悪かったし、歯車が噛み合わなさすぎたのだ。
§§§§§§§§§§§§§
「お姉様!!」
ノックも無しで勢いよく開けられた扉。
部屋の主、ルミナスはげんなりとした様子でゆっくりと振り返れば愛らしい表情を怒りに染めた妹、マリアの姿が。
幼い頃から、ルミナスが褒められる度に『ずるい』や『ひどい』など、よく分からない理屈で喚き散らし、癇癪を起こして己の思い通りにならなければいい歳をしても尚、地団駄を踏んでしまうように育ってしまった挙句、社交界では『ラクティ侯爵家の癇癪令嬢』の悪名までいただいてしまった。
「今度は何…」
「嫁ぐ日が決まったそうですわね!」
「だから?」
「どうしてお姉様の方が早いのですか!」
「は?」
ルミナスに付いてくれているメイドや侍女、マリアに付き添ってここまでやって来た侍女、そしてマリアの声を早々に聞きつけた執事達がぽかんと目を丸くし、首を傾げた。
「いや、え?」
「わたくしの方がお姉様よりも愛されているのに、お姉様の方が結婚式の日取りが早くなるだなんて信じられない!」
そんなもん関係ないだろうがー!!!と、マリアを除くその場にいる全員の心の声は綺麗に一致し、ハモった。
「……ええと、それで?」
「結婚式の日、わたくしよりも遅くして!」
「はい…?」
もう招待状も出している。
書類の提出日や、式を挙げる教会への挨拶始め、ルミナスが嫁ぐ先への改めてのご挨拶など、色々な日取りも既に確定している。
後ルミナスがやることといえば、式に向けて体調を整えたり、肌の調子を良くしたり、ドレスを綺麗に着こなすためのダイエットに勤しんだり、最終的な予定の確認などをするだけになっているというのに。
ルミナスは家同士の繋がりを優先しつつも、互いに上手くやっていけそうだと双方了承した上で、リーズ伯爵家に嫁ぐ。
マリアに関しては、一目惚れをされ『夫人の面倒なあれこれはやらなくていい!』とまで言われ、互いに相当な大恋愛の末に、マルディグラ伯爵家に嫁ぐのだが…。
「あなた……結婚式を誕生日パーティーか何かと誤解していない…?」
「するわけないでしょ?!」
「えぇ…」
開いた口が塞がらない、とはこのことだろうか。腕を組み、仁王立ちをして鼻息荒く姉を睨み付ける妹は、この瞬間までも自分の言うことが通ると心の底から信じていたらしい。
「いや、ダメに決まってるじゃない」
あっさり拒否され、怒りが頂点に達したらしい妹だが、即座に助けを請おうと執事に視線をやっても同情的どころか、ここまで阿呆だったとは思ってもみなかった、と明らかに顔に書かれているのを読みとったようで。
「皆……お姉様の味方をするんだわ……!」
味方とかいう以前に、まずお前の思考回路が残念すぎるんだが、と更に内心ハモる妹以外。
そもそも、まずもって、コレをこのままここまで育て上げてしまった母親に対しての怒りと呆れしかないが、知らぬは本人ばかりなり。
マリアは愛情たっぷりすぎるほどに育てられ、勉強もできていたし、癇癪を起こしさえしなければ完璧な侯爵令嬢なのに、一度こうして癇癪を起こしてしまえば己の言う通りになるまで是としない。おかげで『ラクティ侯爵家の癇癪令嬢』などという不名誉極まりないあだ名が裏でこっそり付けられてしまっている。
「私の味方、というよりマリアの言い分がアホすぎるのよ」
「アホだなんて!ひどい!」
「ひどくないわ。そこまで嫌ならリーズ伯爵家にあなたが、自分で、直談判してきなさいよ」
「…っ」
「まずはリーズ伯爵家の了承を得ることからでしょう?ほら早く」
しっしっ、と犬猫を追い払うような仕草で手を振れば、今にも泣きそうなほど目に涙を溜めてしまう。
庇護欲をそそられるらしいが、この場にいる人間に限ってはそんなもの1ミリも今は持ち合わせていない。
「あなたにばかり構っていられないの。喚き終わったら出ていって」
「思いやりがないの?!」
「マリアの言い分のどこに思いやりを持てばいいのか分からないから、もう良いかしら。暇ではないの」
「~~っ!」
ぶわ、と目に涙を溜めたマリアを見て、その場にいた全員が、慣れたように耳を塞いだ。
「お姉様の人でなしーーーーーー!!!!!!!!」
耳を塞いでいなければ間違いなく、くわんくわんと頭が揺れるような感覚に襲われつつの、マリアの大声&甲高さに耳をやられていたに違いない。不名誉の塊のようなあだ名の如く、16歳を過ぎても自分の言うことを聞かせるために大声で泣いて、周りを困らせる。
さっさとこちらが折れれば良いだけだと言われると確かにそうだが、コイツこれを結婚してからもやる気じゃないだろうな?と、ルミナスも執事も嫌そうに顔を顰めた。更にその顔に不満を抱いたのかマリアがじろりとその場にいるメンバーを睨み付けつつ見渡した。
「大嫌いよ!!お姉様なんかいなくなってしまえばいいのに!!」
結婚するからいなくなりますー、と言ってやろうかと思ったが、この妹の癇癪状態に一番ダメージが大きいのは存在そのものをスルーしてやることだ。
「…フィア、この後の予定は?」
「リーズ伯爵家にご挨拶に伺いまして、帰宅後に身支度を整え直し、夜会に参加するご予定です」
「そう、分かったわ。身支度をしましょうか」
「かしこまりました、お嬢様」
「………な、ん………」
存在ごとスルーされ、信じられないという表情でルミナスを見つめるマリア。マナーがなっていないのは自分だということも忘れ、顔を青くして姉を呆然と見つめた。
ルミナス付きの使用人達は、マリアを気にしない。自分の主がどれだけ妹に振り回されているのかを理解しているから。
マリア付きの使用人達も、他の家令達も、ここまでになってようやく気付いたようだが、とっくの昔に遅くなっている。10歳までなら性格の矯正もできたかもしれないが、もう16歳。
―――無理だ。
我儘を通すための手段を覚えてしまっているから、それを駆使して己の思い通りになるまで喚き散らしてしまうが、それをやることで姉の立場がどうなるかなど考えなかったのだ。
これまではルミナスが折れてくれていた。だが、もうルミナスは折れないし譲ってもくれない。結婚をして別の家へと向かう以上、これが妹に対する最初で最後の抵抗だった。
ルミナスは何も言わず、振り返りもせず、自室を後にする。困惑しきったマリアの使用人達にも、目もくれなかった。
部屋を出て、準備のために屋敷の一階にある衣装室にドレスを選びに行こうとした矢先、走ってくるヒールの足音が聞こえ、ルミナス付きの侍女達の小さな悲鳴が上がる。え、と思い振り向いた時には既に遅し、鬼の形相のマリアが両手を突き出してこちらに突進してきていた。
「いなくなれ!!」
悲鳴のように叫ばれた声に、『だから、結婚したらいなくなるってば』と内心で付け加えつつ、思い切り両肩を押され、支えの無かった体は面白いように重力に負けて落ちていく。ここが階段の途中なら大丈夫だったのかもしれない。けれど、二階から移動をするために階段に向かったのだからいたのは二階。まだ階段を降りていなかった。
ふわ、と感じた無重力の直後、激しい物音と共に、ルミナスの体は止まることなく一階まで転げ落ちたのである。
§§§§§§§§§§§§§
「あんなことが起きないためにも、離れるべきなのよ。そのタイミングが今だった、それだけ」
過去を思い出して、背筋を伸ばし体勢を直してから、祖父母への手紙を書くことを再開した。突き放した妹の癇癪混じりの鳴き声が聞こえると思っていたのだが、思ったより大人しく、今はとても平和だ。
「もっと早く、こうしていれば良かった。…前の、生で…」
たらればを呟いたところで何も変わりはしない。過去の記憶を持って数度転生を繰り返した自分が、最悪の未来に向かわないように必死に足掻く。
――――――――平和な日常を送るためにはカッコ悪くともひたすら、ただ、足掻く。それだけなのだ。