これから始まる新しい生活
学園編、始まります!
時が過ぎるのは早い。
本格的な引越しを終え、貴族院に提出した書類も無事に受領され、ルミナスは晴れてローズベリー家の養女となった。お披露目は特に行わず、親戚に対してのみ文書で通知したのみだったが、それでいいだろうと侯爵家、伯爵家共に話し合った末の結論だった。
当の本人のルミナスだが、ヴィアトール学院に入学できるその日を心待ちにしていたものの祖父の放ったあの一言以来、どこか気落ちしていた。
ダリス王国の王太子とは面識などないはずだし、元いたパールディア王国の王太子も、彼女は知らない。仮に面識があったとしても『王子』の頃だし、現在のルミナスの年齢から考えると下手をすればちゃんと覚えているのかどうか、というところ。
祖父と祖母にお願いして家を出たのが6歳。ほぼ7歳に近かったので、8歳の誕生日は伯爵家にて祝ってもらった。そしてそれから約一年を勉強と、周りの環境に慣れることに費やし、二度目の誕生日も迎えて現在9歳。
パールディア王国の王太子が決まったのが、ルミナスがダリス王国にいる間なので、『王太子』という言葉に対してあれだけ反応するのも妙な話だ。
どうにかして一旦それを忘れさせて、いつもの元気なルミナスに戻ってほしいライルとレノオーラは揃って大きな溜息を吐いた。
「大丈夫かしら…ルミナス」
「別に王太子殿下との面識はないんだろう?ダリスの王太子なんかは面識などあるわけもないし…」
「えぇ…。お義母様やお義父様も、少し調査はしてみる、と仰ってくださったわ」
「無理に聞き出すわけにもいかないだろう。…待とう」
「…そう、ね。…とりあえず…おやつはしっかり食べてくれると良いのだけれど…」
自分たちが接する態度を変えてしまうと、そういうところに特に聡いルミナスのことだ。間違いなく、『いつも通り』を貼り付けて自分たちに接するだろう。
「わたし達は学院の入学準備の仕上げをしようか。教科書や実習道具はもう出来上がっていたんだっけ?」
「確か昨日家に届けられているわ。制服も出来上がっているけれど、ルミナスと一緒に行って試着してみないといけないわね」
「なら、気分転換に行ってきたらどうかな。もしかしたら王太子、という言葉に反応したけど、首席入学というプレッシャーもあるかもしれない」
「…そうね、早速ルミナスに言ってくるわ!」
レノオーラは微笑んで頷き、ルミナスの私室へと足早に向かう。
提案したものの、ライルはどうにも引っかかっていた。
王太子と同じ学院に通えるタイミングというのはそうそうあるものではないが、恐れ多いとか、そういうものではない。あれは、王太子に怯えているとしかいえない雰囲気だった。
だが、面識のない相手にあそこまで怯えることがあるだろうか。馬車の中でレノオーラのドレスを掴み、真っ青になってあそこまで震えるなど、よっぽどのことだ。
「…わたしは、様子見をしよう。もし逃げたくなった時の避難先でいてあげないと、ね」
ライルは、自身の決意をわざと口を出す。そうすることで改めて自分に言い聞かせた。
「パールディアの王太子とはもうほとんど会わない…けど、こっちの王太子を忘れてた…!」
部屋で頭を抱えるルミナスは、自分用にもらった勉強用のデスクに突っ伏して唸っていた。
妹が原因で死ぬことは余程のことがない限りは恐らくない。回避できた。
次は王太子だ。
もしも前回のような冤罪をふっかけられるようなことがあれば、今回は自分の家族になってくれたばかりの人達に迷惑がかかってしまう。王太子を避けられれば良いと安直に考えていたが、まさかヴィアトール学院に王太子が通うことが慣例となっているということまでは知らなかった。
恐らく、もう既に定められた婚約者もいることだろうから、なるべく関わらず、ひっそり穏やかに過ごそうと決めていたが、ルミナスにとって一つ大きなやらかしがある。
祖母ミーシャに教えられた内容、そして試験前に念の為にとレノオーラに仕上げをしてもらい積み上げた知識をフル活用して『ここは間違えるだろう』と予測もしながら入試を解いたのに、首席合格となった。入学生代表として挨拶をすることがこれで確定、更に入学式後、学園長に呼ばれているので目立つこと間違いなしだ。
「わたくしの……アホ……!」
やり場のない怒りに似たものを机に一度だけぶつけたが、思ったよりデスクの強度が高く、むしろ手にダメージを追うという始末。
「入学式の挨拶は嫌…学園長に会うのも嫌…でも何より目立ちたくなかったぁぁぁぁ~…」
手を抜くことを知らないルミナスがやらかしたことは、ミーシャやレノオーラに大変喜ばれたので嬉しかったが、これから先を考えると嬉しくも何ともない。
「入試はたまたま、そう。たまたま、色々解けただけ!そうしましょう!」
おー!と心の中で付け加えて拳を宙に上げた時、ドアがノックされてレノオーラが室内に入ってきた。
振り返ってレノオーラの方に駆け寄り、見上げていたら視線の高さをそっと合わせてくれる。
「ルミナス、何か気合いでも入れていたの?」
「え、あ、は、はい!」
「頑張りすぎて無理はしないようにね。そうそう、貴女の制服ができたそうなの。サイズとか色々確認のために出向かなければならないのだけれど…一緒にいかない?終わったら、お昼を食べて、お茶をして帰ってきましょう」
「わぁ…!」
先程の声が聞かれていたと思うと少し恥ずかしいが、レノオーラが提案してくれた内容にぱぁっと顔を輝かせた。
「行く!母様とお出かけね!」
「そうよ。服を脱いで制服の試着をするから、一人で脱ぎ着出来るようなワンピースに着替えていらっしゃい。居間で待っているわね」
「はい、母様」
ぺこりと頭を下げる。ルミナスは、レノオーラのことを『母様』と呼んでいた。生みの親と離れたとはいえ、向こうが本来の母なのだ。少し呼び方を変えて区別はしている。
レノオーラは子育てをしたことはないものの、真摯にルミナスに向き合ってくれていた。危ないことをしたら諭し、何がダメなのかを伝える。子供相手でも、しっかりと。
貴族、平民、身分問わず門戸を開いている学校に通うこともあり、ローズベリー家に来てから勉強の他に護身術も教えられていた。簡単なものだが、『貴族のくせに』と絡まれないとも限らない。
さすがにドレスへの着替えは無理だが、シンプルな衣服であれば一人で着替えられるようにもしていた。それに合わせた身支度もできるよう荷物を必要最低限にしたりすることなども、併せて教えてもらう。侯爵家に居た頃は護衛が付くのが当たり前だった。勿論、伯爵家でも護衛は付くが、学校の中までガチガチには付けられない。
ある程度、自分のことは自分で。そしてメイドにしてもらうことは彼女達にと、役割も分けるようにした。
「ワンピース…ワンピース…。よし、これにしよう」
ルミナスが選んだのは淡い若草色のワンピース。襟元に刺繍が入り、直してもらったペンダントとの相性も大変良いので、気に入ってちょくちょく着ていた。
部屋着を脱ぎ、ワンピースに着替えて軽く髪も整える。ペンダントを着けて小さなカバンを持つと居間で待ってくれているレノオーラの元に向かう。
「母様、お待たせしました」
「大丈夫よ。いきなり誘ってごめんなさいね」
「いいえ、お出かけできるのも嬉しいし、制服が楽しみなので!…デザイン可愛いのに実用的なので、早く着てみたいです」
「良かった、じゃあ行きましょうか」
促され、レノオーラと並んで歩く。
侯爵家から連れてきていたミリィにも着替えている時に事情を話したため、今回は彼女も一緒だ。三人揃って目的地を伝えてから馬車に乗り込むと、緩やかに動き始める。
「お昼ご飯を食べてから試着にする?それとも試着を先にする?」
「んー…。お昼ご飯を食べてからにしましょう!その…逆にするとお腹いっぱいの時の制服の着用感が、あの…」
もごもごと恥ずかしそうに口篭るルミナスに、ミリィもレノオーラも楽しそうに笑う。
「そうですねぇ、お嬢様。それは大切です!」
「いざ着てからお昼を食べてお腹が苦しい、だなんて、淑女としても有るまじきだものね」
「う…っ、はい…」
優しくルミナスの頬を撫でてレノオーラは微笑む。
ルミナスの隣に座っているレノオーラも、ミリィも、少し力が抜けたらしい彼女の様子に安心していた。




