それでは私、新たな人生を…………しまった忘れてた!!!!
恐らく、全員が「なんだお前その顔」と思ったことだろう。
何とも言い表し難い、見送るには不相応な表情で、マリアお気に入りのメイドに手を引かれてやって来ていた。そして案の定、ルミナスが身に着けていたペンダントを真っ直ぐ指さして睨みつけてきた。
「お姉様はやっぱりずるいわ!そのペンダント、私が貰ったはずよ!」
「は?」
予想していたよりも低い、冷たい声が出た。びく、と恐怖に震えるマリアだが、ぎっとルミナスを睨みつけたまま言葉を続ける。
「わ、私が身に着けたものなんかいらないから、あげる!みたいなこと、言ってたもん!」
「そういうことだけ覚えているのね。泥棒の癖に」
「っ…!」
「確かに言ったわ。でもね、そもそも私、あげたくてあげたとかいうわけじゃないもの。後もうひとつ忘れてるわよ」
「え、…えっ?」
「あなたにあげるくらいなら、壊された方がマシ、というのは覚えてないのね」
「え、え…、え?」
やはり都合よく解釈していたらしい。
そもそもあげたいわけではなかったし、ルミナスがどれだけあげたくないと必死に守っていたのかも理解していないしできていない。否、理解したくないので考えていない、という方が正しいのだが。
「マリア、どうしてルミナスのものを欲しがるの」
泣き腫らしてはいたが、どうやら色々と話して落ち着いたらしい母に呆れたように問われると、マリアは更に慌て始める。
「あなたには、あなたが欲しいものばかり、ちゃんとリクエストされた通りにあげていたわ。それなのにどうして……?……病気なのかしら…」
「違うもん!!」
「ならどうして、執拗にルミナスのものばかり狙うの……理解できないわ……」
隣の芝生は青い、ということなのだろうが、それをきちんと説明できないからただオロオロとして慌ててしまう。そして母の『理解できない』、『病気なのかしら』という言葉に呆然として立ち尽くす。冷静になった母の言葉一つ一つが、ここまでの破壊力を持っているだなんて誰が想像しただろうか。あのミーシャですら驚きで目が丸くなっている。
「あの、アイナ…その辺で…」
「だってルーク、お義母さまやお義父さま、レノオーラ様やライル様に言われて、私も色々と考えたの。この子ね、ディルのものは一切欲しがらないのよ?ルミナスのものだけ欲しがるの。何かの病気以外考えられないわ…」
「ちがう、もん」
ぼろぼろと涙を零し、泣きじゃくることを忘れてひたすら零れるだけ涙を零すマリアが痛々しく見えるが、ルミナスにとってはこれまでのことがあるので、あまり何とも思えない。
「おねえさま、が、かがやいてた、から…ほしく、て」
「これから先何でも手に入るじゃない」
「おねえさまがもつから、かがやいてるんだもん…」
「あら、マリアは意味が分からないのね」
「え…?」
ルミナスのものを執拗に狙う理由を詰まりながらも言っていたが、それも容赦なく叩き潰される。
そして、どこか不自然なほど機嫌のいいルミナスとようやく視線が合って、初めてぞわりとした感覚に襲われたらしい。
怒りは、勿論継続していた。
今身に着けているペンダントを欲しがり、恨みがましそうな妬むようなねっとりとした視線を向けられたあの時、霧散していた怒りが恐ろしい勢いで戻ってきた。そこからだ、どうにかしてこれを伝えてやらねばと思っていたのだ、ルミナスは。
「ぜーんぶ、あなたに奪われてしまったわ。お母様もお父様も、私が今まで貰ってきたものも、ぜーんぶ」
「あ、あの」
マリアは意味が分からず、ただ恐怖する。
「だから最後のひとつもあげなくては」
それは、ルミナスが今身に着けているペンダントではなかった。ルミナスが、伯爵家に養子にいくことでマリアが手にするのはひとつ。
「侯爵家長女、という肩書きもあげるわ。だから、」
ニィ、と一切笑っていない底冷えした眼差しを思う存分くらい、マリアはその場にへたり込む。
「今まで甘やかされたぶん、あなたはめいっぱい頑張りなさい?もう、『おねえちゃま』はいないのだから」
その時ディルはこう思っていた。
『あぁ、この家で一番敵にしてはいけないのは父でも母でもなく、ルミナスだったのか』…と。
マリアは、全て手にした。
ルミナスのこれまでの誕生日プレゼントやクリスマスプレゼント、褒められた時のご褒美までも、何もかも、ルミナスが持っていた物理的な持ちもの全てを。そして最後のひとつが、ルミナスにしか名乗ることの許されていなかった『侯爵家長女』という『立場』。
正確に言えば長女ではないものの、その家に現状いる女子はマリアのみ。事情をまったく知らない人からすれば、マリアが長女のようなものだ。
こうなってしまったからには、これまで通りになどならないと理解もしていたからこそ、愛されやすい性質を思う存分、幼子にしては最大限利用して立ち回っていたのだが、それももう無理。
人生を繰り返してきたルミナスだからこそ気付いたマリアのとんでもないずる賢さを、ここぞとばかりに利用してやった。
「それでは、さようなら。お父様、お母様、お兄様。…侯爵家令嬢・マリア様」
「っ、あ…」
「行きましょう、レノオーラ母様、ライル父様」
ルミナスは満面の笑顔で振り返り、伯爵夫妻に駆け寄る。
突き放したけれど、大好きな両親と、大好きな兄には笑顔で手を振った。
そして、マリアには『伯爵家令嬢』として社交の場で見せる貼り付けた微笑みを。
絶望して真っ白な顔をしているが、これまで思う存分甘い汁を啜りまくった天罰を受けてもらわないとルミナスは気が済まなかった。
「さようならー!!!こちらに顔を出す時はまた連絡しますわねー!!!」
ぶんぶんと手を振り別れを告げて、機嫌よく馬車の背もたれにもたれ掛かる。
「まったく。貴女もやる時は思い切りやるのねぇ」
「当たり前ですわ、おばあさま。こうしておけば、マリアは迂闊に私の所には来れないし、泣く暇もないほど忙しい淑女教育が待っているでしょうねー」
「スッキリしているわね、ルミナス」
「はい、レノオーラ母様!…ようやくですもの」
『これからの人生、思う存分満喫せねば!』と拳を握るルミナスに、アレクシスが特大の爆弾を落とした。
「お前さん、ヴィアトール学院に王太子殿下が通うと聞いて真っ青になっておらんかったか」
「………………あ」
機嫌の良さはどこへやら。
「わすれ、てた」
死の原因は一つではない。
ここも回避しないと、折角妹から離れた意味が無くなってしまう。
「王太子、殿下…」
自国ではないが、王太子は王太子。
何としてでも避けなければと、キツく拳を握りしめたルミナスを労わるようにレノオーラが物凄い勢いで世話を焼き、ライルも一体どうしたことかと悩む。
ミーシャとアレクシスは、互いに顔を見合わせ、そして思う。
『一体、どうして会ったこともない王太子にここまで怯えてしまうのか』、と…。
そして次回より第二章開幕でございます。
ちなみに、この後のマリアは姉が受けていたものより多少楽とはいえ、今までと比べ物にならない苛烈な教育が開始されます。
兄ではなく、両親の先導のもと。
『やれるならやれってんだ、ばーか』と思う兄は無論傍観を貫きます。
頑張れば褒めるけど、褒められて当たり前な態度を出したら最後。氷河期並の空気がマリアを襲う、そんな日々に早変わり。
早めにちゃんと、そうしとけば良かったんだよ馬鹿親め!!




