地雷の上でダンスをするかのごとく②
我慢ならない、言葉がある。
それは、レノオーラ自身だけでなくアレクシスやミーシャ、そして最愛の夫であるライルまでもを侮辱するもの。
自分だけに発せられるのであれば、いくらでも我慢した。事実だから。けれど今は違う。家族として迎え入れてくれた人達をも傷付ける言葉だと、そう思っている。
幼い頃、特殊な熱病にかかり、生死の境をさ迷ったことがあった。身体的に、表に見えるような後遺症は何も残らなかったが、身体の中に致命的なものが残ってしまった。
『将来、子を生すことが相当難しい……いや、不可能、だと…思ってください』
それを告げた時の医者の顔、聞いた時の父母の顔は今でも鮮明に思い出せるほどだ。貴族の女性として、子が成せないことがどれほど致命的な欠陥であるかは自分自身が一番理解していたからこそ、結婚することは無理だと思っていた。手に職をつけて一生独身を貫き通し、どうにかして独りで生きていこうと、そう決めようとしていた。
だが、見合いの席でライルははっきり言い切った。
「構わないよ。わたしは、君がいいんだ」
由緒あるローズベリー伯爵家に、このような欠陥品が嫁ぐなどあってはならず、恥をかかせてはならないと思い、必死に考え直すように告げたのだが、ライルは譲らなかった。
「子供はどうにかできるさ。いくら貴族が血を尊ぶとはいえ、流行病で死ぬこともあるだろう。育てても…まぁなんというか、駄目なこともあるだろう。なら、養子縁組でも問題ないとわたしは思っているんだ」
「ライル、様」
「血は繋がっているとはいえ、ローズベリー伯爵家を残すためにラクティ家から養子に来ているからね、わたしも」
ローズベリー伯爵家からラクティ侯爵家に嫁いだミーシャには、二人の男子と一人の女子がいたのだが、馬車による事故で女子を亡くしていた。
伯爵家自体はミーシャではなくミーシャの兄が当主になっていたのだが、夫妻どちらにも問題はなかったのだが子はできないままだった。このままではいけない、とラクティ侯爵家からの提案もあったことでライルが養子としてローズベリー伯爵家に迎え入れられたのだ。
「貴族としてわたしの考え方に反対する人は多いと思う。けれど、変わり者の貴族がいたって良いじゃないか」
その言葉にどれだけレノオーラが救われたのか、なんて。きっとライル本人はその時は分かっていなかったのだと思う。
泣いてお礼を言うレノオーラを慰めていたところに、たまたまやってきたミーシャが、『ライルがまだ婚約も結んでいないご令嬢を泣かせてしまった!』とうっかり勘違いをした結果、だいぶ凄い勢いでライルが思い切り引っぱたかれたが、それについては勿論訂正もしたし、当時のローズベリー伯爵家当主夫妻と、ミーシャやアレクシスを交えて、今後について話し合った結果、今の形に収まっていた。
そして、いざ跡取りをどうしようかというところに降って湧いてでたルミナスの養子縁組の話。
結果論的にいくと、とんでもなく物事が順調に進んでいる自覚はある。
子を養子に出す側からしたら無論、そうではないことは分かっていた。特に今回のような場合、優秀な我が子を養子になど、と反対されるのも目に見えていた。
「…ほんとうに卑怯ですわ、貴女は!」
叫ぶように言われたが、レノオーラは全く怯まない。
ふつふつと湧き上がる怒りを必死におさえ、膝に置いた手をきつく握りしめているせいで、手のひらに爪がくい込んで痛む。そんなこと、気にしていられないし、そもそも自分を始め色々な人を侮辱する言葉を発したこの人だけは、許せなかった。
反論しようとしたその時、レノオーラの目の前にミーシャ愛用の扇が、すい、と出される。
「お義母さま…?」
「おやめなさい、貴女がわざわざ同じレベルで言い返してやる必要はどこにもありません。胸を張っていなさい。貴女は、ローズベリー伯爵家当主夫人。そして、ルミナスの母となるのですからね」
言い返そうと色々な言葉が頭の中を巡っていたのに、その言葉で全てどこかにいってしまった。胸がすく思い、というのはこういうことを言うのだろうな、と理解する。
ミーシャの言葉にアイナは睨む眼光を鋭くするが、テーブルをぴしゃり、と打ち付けた扇の音に大袈裟なほど肩を震わせ、恐る恐るといった感じでそちらに視線を移す。
「みっともない真似をしないでちょうだい。そもそも、こうなったのは誰が原因だと思っているの。貴方たちでしょう?違っていて?」
「そ、それ、は、そうです、けど。で、でも…っ、お義母さま!」
「自分たちの行為、言動を棚に上げてよくもまぁレノオーラに対して人でなしな発言をあれだけぶつけたものです。…怒りを通り越して呆れてしまうわ。…よりにもよってディルやルミナス、マリアの前で言うなんて、ねぇ」
「……っ」
自覚はあったらしい。
娘達に見られていた、そして夫にも、息子にも。
少しだけ冷静になった頭で考えれば、どれだけ酷い言葉を投げ付けたのか理解できる。病気で、しかも自分が望んで子が産めなくなったわけではない人にかける言葉ではない。…人として。
「マリア」
「っ、は、はい」
ミーシャの呼び掛けにびくり、と反応する。
「あなた、散々ルミナスのものを欲しがっていたそうね」
「それは…あの、えっと」
「人が持っているものを欲しくなる気持ちは分かりますが、毎回それをやられてしまう側になってみなさい」
「お姉ちゃんなんだから…良いじゃないですか…」
ぷく、と頬をふくらませて小さな声で反論する。まだ言うか、とディルが口を開こうとしたが、反対にミーシャはにっこりと微笑んで言葉を続けた。
「そう、ならばマリアがお姉さんになったら同じように妹があれこれ欲しがっても全てあげるのね。立派だわ」
「え」
びし、と硬直した。
もっともである。
自分は姉であるルミナスのものをあれこれ欲しがり、泣き喚いて今まで散々言うことを聞かせてきたのだ。ならば、自分が姉になったときには同じようにするのが筋というもの。自分は欲しがって手に入れているくせに、他の人に対してそれをしないというのはどう考えても不平等だ。
「い、いやあの、えっと、返す!返します!!お姉様に返しますからさっきのは無しで!!」
「いらないわよ今更。バッカじゃないの」
「お、おねえさま…?」
レノオーラに対する発言、やり直せるかもしれないという期待を抱く両親と妹、色々と見ていたルミナスは『やさぐれる』という表現がこれほどまでに似合うのか、というくらいの投げやり感満載で言い捨てた。
実際、返されても困る。
マリアが気に入って使っていたものもあるだろうし、飾られているだけでホコリをかぶっているものもあるかもしれない。今更返されたところで、奪われたという過去は消えない。それに、ルミナスが奪われた品々が欲しかったのは、その時の年齢であって今ではない。
そして、ここまで突き放してようやく、マリアも理解してきたようで呆然としている。
「自分のものは奪われるのは嫌で、人から奪うのは良い。…ご立派ですこと」
父母と妹に冷めきった眼差しを向けてやれば、真っ青になった三人がそれぞれ何か言おうとしていたが、もうどうでも良かった。
最初に自分から奪い、踏みにじった人間に対しては実の親であろうと遠慮などしない。
「私、生憎と『お姉ちゃん』という生き物ではありませんので、もうここで家族をすることは嫌です。譲るのも我慢を強いられ続けるのも、妹の癇癪をぶつけられるのも、もう嫌です。私……いいえ、わたくしはローズベリー伯爵家に参ります。邪魔しないでくださいませ」
ハッキリと告げられた別れの言葉。
もう、伸ばした手は届かない。届くことはない。




