閑話「親」
少しだけ昔の、夢を見た。
妹が生まれ、少しの時間だけだけれど楽しみにしていた、護衛がいるとはいえ長女との二人だけの水入らずのお出かけ。アイナもルミナスの手を引いて、久しぶりの母娘水入らずの時間を過ごし、帰る間際に見つけた目を引くデザインのペンダント。「欲しい!」と珍しくおねだりをしてきたのが珍しくて、買ってやると本当に嬉しそうに微笑んで、大体の時には身に着けていた。
『おかあさま、ありがとう!』
きらきらとした目で嬉しい!と伝えてくれるルミナスの何と愛らしかったことか。
マリアが成長し、色々分かり始める2歳を過ぎたあたりから、やたらとルミナスの物を欲しがり始めた。あぁ、きっとお姉ちゃんの持っているものに興味を示しているんだろうなぁ、可愛いなぁ、と思っていたが、段々ルミナスの様子が変わってきていたように思う。
この時に窘めていれば、もっと違う未来はあったのかもしれないのに、一番言ってはいけない言葉ばかりを繰り返して、我慢を強いていた。
「どうしたら、良いの…」
ローズベリー伯爵家から届いた書簡。中身を確認して比喩表現などではなく震え上がった。
『ルミナスをローズベリー伯爵家の養女として迎える』
犬猫ではないから、『あげたくない』という表現はおかしいかもしれないが、それしか言えない。だが、ルミナスがこのままラクティ侯爵家にいたところで、マリアが何かしらやらかしてしまい、今よりも酷くなるのは目に見えている。それでも、嫌だった。
母としても、そして侯爵家夫人としても、ルミナスは本当に自慢の娘なのだ。
「嫌よ…っ」
これまでのマリアのやらかし具合。
両親を見つめるディルの呆れきった眼差し。
そんな環境にルミナスを置いていても良いのか、と問われれば、問われた人間ほとんどが『いや、やめてやれ』と言われることも分かっている。子供に対しての執着と捉えられるかもしれない。
「もっと早く…気付いていれば」
後悔した時にはもう遅い。実家の両親からも言われていたし、義母や義父からも口酸っぱく言われ、『大人なのだから分かる』とタカをくくっていた。
結果はどうだ。
ルミナスはマリアの癇癪に常に付き合わされて家を出て、ディルが帰宅した途端マリアの躾と言わんばかりの教育を容赦なく行っているではないか。親の仕事なのに、それを子にさせている。
情けなくて涙がまた浮かぶが、これが今ある現実であり、事実なのだ。どうしようもなく恥ずかしいが、受け入れるしかない。どうしても末っ子には甘くしたくなってしまう、というのは言い訳でしかなく、その結果として長女は家を出た。
距離を取っただけで、マリアがいい子になれば戻ってくると信じて疑わなかったが、その結果もどうだろう。散々だ。
ルミナスの声を聞いた途端、即出てしまったマリアの甘え癖。本人曰く『お姉ちゃんだから許してくれるし、最後は笑ってくれると思っていた』とのこと。実際はルミナスがマリアを見限ったことで、あの日マリアも相当な癇癪を引き起こした。
幸いだったのは、マリアに着けられているイヤリングが騒音とも言うべき泣き声を遮断してくれたことだろうか。
ローズベリー伯爵家からの書簡にはルークも顔面蒼白になった。まさかここまでしてくるとは想定もしていなかったのだ。
だが、ディルから聞いた言葉に更に顔色を無くした。
「あぁ、俺が提案したんですよ。ここにいるより、ルミナスは本来の優秀さを思う存分発揮できる。そして、きちんとした愛情をそそいでもらえますからね」
皮肉げに言われた内容に怒りで目の前が真っ赤になり、思わず拳を振り上げたが、どこまでも冷静な眼差しに射抜かれた。
「怒る、ということは図星ということですね。まぁ当たり前か…、父上と母上がマリアを散々甘やかすだけ甘やかした結果、ルミナスがあそこまで追い詰められてしまったのに、それを悪いと思っていないんですか、父上」
冷静に、冷えきった声で言われた内容があまりに見事な正論で、振り上げた拳は力なく垂れ落ちた。
「俺が今言っていることは、おじいさまとおばあさまからも言われていたのではありませんか?」
追い打ちをかけるディルの言葉には、何度も言われ、嫌というほど思い当たる内容があった。
父や母に『兄だから、姉だからと我慢を強いるようなことを言ってはならない。お前も兄だったから、言われて嫌では無かったのか?生まれた順は関係ない、どの子も大切な子のはずだ』と、何度も繰り返し言われた。マリアが生まれてからは特に。
今更になって身に染みた。そうか、こういうことだったのか、と。時は既に遅く、言われた内容を理解できた頃には、もう大切にしたい存在が一人減ってしまっていた。取り返しがつく、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせるようにしていたが、結果はもうこれ以上なく無理なところまで来てしまっていたのだから。
「父上、俺やルミナスを育てたようにマリアをどうして育てなかったのですか。…今更ですが、ね」
呆れたような、もはやどうでもいいというような声音で問いかけるでもないような内容にルークはきつく、唇を噛み締めた。
ルミナスが出ていってから約一年経過したというのに、蓋を開けてみれば何も変われていなかった。変わったのは、『つもり』だったらしい。
アイナとルークがいくら後悔しても、やり直したいと思っていても、もう取り返しはつかない。
ローズベリー伯爵家からの書簡が届くより少し前、彼らは馬車に乗ってラクティ家への道のりを進んできていたのだから。
ルミナスは馬車の振動を感じながら、ただ、隣に寄り添って手を握ってくれているレノオーラの温かさに甘えていた。
実家に向かうことが嫌だと思う反面、これでようやく最大にして最凶の根源との繋がりが断てるのだと思うとどこか安心できたのも事実だ。父母は恐らくライルやアレクシス、そしてミーシャには勝てない。彼らはただ今までの事実を突きつけ、認めさせるだけなのだから。
ようやく、これまでの死の原因の一つ目を越えられる。




