用意はできた
養子になる、ということを考えていないわけではなかった。ただ、自分からそれを提案してもいいものだろうか、という思いが強かった。
自分を受け入れてくれた伯爵夫妻の、『子供がいない』ことにつけ込むことにならないだろうか、と不安ばかりがよぎっている。けれど、もう我慢は限界に達していた。
崩れ落ちる寸前で通信機をオフにして、手で顔を被って泣いた。
もう嫌だ。
ほんの少し、僅かながらも期待をしようとしていた自分が情けなくて、甘ちゃんで、どうしようもなく馬鹿だ、と思った。
大切に守ってきた最後のペンダントも、もうない。
忘れた自分が悪いのは理解している。けれど、ならば、それを許可なく身に着けても良いのか?と問われれば否、であろう。
あの妹はそれを平然とやってのけた。
親も、妹も、もういらない。
声を上げて、泣きわめく、という表現がぴったりくるような泣き方をしたのはいつぶりだろう。どれだけ泣いても、どれだけ叫んでも、悔しい気持ちが後から後から溢れてくる。
「う、ぁ…っ………ああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」
あのペンダントをもらった時の優しい母親の笑顔が浮かび、そして砕け散った。
『ルミナス、よく似合っているわ。派手すぎないけれど華やかなデザインだから、普段にも着けていられるわね』
妹が生まれてから母親と久しぶりに二人きりで出かけた時に買ってもらった、大切なものだった。でも、もういらない。兄に『壊してくれ』と頼んだから、間違いなく踏み潰すなりして壊してくれているだろう。兄のことは何度も繰り返した人生経験から、信頼できる人だと理解している。
「もう、いや…」
床を叩きながら泣いて、顔もぐしゃぐしゃになって、綺麗に整えてもらった髪も、怒鳴りつけながら叫んだことで乱れてしまっている。泣きすぎて頭がくらくらとしてくる感覚に襲われ、そのまま倒れ込んだ。
目を閉じる瞬間、心配そうにルミナスの名前を呼んで駆けつけてくれているレノオーラが見えたような、気がした。
そして、そのまま暗く深いところにルミナスの意識は落ちていったのだった。
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「ルミナス…」
慌てたメイドがレノオーラを呼びに走り、ルミナスの部屋の扉を開いて駆け込んで来た時、もう幼い彼女は意識を失う寸前だった。
悲鳴をあげる時間も惜しく、駆け寄って抱きあげようとしたが、一瞬間に合わず、床にそのままくたりと倒れ込む。
「ルミナス…?…っ、ルミナス!」
悲壮な声を上げて姪の名前を呼ぶが、ぐったりとしていて目を開く様子はない。
真っ赤に腫れ上がった目元が痛々しく、すぐに冷やしタオルの手配をして慎重に抱き上げてベッドに運んでやる。そっと寝かせるが、ルミナスの手がレノオーラのドレスをきゅう、と掴んでいて離してくれそうになかったので、そのまま好きにさせつつベッドに腰をかけた。
優しく髪を撫でてやっていたが、あまりに痛々しい様子のルミナスに、胸が締め付けられるような思いがした。
「(どうしてこの子ばかり…)」
頬に触れて撫でてやっていたが、眠るルミナスがか細く呟いた『たすけて』という言葉に唇を噛み締めた。
「(子育てをしたことはない。でも…あの環境に絶対ルミナスちゃんを戻すわけにはいかないわ)」
夜にでも夫に話してみようと心に決め、少しずつ落ち着いて眠り始めたルミナスに安堵し、そっとドレスから手を離させた。
そして、戻ってきたメイドから、ディルの言付けを聞いてしっかりと首を縦に振る。
「奥様…」
「えぇ。…わたくしから、ライルに提案するわ。あんな様子のルミナスを侯爵家に返せると思って?」
「いいえ!ルミナスお嬢様は、戻るべきではない、戻ってはならないと私も思います!」
「ありがとう、とても心強い言葉ね。きっと、ルミナスも喜ぶわ」
滅相もございません、と続けたメイドに笑いかけ、通りすがったミーシャとアレクシスにもルミナスの状態を告げた。
そして、ルミナス付きのメイドから通信の内容を聞いて頭を抱えるアレクシスとは対照的に、ミーシャは冷たい眼差しでこう続けたのだ。
「元より戻す気はありませんでしたが、…そう…もう駄目ね。…書類を早急に整えましょう。レノオーラ、貴方はルミナスの心のケアをしてあげてちょうだい。『母として』よ、良いわね?」
「はい、お義母様」
腰を折って礼をし、己の夫であるライルに相談するべく執務室に。
そして、ミーシャもアレクシスに報告と、諸々の書類の手続きをとるためにアレクシスの執務室へと向かった。
末娘が可愛いのは理解できる。だが、末娘だからこそきちんとする必要もあるのだ。我儘を許し、ルミナスを一人犠牲にし続けた結果の末が、これである。
心を壊す寸前まで泣き、そして倒れた。
可愛い孫をそこまで追い込んだ我が子について、これっぽっちも許してやるつもりはない。
『やり手』と名高いアレクシスの手腕は尚も健在。そしてライルも頼もしい伯爵家当主になったものだ。
だから、これを利用しない手はなかった。
徹底的に外堀を固めて、最終通告はルミナスからさせてやろう。
相手にされないからと癇癪を起こしヒステリックに泣き喚き、ルミナスに全てを押し付けていたマリアのことはもう必要ないと、ローズベリー伯爵家一同は理解していた。
情報共有がされてからはあれよあれよと話は進む。
ライルも勿論ながら優れた伯爵として名を馳せている。
そんなライルと、かつてよりこれまで『やり手』と呼ばれ続けたアレクシスが総力をつぎ込んであっという間に養子縁組届を作成してしまう。
迎え入れ先はとっくに記載して欄を埋めた。後は、本人の署名と、養子に出す家からのサインのみである。




