それでも兄なのだ
兄、自覚をさせる。
「さて、マリアはどれだけいい子にできているのかな?」
年相応の扱いどころか、もっともっと幼年期の子にするような問いかけ。
マリアはそれに気付かず、両親はいたたまれないまま複雑な表情を浮かべている。
マリアはプレゼントにつられて上機嫌になっており、いい子、という言葉を示すように自信満々でカーテシーを披露した。
───が。
「で?」
呆れたような兄の声に、マリアはきょとんとした。
こうしてカーテシーを披露できたことですら、実はマリアにとっては成長の一歩目なのだが、兄にとっては『たかがそんなこと』なのだ。
基本中の基本。
貴族令嬢として、教育を受ける中で礼儀作法が当たり前とされる中でどうしてカーテシーを披露するくらいで、こんなにも誇らしげになるのかと、ディルは不思議でたまらなかった。
「カーテシーくらいでそんな自慢げにされても…」
本気で困惑しているディルの様子に、マリアは慌てて両親を振り返り、『お兄様が!』と言わんばかりに指をさす。
だが、もう両親は助けてくれない。
「マリア、一応聞くけれど…今どんな勉強をしているんだ?」
「あ、え、えっと……、基礎教育?をやってて…、でもあの、苦手なものばかり、で」
「まって。……基礎教育?」
ぴしり、とディルは硬直した。
そして両親に視線をやってじっと見つめ続ける。
「父上、母上、基礎教育は…せめて5歳までには終わらせておくものなのでは…」
問い掛けるというより、『何でこんなになるまで基礎教育すらやらせなかった』と、言外に非難を纏わせて告げると両親はがっくりと項垂れた。
「その、…マリアは芸術方面に才能があったようだから…そちらを伸ばそうと…」
「母上、それを本気で仰っているのであればもう今すぐにでも引退してください。才能を伸ばすのは当たり前として、そんなことよりも基礎を身に付けさせないと、どこにも出せないでしょう?!貴族をなんだと思っているのですか!」
ぐうの音も出ない、出すことのできない正論に母親は項垂れる。
ここまでだとは思いもよらず、ディルは困惑したままマリアにゆっくりと視線を戻す。
どうやら褒めてもらえずご立腹なようで、めいっぱい涙をためて、今にも泣き出しそうだが、『ご褒美』につられて必死に我慢しているようだ。
普段ならば躊躇なく大声で泣き喚き、どうにかしてきたマリアだが今回ばかりは相手が悪い。
兄であるディルはとても公平な物の見方をするため、理不尽なことや間違っているであろうことには基本的には折れない。時としてそうした方がいい場合もあるから、それはその時で判断する能力を持ち合わせている。
そうなるように周りが教育してきたのだから。
そして、長女であるルミナス。
基礎教育を行いながら、同時に他の教育ももちろん受けていた。
長女であるから、家同士の繋がりとしての婚約をしなければならない可能性が大いにあったから、何処に出しても恥ずかしくないよう淑女教育が行われていた。
王家主催のパーティーや公爵家に呼ばれる時のための上級貴族向けのマナーに始まり、パールディア王国の歴史や成り立ち、領地経営についても。
権力にそこまでこだわりが無いとはいえ、侯爵家令嬢という立場を考えれば、王子の婚約者とされることもあるかもしれない。
様々な可能性を考えた末の厳しい教育。由緒ただしき家系に生まれたのだから、それは『やらなければならないこと』なのだ。
貴族としての義務を果たすべし、と。
幼子にある時は厳しく、心を鬼にして施された教育だったが、マリアにはどうやらそれが一切成されていない。
「どうして、どうしてお兄様は褒めてくれないの!」
ついに涙腺が決壊したらしく、大粒の涙を零しながら叫ぶマリア。
自分の教育が他の貴族子女よりも遅れているという自覚は、残念ながら一切無い。
それもこれも、両親のこれまでの教育の賜物のせい。
実際に叫び声を聞くとここまで声量を出せてしまうのかと、斜め上の感心をしてから懐から小箱を取り出した。
そして、作り上げた笑顔を浮かべてマリアと視線を合わせるようにしゃがんでから、妹の髪をそっと耳にかける。
「褒めるも何も、マリアよりも歳下の子供ですらカーテシーはできる子がいるからね。まぁいい、それでもできないことができるようになったのは一歩前進だ。だから」
小箱から取り出したのは、淡い青色をした魔石が埋め込まれた、かなり複雑な造りのイヤリング。
「まぁ、それに免じてご褒美をあげよう。マリアにとってはご褒美でもなんでも無いけど」
兄の言葉の意味をマリアが理解できないまま、手早く装着し、そして手のひらに淡く魔力を広げ、イヤリングを魔力で閉じ込めるように包み込んだ。
「ロック!」
ぱちり、と鍵がかかるような音とマリアが目を丸くしたのは同時。
見た目だけはとても綺麗で可愛らしいイヤリングに嬉しそうに笑みを浮かべ、嬉しさのあまり兄に抱きつこうとしたが続いた言葉に今度こそ泣き喚いた。
「それ、マリアの喚き声や叫び声をある一定距離……とはいっても自分自身から半径1メートルくらいは遮断してくれる優れものなんだ。そして、それが聞こえるのは大声を出した本人にだけ。普段からお前がどれくらいうるさいのか、しばらくの間身をもって体験しなさい。あと反省も」
言い終わるが早いか、マリアは大きな口を開けて何やら叫んでいるようだ。
唇の動きからするに、『人でなし』『悪魔』『お兄様なんかいなくなって』だろうか。だが、それら全ては周りには一切聞こえない。
使用人達も目を丸くしているし、叫び声の主が一番驚いているようだ。
──自分の張り上げた声の大きさに。
騒音と言っても過言ではない大きな声が、反響するかのように空間内に響き渡る。
鼓膜は破れはしないだろうが、それでも大声。特に子供特有の金切り声だから、凄まじい破壊力をもっていることだろう。母は慢性的な頭痛に悩まされているようだから。
全てマリアに跳ね返っている。
あまりの声の大きさに耐えきれなくなったのか、はたまた衝撃が大きかったのか、両方なのか。
さすがに少し反省したらしいマリアだが、くわんくわんと頭の中で響く己の声に負けてしまい、その場にぱったりと倒れ込む。
「やっと一つ自覚したか…」
はぁ、と大きく長い溜め息を吐いて両親をじろりと睨みつけるディル。
「父上、母上。マリアが寝ている間に教育スケジュールの見直しをしますよ。さぁ早く」
寝ている、というよりは気絶しているし、ディルのキビキビとした対応を見て老執事は思う。
『これでは一体どちらが子供か…』と。
それほどまでに長男・ディルの怒りは凄まじいもので、あれやこれや話し合っている間、両親の言葉を見事なまでに論破しまくった挙句、マリアの10歳までの教育年間スケジュールをディルは作り上げてしまった。
それでも兄と妹の関係はあるし、切っても切れない血の絆もある。
本来はもっと苛烈な教育スケジュールにしようかと思っていたが、やはり可愛い妹。
ほんの少しだけ、優しさが織り込まれた(それでもマリアからすれば苛烈極まりないが)教育スケジュールが組み上げられたのだ。




