嵐の前の静けさ(多分静かにはならない)
侯爵家でマリアの泣き声がけたたましく響き渡っていたその頃、長男のディルは隣国にて留学生活最後の休日を過ごしていた。
二人の妹とは歳が少し離れていて、現在ディルは15歳。
歳は離れているが三人は仲も良く、特にこれといって問題は無かった。
今この瞬間までは。
「…すまない、もう一度言ってもらえるか?」
侯爵家からの定期通信。
普段ならば父、もしくは母からの連絡なのだが、珍しく老執事からのものだった。
驚きはしたものの、父母が忙しいのだろうと己を納得させて現状報告を受けていたのだが、妹たちに関しての報告で思わず目を丸くした。
「ルミナスが、家を一旦出た?」
「…はい、坊っちゃま」
「その原因が、マリアの癇癪の酷さ?」
「…申し上げにくいのですが、誠にございます」
「…はぁ…?」
報告を受けてディルは呆れ返った。
家を出たルミナスにではなく、父母に。
ルミナスは7歳、マリアは6歳。幼いとはいえ、二人とも侯爵家令嬢であり、それに相応しい振る舞いを身に付けなくてはならない。
幼いからできない、は理由にならない。やらないか、やる気が無いかの二つだと判断されてしまう。
ルミナスは長女ということもあり、長男であるディルよりはマシとはいえ厳しく躾けられていたように思う。その甲斐あってか、贔屓目かもしれないが何処に連れて行っても問題ないくらいだと感じている。今の時点でも。
だが、マリアは兄と姉が優秀であったから、そして末娘でもあったからこそ、両親は無意識に甘く育ててしまったのかもしれない。聞こえてくる限り、マリアの家庭教師は令嬢教育をされる中で既に片手で足りないくらいには代わっているのだから。
「で、ルミナスは今どこに」
「先代様ご夫妻と共に、隣国に向かわれました」
「ローズベリー伯爵家か」
「はい。お嬢様はそちらで学院に通われるとのことです。なんでも…魔道具に興味をお持ちのようでして」
「なら、ヴィアトール学院だろうな。あの学院は魔道具研究に関してずば抜けているから」
ふむ、と納得してルミナスの行動の思い切りの良さに微笑みを浮かべる。
実際、ディルが居た時からマリアの癇癪は酷かった。というより、実年齢も幼いが、精神年齢はそれよりももっと幼く感じる程だ。6歳になるのに、姉のことを『おねえちゃま』と呼んでいるのがいい例だろう。『お姉様』と呼ぶのが一般的だろうに…と、思うが指摘されると口を出すなと言わんばかりに泣き叫ばれたそうだ。あまりにそれが五月蝿すぎて注意した方が諦めたとか。
「…困ったものだな、マリアには」
「わたくしめからも、旦那様にはご注意申し上げておりましたが…ここまで拗れて、お嬢様が屋敷から離れて、ようやく事の重大さにお気づきになられたようです」
「それもそれでまた…」
老執事、ディル揃って思い切りついたため息が見事に重なった。
二人がため息を吐きたくなるのも当然だろう。
まさかこんなことになるとは思わなかった、ではすまない事態になっている上に、現在進行形でマリアの癇癪がとんでもないことになっているとは。
「…もしかして、後ろで微かに響いてる猿みたいな高音は…」
「もしかしなくとも、です」
ルミナスとは定期的に手紙でも、こうして通信型魔道具でもやり取りをしていた。その時に少しでも愚痴を零していてくれれば、とは思うが、幼いながらも兄のことを考えてだったのだろう。黙って、隠し通して、自分で抱え込んでしまったようだ。
不甲斐ない兄でごめんね、と心の中で謝罪はするが、膨れ上がってくるのは末妹と、己自身への怒り。
もっとルミナスと話をしていれば、もしかすればこの事態に気付けたかもしれない。
そして、いくら泣き喚かれようがマリアを叱りに戻るべきだった。実際、躾は父母の役目だが末にこれほどまで甘いだなんてどうして想像ができようか。
とりあえず避難できた妹は大丈夫だと思う。何ならもういっそ、子がいないローズベリー伯爵家の養子になってしまえば良いとまで思う。現当主夫妻は人あたりも、そして人となりもとても良いし、教育環境もきちんと整えてくれるだろう。ルミナス自身、向上心の塊のようなところもあるから、祖父母も揃っているあの家ならば侯爵家にいるよりものびのびと、そして色々なものに打ち込めるに違いない。
「ルミナスについては問題ないとして…背後から聞こえてくるその奇声にも近い喚き声は、何とかする必要があるね」
「…旦那様も、奥様も、どうにかしようとはしておりますが効果が見られず…もう、どうしたら良いのやら…」
「そろそろ、僕がそちらに帰る。それまで耐えてくれ」
聞いている方がヒヤリとするような冷たい声で、そう告げた。
老執事は、勉強が嫌で泣き喚いて家庭教師の話を一切聞いていないであろうマリアを初めて不憫に思った。
現ラクティ侯爵家の中で、恐らく一番濃く祖父母の感覚を受け継いでいるディル。妹であろうと親戚であろうと、友であろうとも容赦なく叱り付ける。その恐ろしさたるや、あのルミナスが震えて縮こまり、即座に泣いて謝るし二度と同じ間違いを決して繰り返さないほどだ。
そして、ディルはルミナスが家を出たことに怒っているのではない。どちらかというとそれには賛成だ。
あくまで、怒っているのはマリアの癇癪に対して。それを使えば、周りの大人が何でも言いなりになってきてしまっていたのだから、環境に恵まれなかったとも言えなくもないが、いつまでもそれを必殺技のように使われては、将来が危うくなる。
侯爵家令嬢としても、一人の人間としても、品性を疑われるようなことをするような人間に育ってはほしくない。兄として、侯爵家の一員として。
「父上の怒りなんて、マリアにとってはぬるいものだからね。なら、嫌われてもいい、僕がやる。…アレを、あのまま育て上げるわけにはいかない。迷惑を被るのは僕とルミナス、ひいては侯爵家全体になってしまうのだからね」
老執事の返答を待つことなく、通信機を切断した。
帰国したら、残りの学生期間の二年間を高等学院に通い、勉強の仕上げをしつつ侯爵家の仕事を覚えながらできることを増やしていこうと思っていたのに、とんでもない地雷が実家に埋まっていたものだとディルは溜息をつくが、同時に拳を握った。
妹といえど、容赦などしてやらない。
兄、次回帰宅します




