一方その頃、
ルミナスがいなくなった実家、もといラクティ侯爵家。
ルークは今更ながら、昔から仕えてくれている執事に娘たちへの態度の差を諫められていた。
何度も執事は諫めてくれていたのだが、娘可愛さに何故か聞く耳を持っていなかったのだ。普段の侯爵ならば耳の痛い話もきちんと聞いてくれるのに。
曰く、『マリアはルミナスの言うことならば、癇癪を起こしつつも最終的にはきちんと聞いてくれるからだ』と。
すっかり項垂れた己の主の台詞に、執事は頭を抱えた。
「…旦那様、わたしも子を持つ親として言わせていただきますが…」
こめかみがひどく痛く感じる。
大きくため息をついて、真っ直ぐ主人を見据えた。
「ルミナスお嬢様は、マリアお嬢様の教育係ではございません。まして、親でもございません」
「わ、わかっている、んだ…」
「10歳にも満たないわが子に、何を期待しておられたのかは存じませぬが…ルミナスお嬢様のお付きの者からは幾度もわたしや奥様、旦那様にも苦情が来ていたのは無論存じておりますね?」
「…はい」
父・ルークの甘すぎる、そして親として駄目すぎるところだ。
侯爵としての領地経営の手腕、政治的思考はしっかりしているというのに、どうして子育てとなると面倒なことを完膚なきまでに避けきるのか。
「過ぎてしまったことを言ってもどうにもなりませんが、肝に銘じてくださいませ」
ルークが幼いころから仕える老執事は、低く、そして重い口調で続けた。
「マリアお嬢様の癇癪癖が直らなければ、ルミナスお嬢様はここに戻ることはございません。そうさせたのは、ご両親であるあなた方です」
「あぁ…その通りだ」
改めて突きつけられ、ルークは頷く。
そしてルミナスの言っていたことを思い出した。
『マリアが泣き喚いたら、耳を塞ぐことをお勧めする』と…。
本当に、どこからあの声量が出ているのかと疑うほどの大音量で泣き喚く。これをルミナスに押し付けていたのも親である自分たち。
謝りたくても謝れないが、ルミナスはそんなこと望んでいない。
「マリアの家庭教師を、一新する。泣き喚かれるくらいならばと、もうこれ以上甘やかしすぎるわけにはいかないからな」
「そうなさいませ。手配いたしましょう」
「泣こうが喚こうが、動じない人が良い。これ以上、マリアの思い通りにさせすぎては、侯爵家令嬢として致命的だ」
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マリアに、家庭教師の一新を伝えたところ、みるみるうちに目に涙を溜めていく。
すぅ、と息を吸われたその瞬間、ルークは口を開いた。
「泣こうが喚こうが駄目だよ、マリア」
「え…」
泣く前に先手を打たれ、マリアは青ざめた。
「今まではルミナスが何とかしてくれていた。だが、もう駄目だ」
「ぱ、ぱぱ、ど、して」
ひっく、としゃくりあげ、愕然とした様子で父を見上げるマリア。
今までのような諦めにも似た甘い感情は、もう見られなかった。
「ルミナスは、我が侯爵家令嬢、長女としてマリアよりも小さいころから厳しい教育を受けてきたんだ。ディルについては、もちろんそれ以上に厳しくしていた」
「あ、あたし、」
「次女だからと甘くしすぎてしまったようだ。お前にも、ルミナスにも申し訳ないことをしたと思っている」
最初からこうしていればよかったのに、と。同席している執事は心の中で深いため息を吐いた。
恐らくルークは『次女だから』と甘やかしていたのだ。無意識に。
欲しがれば与え、悪戯も許し、勉強から逃げても許していた。
次女だから、ほどほどでいい、と思っていた。
ルーク自身が侯爵家長男としての厳しい教育を受ける一方、現ローズベリー伯爵家当主である弟のライルは比較的緩い扱いであったのだ。
だから、二人目、もとい次女はそういうものなのだと思ってしまった。
だが、ルークが知らなかっただけで、ライルは伯爵家存続のためにローズベリー家へと養子に出され、緩いとはいっても伯爵家長男として厳しい教育をされていた。
その後、レノオーラを娶り、子はできずとも夫婦で伯爵家領地を運営している。
子ができないのはレノオーラが幼い頃にかかってしまった病が原因での不妊であると知っても離縁せず、現在に至っている。
親戚から何と言われようと、『家の問題でもあるが、まずは我らの問題なのだ。直系の関係者同士で話した後、決定事項を申し伝える』と、それで全て通した。
そして、姪であるルミナスとマリア、侯爵家長男で甥のディルを区別することもなく慈しみ、接している。
何となく、己の状況を察してきたらしいマリアの顔色は悪い。
甘やかされてきた今までの平和な時間が、もうなくなってしまうが、それは『本来に戻るだけ』ということなのだが。
「ルミナスがいない以上、マリア。君がしっかりしないといけないんだ」
「おねえちゃまを呼び戻してよぉ!そうしたら!」
「…呼び戻して、マリアはどうするんだい?」
「それ…は」
「逃げて先延ばしにして、先延ばしにした先でもっとつらい思いをするかい?」
「パパ!」
金切声に近い、悲鳴のような声に、ルークも執事も顔を顰める。
父を呼ぶ声には拒否しか滲んでいなかったが、もう許せない。許容してはならないのだ。
「マリア、もう駄目だと言っただろう?泣いてももう、家庭教師の先生は帰らないし、勉強が続く」
「いやぁ!」
「なら、どうしたいんだい?」
「っ、うぐ、ひっぅ、うわあああああああああああああああああああああああああああああん!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ついに我慢の限界が訪れ、とんでもない声量で泣き喚き始めた。
父は顔色を変えず、執事と共に部屋を出て行った。
今までならば、必死にマリアの機嫌を取ってくれて慰めてくれていたのに、一切何もせず、無言で退出していった。
泣きながらも様子をチラ見していたマリアは愕然としてぴたりと泣き止んだ。
「…パパ…?」
涙は驚くほど早く引っ込んだ。
姉がいた時も、これほど早く泣き止んだことはない。
どうして、どうして、どうして、と。心の中で繰り返した。
だが、今までを壊してしまったのは他でもないマリア自身なのだ。
泣いて喚いて勉強から逃げて、自分の得意なことや好きなことだけはやってきた。
ピアノやダンス、刺繡に詩を読むことは極めて高い能力を示してみせたのだ。
だから、勉強ができなくとも許されてしまっていた。
面倒なことは姉に、兄に、任せ切り。
そういう下地を作ってしまったのは両親だが、その両親が教育方針を変更した。
マリアの感情は捻じ曲がった方向に向かう。
―――姉が、ここから逃げ出さなければ、わたしはずっと楽しいままだったのに、と。
本来戻るべき方向に梶をようやくきった親と、ぬるい場所に居続けたかった妹。
まぁ泣き喚くよね、って。




