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たそがれ

作者: 夢の中

 昔違うサイトで挙げていた作品を直してあげなおしました。



 ごんしゃんごんしゃんと彼岸花の歌を口ずさみました。北原白秋の詩です。歌はどこか不気味で、そしてじんわり腹の底を焼くように攻めます。彼の詩が好きです。ごんしゃんと呟きながら赤く弾けた花火のようなその花を摘みます。


 彼岸花にはいろんな名前と、そして怪談がありますが、一番好きなのは祖母から教えてもらった話です。


彼岸花を摘むと、家に帰れなくなってしまう。


それを確かめるために何度も花を摘みました。パキッと気持ちよく折れる茎からは水が滴ります。花のように真っ赤な液体が垂れたら面白いのに。そう思いましたが、垂れるのは透明な青臭い汁だけです。そして、家にはいつだってちゃんと帰ることができました。


 夕暮れの校庭には、今まさに校門を出ようとしている生徒以外には誰もいません。風邪を引いてしまった僕は、迎えが来るまで帰れません。保健室の先生は親御さんにもう一度連絡してみるわねと数分前に出て行きました。お母さんはどうしたんだろう。

 もしかしてもう迎えに来てくれないのかも。そう思うと胸がザワザワと落ち着かなくなってきます。お母さんは昔のようには泣いてくれません。

 しんとした保健室。白い壁に赤い赤い夕日が差し込んでいます。ふと、北原白秋の詩を思い出します。金魚を殺してしまう詩です。この気持ちをどうにかするには何かを壊さなくてはいけないとそう感じます。ここは保健室。壁の棚にはアルコールの入った瓶とガーゼを切る鋏とがあります。近づいてそのガラス戸を引きましたが、鍵がかかっていました。

 帰ろう。そう思い支度を始めます。こんなに熱があれば無事に家に着けないかも。ランドセルを背負うと、すこし足下がフラフラしました。よろけて転びそうな僕の腕を誰かが掴みました。

「ねぇ」

と声変わり前の誰かに似た声で話しかけてきました。僕は何も考えずにただゆっくりと振り返りました。腕を掴んでいるのは同じぐらいの背格好をした少年です。首を傾げています。不思議と輪郭がぼやけ、顔も姿も赤黒く滲んでいて認識できません。黄昏時だからでしょうか。少年はじっと僕の手と自分の手を見比べています。そして、僕の足元をみました。僕の影を踏むように二、三度足踏みします。そして俯きながら腕を下ろしました。

 くるっと向きを変えるとすぐに下駄箱へと歩いて行ってしまいます。僕は、その後を追って外へと出ていきました。


 

 数分歩いたのでしょうか。頭がぼんやりとして時間の感覚が曖昧です。夕暮れの空はいつまで経っても真っ赤です。

 辻に女の人が倒れています。その人は一目で人間ではないことがわかりました。

 無視して通り過ぎますが、何度も何度もその場所に戻ってきてしまいます。通るたびに女の人ははそこで倒れています。

 違うのはその女の人がだんだん腐っていくことです。しかし、それは死体ではありません。死体の幽霊というのも不思議ですが、実態はありません。触れられないし臭いもしません。もちろん、触ってはいません。その人は少し透けているのです。

 だんだん腐っていき、しまいにはなにかにつままれてどんどん小さくなって完全に骨だけになってしまいました。その人に触れられる人も動物もいなかったため、何に食べられたのかわかりませんが、その死体がまだ肉体を持っていた時に、おそらく獣に食べられたのでしょうか。死体が肉体を持っていた時など矛盾していますが。

 あれなんだろうねと少年の背中に尋ねると、少年はこちらを見ずに帷子ノ辻と答えました。これは九相図という絵の一部です。九相図とは死体が朽ちていくのを九段階に分けて描いた絵で、檀林皇后や小野小町など美人をモデルにしています。檀林皇后にいたっては、仏教の諸行無常を表現するために亡骸を放置させたという逸話もあります。そしてこの光景もそれとおなじでした。


「諸行無常?」

少年の声は不思議と僕に似ていました。

「全てのものは移り変わるってこと。」

少年はそのまま歩き続けます。



 少年にはずっと昔から辻の女の人以外にも首のない女や、池の縁に立つびしょ濡れの少女など様々なものが視えていました。その度に、思わず声が出てしまい、周りに不審がられれましたが、誤魔化してきました。そんなたまに様子のおかしくなる少年は、不気味がられましたが、普通の家族がいた時はまだ周りの人々と親交をもてたのです。しかし、転機は少年が12歳の時に訪れました。住んでいた場所が洪水に襲われたのでした。両親と近隣の人々数十人が飲み込まれて亡くなってしまいました。そして、少年にとって不運だったのは、家が濁流に飲み込まれたのに、少年だけが生き残ってしまったことでした。


 昭和も中頃の時期でしたが、犬神を信仰する集落が残っていたように、まだまだまじないは生きています。そして、閉鎖的な少年の住む田舎は、遅れた田舎の例に漏れず陰陽師の信仰が盛んでした。陰陽師といっても、平安時代の安倍晴明のような中央に務める由緒正しき公務員は一握りです。ほとんど村の呪い屋と言ってもいい、力があるのか無いのかも判然としない怪しい占い師でした。しかしそこでは今だに信仰を集めていました。

 近隣の村の人々は、少年が呪われているため村の鎮守様の怒りを買ったと陰陽師に相談に行きました。怒りを鎮めるためにはどうしたらいいのかと。呪いが存在しているなら、その対象を遠ざけるか無くしてしまえばいい。しかし、呪いの存在も、妖の存在もなにも感じられない陰陽師は、それらは存在していないと思っていました。そして、政府がこれらを排除しようとしていることも知っていました。つまり、呪いを理由に人一人を排除することは出来ません。してしまったら、罪になってしまいます。

 呪いが存在する前提で、地位を保てている陰陽師は困りました。呪いなどないから、その少年に、理不尽な罵声を浴びせるのはやめなさいなどと言ってしまったら、排除されてしまうのは、自分です。つまり何かしらのパフォーマンスをする必要がありました。人々の信仰を集められる口達者な男です。勉強は得意でした。そこで文献を読み漁りました。なにかしら、説得力のある呪術的パフォーマンスを少年にさせ、これで鎮守様の怒りはおさまったと村の人々に言えば良いのです。陰陽師は、一つ有効そうな儀式を実行することにしました。

 陰陽師が知らないだけで、不可思議な世界というのは確かに存在していたのですが。


 丑三つ時、少年は、村の鎮守様へと続く石段を一人登っていました。顔には仮面をつけ、簡単な水干の様な衣装を纏い、手には祠へ納める札を持っています。人っ子一人いない寂しい新月の夜。闇はまとわりつく様に辺りに満ちています。

 陰陽師が、たいそうな巻物を読み上げながら、少年に儀式の説明をしました。要約すると

「丑三つ時、仮面で隠し正装をして、お札を納めに行く。」

だけです。しかし、約束事が二つありました。一つは顔を見せてはいけない。もう一つは帰り道に振り返ってはいけない。この二つです。

 お札を納め終わって帰路に着いています。しんと静まり返った境内。行きはヨイヨイなんて歌を思い出しましたが、なにも不思議なことはありませんでした。儀式の間中、幽霊もみていません。少年はこんなことになんの意味があるのだと少し憤りました。

 何も見えない夜道を提灯で照らしながら石段を降っています。あたりは不気味なほど静かです。

 静かすぎて、嫌なことばかり考えてしまいます。幼い頃、教科書で見た詩が蘇りました。


ほうほう蛍、篠蛍

晝間は赤い豆頭巾

日暮はピカピカ豆袴

一のお宮で灯を貰うて

二の宮田圃へ灯とぼしに

三の鳥居は藪の中

四の宮くぐれば貉堀

貉が啼き出しゃ雨がふる

早よ早よお戻り夜は凄い

真夜中過ぎれば歸れぬ

ほうほう蛍、篠蛍

水神様はまだ遠い


北原白秋のほうほう蛍。幻想的な詩ですが、少年はずっとこの詩が嫌いでした。行って帰って来られぬ参道を、真夜中一人で歩かされている男の子を歌っているようでならないのです。


ニヤついた顔の村人が男の子に火のない提灯を渡します。

「一ノ宮で蛍を捕まえて足元を照らしなさい。」

「二ノ宮で蛍を一匹お供えなさい。」

「藪の三ノ宮を過ぎて、四ノ宮で水神様にお祈りなさい。」

村のお役目に選ばれた男の子は誇らしげです。水神様に雨を降らしてもらうのです。

「わかりました。きっとやり遂げてみせます。」

意気揚々と出かけていき、一ノ宮で蛍を捕まえました。

二ノ宮で蛍を一匹捧げ、三ノ宮の藪で残り全てが逃げ出してしまいます。暗い夜道を泣きながら歩きます。四ノ宮はまだまだ遠く、明かりのない男の子には辿り着けません。

村人は、男の子がたどり着けないのをわかっています。

男の子は水神様の生贄なのです。

先生は、そんな話はしませんでした。しかし、少年にはそんな詩に思えて仕方ありません。


今の自分と同じじゃないか。

明かりのない暗闇の中、少年はただただ石段を降りていきます。



 虫や獣も息を潜めています。サッサッと草鞋の軽やかな足音だけが響きます。サッサッ…ズリ…サッサッ…ふと、自分の足音に混じって音が聞こえました。サッサッ…ズリ…。

やはり、聞こえる。立ち止まると音も止ります。

サッサッ…ズリッズリッ…ズリッ…音がだんだん近くなっていきます。

 

 そして、すぐ後ろで

「ねぇ…」と声がしました。

 怪異の中にはそれを認識してしまったら取り込まれてしまうものがあります。例えば、くねくね。見るだけではなんの異変もありません。ただ、それについて考えてはいけないのです。それの正体を知ってはいけない。そいつもその類の怪異でした。

 仮面を少し持ち上げて振り返るとそこに黒い影がありました。パッとみた瞬間、それが恐ろしいやつだとわかります。持ち上げた仮面が震える手から落ちます。そしてすぐ目をそらしました。今まで遭遇したことのない恐怖に腰が抜け、石段にへたりこんでしまいます。黒い影には見覚えがありました。考えてはいけないと言い聞かせますが、その正体を考えてしまいます。

「ねぇ…」

再び、声がしました。よく聞いたことある声です。声変わりの前の高い声。

「やめて…どっか行って…」

と耳を塞いで、目をギュッとつぶり、どこか行けどこか行け!と念じました。

「ねぇ!!」

怒鳴るような声に、気づいてしまいました。

それは自分の声でした。



 怪異の正体に気づいてしまうと、怖さは無くなりました。振り返ると誰もいません。いつのまにか空は赤く染まっています。その中に、自分一人だけ立ち尽くしていました。


 この気味の悪い世界に来るのはこんなに簡単でしたが、帰るのはとても難しい。そもそも帰り道はあるのでしょうか。


 今では自分が人間であったかも怪しくなってきました。もともと自分は怪異だったのでしょうか。なにもわかりません。自分の存在も危うく、延々と繰り返す自問自答に精神も擦り切れていきます。自分の存在を確かにしてくれるものなど何もないことを知りました。


 辻で倒れる女の人を尻目に彼岸花を摘みました。帰る家が無い自分に、この花は用無しです。手に持った赤い花と同じくらい赤い空に、カラスが飛んでいます。この女は何のためにここにいるのだろう。僕に諸行無常を解くつもりなのか。


 何年、何十年と経った気がします。あるいは1日も経っていないのかもしれません。ふと思いました。少年を引き入れた怪異はどこへ行ったのでしょう。

 急いで石段をかけます。落とした仮面がありません。怪異が拾ったのでしょうか。なぜ拾ったのでしょう。仮面をつけて、どこへ行くというのでしょう。

 地面に落とした視線は、自分の足元に向きました。影がありません。そうか。もしかしたら影は僕と入れ替わったのかもしれない。少年は誰かと入れ替わるために、自分を黒く黒くしてそして影のようになりました。


 少年は、冷静に観察してみると、たまに現実世界とこの世界が重なる時があると気付きました。

彼岸花より、血より赤い赤い夕方。真っ黒な影も赤く染まっています。黄昏時に乗じて誰かを乗っ取ってしまおうと思いました。




 僕は少年を包んでいた黒い影が薄くなっていくのに気付きました。輪郭がはっきりとしてだんだん少年の顔が見えていきます。まだ、幼い同い年ぐらいの男の子でした。早足はだんだんゆっくりになってそして立ち止まってしまいます。揺れる背中から声が漏れています。声を掛けて慰めようとしましたが、赤い赤い空が黒くなり始めています。

帰らなきゃ。

こちらに背を向けて泣きじゃくる少年から離れて家に帰りました。



 家の前まで着くと、漏れ出る光に加えて楽しげな笑い声がしました。窓から見える影は、二人の大人と一人の男の子のものです。



 あなたがいなければこんなに悩まなずに済むのに。

嘆く母は、机に置かれた家族写真を眺めます。母と恋人、恋人の連れ子のかわいい男の子が楽しげに遊んでいます。



 僕が5歳の頃、デパートで迷子になりました。泣きじゃくる僕に、迷子係のお姉さんはとても優しくしてくれました。呼び出された母は取り乱した様子で駆けつけてごめんねと泣きながら謝りました。泣く母を初めてみました。僕は、何度でも何度でも迷子になりたいとても嬉しかったのですが、母を泣かせないよう迷子にならないようにしようとも思いました。



 家にいるのが嫌で、何度もどこかへ行ってしまおうと思いましたが、わざと迷子になるのは駄目だと自分の中でルールを作っていました。彼岸花を何度も摘みましたが、効果はありません。


 漏れ出る明かりに馴染めないまま、ガラガラと大きな音をたてる玄関の戸を引きました。



 

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんか、久しぶりですね。 彼岸花、名前もそうだけど、不気味な花ですね。それに、猛毒ときてる。 それに、北原 白秋が不気味な詩を書いていたのですか。 深いのですね。 私が一番怖いのは、精…
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