第72話 白紙の本
朝食を食べてから、レーキはカァラを連れて街に出た。一緒に旅をすると決めたら、服以外にも必要なモノはまだまだある。
それを揃えている間に、船長たちとの約束の時間が迫ってくる。レーキはカァラの手を引いて、港へ急いだ。
船の前で食材を受け取っていたルークは、レーキとカァラを見て開口一番「なに、それ?!」と叫んだ。
「昨日、拾いました。この子の分はちゃんと代金を払いますから、ヴァローナまで乗せてやってください」
「嘘、嘘、嘘!! レーキちゃん、アンタ、一晩で子持ちになっちゃったのネ?!」
「あー、そう言うことに、なるのか……はい。そう言うことです」
「ちょっと! 船長!! またまた驚くわヨ!!」
ルークは騒がしく、船長を呼びに行く。カァラはルークに驚いたようで、レーキの影に半分身を隠している。
ルークに呼ばれてやってきた船長に、カァラが黒い羽根の鳥人である事、孤児であること、グラナートに独り置くよりヴァローナに連れて行った方が良いのではないかと思っていることを伝える。
船長は複雑な表情をして、「そんな、若い身空で子持ちとはなぁ……」と呟いた。
「……解ったよ。乗りな。その子の代金も要らねえよ。ヴァローナに連れてってやんな!」
「ありがとうございます」
またまた、船長の好意に甘える事にする。カァラの今後のことを考えると、金は幾らあってもありがたかった。
「……はね」
カァラは船長の焦げ茶色の羽根を見上げて、指差した。
「黒くない。いいはね」
「……ちびすけ。黒い羽根も良い羽根だ」
船長はカァラの髪をくしゃくしゃと撫でた。
カァラはびくりと震えて、眼をつぶった。それから、ゆっくりと船長を見上げる。
「……黒いはねもいいはね?」
「ああ、そうだ。俺の弟と同じ羽根だ」
「弟って、なに?」
「同じ親から生まれた、カァラより小さい男の子のことだ」
レーキがそう教えると、カァラは「弟、弟……」と何度も呟いた。
カァラの知識はとても狭いようで。どんな教育を受けてきたのだろうかと心配になる。それともこの年頃の子供は、みなこうなのだろうか?
「んまー!! この子カァラちゃんって言うのネ!」
ルークが発した叫びに反応して、カァラはびくっと肩を震わせた。レーキの後ろに素早く隠れて、無表情で辺りをうかがう。
「ほら、ルーク。ちびすけが怖がってるぞ!」
「もー! 船長ったら! ルークってよばないでヨ! ルーちゃん、って呼んで!!」
「……ルーちゃん?」
「そうヨ! ルーちゃんって呼ばないとアタシ返事しないんだか、ら……」
何度となく繰り返した台詞を続けようとして、ルークははた、と何かに気づいたようにカァラを見た。
カァラはレーキの影でルークを見上げて、「ルーちゃん、ルーちゃん」と、何度も繰り返して単語を覚えようとしている。
その光景に、ルークは目尻を下げた。
「そうヨ! ルーちゃんヨ。よろしくネ! カァラちゃん」
ルークが右手を差し出すと、カァラはその手とレーキを見比べた。
「握手ヨ。カァラちゃん。はじめましてのご挨拶。お手てを握ってちょうだい。アタシはルーちゃんヨ!」
「……うん。カァラはカァラ。ただのカァラ」
カァラは小さな手で、ルークの大きな手を握り返した。ルークはますますにこにこと、相好を崩した。
「良いコ、ネ! 気に入ったワ! お菓子作ったげる! ついてらっしゃい!」
「お菓子?」
首を傾げて自分を見上げてくるカァラに、レーキは言った。
「行ってくると良い。お菓子は甘い食べ物だ。とても美味い」
「食べ物……うん。食べたい」
カァラは心なしか眸を輝かせて、ルークを見上げる。
「俺も後でお邪魔して良いですか? 出来たら厨房を手伝いたい」
「あら。遊びに来るのはかまわないわヨ! でも手伝いは心意気だけ貰っとくワ! アンタはこのコの面倒を見て上げなきゃダ・メ。小さな子供はネ、アンタが思ってる以上に手が掛かるモノなのヨ!」
そう言うモノなのか。確かに厨房の目が回るほどの忙しさを考えれば、小さな子供を遊ばせておく余裕などなかった。
「解りました。ルーさん。この子と俺がいていい場所はどこですか?」
「お前さんたちは客室を使え。そのちびすけに船室で雑魚寝は無理だ」
船長の申し出に、レーキは恐縮しきりだ。
「え……いいんですか?」
「今回は客も少ないしな。客室は空いてるんだ。自由に使いな!」
「ありがとうございます!」
レーキは深々と頭を下げた。何から何まで、船長とルークには世話になりっぱなしだ。
「さあ、出港までそんなに時間はない。二人とも、乗った乗った!!」
船長に招かれて、レーキとカァラの二人は『海の女王号』へと乗り込んだ。カァラはルークと共に厨房へ行き、レーキは客室へと案内される。
船室とは違い、客室には幅の狭いベッドが二つ置かれていた。これはありがたい。
レーキは客室に荷物とマントを置いて、厨房に向かった。
厨房ではルークが粉をこねて、何かを作っている。カァラは静かに、調理台の脇に立ってそれをじっと見つめていた。昼食の時間は過ぎたばかりで、厨房にはルークとカァラしかいなかった。
「さあ! これをこうして伸ばして、と。少し休ませたら、綺麗に切って形を整えて焼くのヨ!」
どうやら、簡単な焼き菓子を作っているようだ。相変わらず厨房長は手際が良い。
「失礼します」
レーキが厨房に入っていくと、カァラが駆け寄って来た。
「作ってるところを、見せて貰ってたのか?」
「うん。粉ぐるぐるするとかたまりになる。面白い」
カァラはレーキを見上げて、相変わらずの無表情で面白いと語る。その眼が興奮しているようにきらきらとして見える。レーキにもこの子の表情が少しずつ解るようになってきた。
「カァラちゃんはとっても良いコ、ネ! お料理に興味が有るみたい。お菓子作ってるアタシのコトじっと見てるのヨ!」
ルークは使った調理器具の後片付けをしながら、レーキを振り返る。
「あら、やだ!! レーキちゃん、アンタ、何その羽根!! どうしたの?!」
ルークはレーキの銀の片羽根を視界に入れ、驚いて木製のボウルを取り落とした。
「あ、の、これは……片方使い物にならなくなって……その、これは羽根を補うための法具です」
「嘘、やだ……使い物にならなくなったって……事故にでも……あ、あの海の怪物にやられたのネ!!」
ルークは口元に手のひらをあてて、わなわなと震えている。まさか、ルークにこれが魔装具である事を告げられない。
レーキが「そんな感じです」と誤魔化すと、ルークはレーキに駆け寄って彼を抱きしめた。
「痛かったでしょう! 苦しかったでしょう! 鳥人が羽根を無くすだなんて……そんなのアタシだったら耐えられないワ!!」
「ルーさん……あの、その……今は痛みもないし、この法具のおかげで飛ぶのに支障も無いんです」
ルークはぱっとレーキの身を離して、ケロリとした顔で言った。
「……ホント? 法具ってスゴいのネ! でも、無理しちゃダメヨ! 泣きたい時は泣いても良いのヨ! アンタはそう言うの溜め込んじゃいそうだから、余計にネ」
ルークには見透かされている。レーキが物事を背負い込みやすい性格だと言うことを。
レーキは苦笑しながら、ルークの手を取って優しく叩いた。
「大丈夫です。ルーさん。羽根を無くしたと気付いたときに大泣きしましたから。もう、大丈夫、です」
しっかりとルークの眸を見据えて、レーキは断言する。ルークは胸元に手をあてて、はっと身をすくめた。
「……あらやだ。今のちょっとドキっと来たワ! アンタ、その内イイ男になるわヨ!」
「え、と、その……そうなんですか?」
そう言われて、どんな風に返して良いのか解らずに真顔になったレーキをちらりと見て、ルークはふん。と鼻を鳴らした。
「……冗談ヨ! さあ、カァラちゃん。クッキーの続きをやっつけまショ!」
「……ショ!」
ルークの語尾を真似て、カァラはむんっと胸を張る。それでも表情は変わらないままだった。
両手には余るほどのクッキーを袋に入れてもらって、カァラはご満悦で客室のベッドに腰掛けている。
それが癖なのか足をぶらぶらとさせて、ぽりぽりとクッキーを食べる。食べる度に鼻息を荒くして「これ、すごく、おいしい!!」と何度も言った。
「いっぺんに全部食べなくて良いぞ。夕飯が食えなくなる」
「やだ。食べないとなくなる」
「無くならない。お前以外は誰も食べない」
「……ほんと?」
カァラはクッキーの袋とレーキを見比べて、悩んでいるようだ。レーキはカァラの前のベッドに座った。
「まあ、食いきっても俺かルーさんがまた作ってやるから。安心しろ」
「レーキ、クッキー作れる?」
「ああ。他の菓子も料理も作れる。食いたいなら作ってやる」
「……なら、とっとく」
カァラは宝物を扱うように、クッキーの袋をそっと閉じた。レーキは手近にあった紐でその口を閉じてやった。
「ほら、これなら誰も食べられないだろ? 食べたくなったら紐をほどけば食べられる」
「うん!」
カァラはクッキーの袋を胸に抱いて、それを何度も優しく撫でた。顔に表情こそ無かったが、彼女が喜んでいることはレーキにもはっきりと解った。
「……なあ、カァラ。お前が何を怖がっているのか、俺にも解る。食べ物が無くなるのが怖いんだろう? だから言っておく。もう、食えるときに食えるだけ食わなくてもいいんだ」
「なんで?」
カァラは小首を傾げて、レーキを見上げる。レーキは真剣な表情で、カァラと眼を合わせた。
「俺がお前の食い物を用意してやる。一生、は無理だから……お前が自分で食べる物を手に入れられるようになるまで。だから、焦らなくても怖がらなくてもいい」
「……カァラとレーキはなかま、だから?」
「そうだ。仲間は助け合うんだ。お前が困っていたら俺が助ける。お前はいつかお前が仲間だと思ったヤツを助けてやれ」
「うん。なかまは助ける。助ける……」
この子はまるで白紙の本のようだ。書き込んだ物事次第で、この子がどんな本になるのかが決まってしまう。レーキにはそれが少し恐ろしい。それでも、自分に出来るだけのことをして彼女と言う本を豊かにしてやりたい。レーキはそう思った。




