第70話 惜別と
わずかな月明かりと『光球』を頼りに、レーキは上空から盗賊団の砦を探した。
今日は兄月の三日月。天空に浮かぶのは三日月が一つだけ。
『山の村』から盗賊団の砦までは、子供の足でもたどり着けるほどの距離のはずだ。
大した特産もない貧しい村を盗賊団が襲ったのは、その距離の近さ故なのだろう。砦が近くにあると知られたくなくて、村に火を放った。
今から思い返すと、盗賊団に入れて欲しいと願いでるなんて無茶をしたものだと思う。
頭が気まぐれを起こしてくれなければ、自分なんて簡単に始末されていただろう。
仲間となったレーキに、みんなは優しくしてくれた。それでも、盗賊と言うモノは本来残忍なモノなのだ。
頬に当たる秋の夜風は冷たい。砦は闇に沈んでなかなか姿を現さない。諦めかけたその時に、森の木々の間、円い歩廊が見えた。
──砦だ。
レーキは砦にゆっくりと舞い降りた。
砦には人影も無ければ明かりもない。もう、何年も前に廃墟と化したのだろう。盗賊たちがここに暮らしていた痕跡は、徐々に森に浸蝕されつつあった。
ここは武器庫。ここは頭の部屋。こっちは寝室で、馬小屋はあそこ。
レーキは砦を巡って、盗賊たちの痕跡が少しは残っていないかと探して回った。
だが、見つかるのは朽ち果てた、誰のモノともいえないガラクタばかり。
レーキは落胆しながら、懐かしい厨房を探して火を焚いた。今夜の宿はここにしよう。
懸命に料理を覚えた厨房で、乾燥させたトカゲの肉と、お湯で戻したフフルで簡単な食事を済ませる。
育ち盛りだったレーキに、じいさんはここで、よくつまみ食いをさせてくれた。
『ほうほうほう。みんなにはナイショだよぉ』と言って。
二年間。二十二年の中のたった二年間。それが、レーキがこの場所で暮らした時間。
楽しい思い出だけだったとは、言い切れないけれど。それまでの人生よりは、ずっとかけがえのない時間。
その二年間があったから、レーキは人らしく生きられた。誰かのために働く、と言うことを知った。
だから、あの二年間はレーキに取って大切なモノだった。
感傷に浸りながら、レーキは眠った。その日の夢にはじいさんが出てきたような気がした。だが、目覚めたとたんに詳細は霧散してしまった。
朝靄の中、レーキは砦を出発した。
最後にもう一度だけ、砦の部屋を見て回って、レーキは砦のくずれかけたてっぺんに立つ。
ここで飛行訓練をした。ここで独り星を見た。
その場所から、空へと飛び立つ。惜別の思いを込めて。
麓の町まで降りて、それからヴァローナへ向かうために旅を続けようと、レーキは決めていた。
ヴァローナには友人たちがいる。それにヴァローナには、アガートに預けてある祭壇があった。
──もう一度、死の王に謁見しよう。
全てに決着をつけて、それからアスールに帰ろう。そのために、祭壇は必要不可欠だった。
一ヶ月かけてサバナを横切って、港街に辿り着いた。そこからは船でヴァローナへと向かう。テルム山脈が立ちはだかるために、陸路でグラナートからヴァローナに向かうことは危険をともない時間がかかる。
大抵の旅人は船を利用する。レーキも船に乗ろうと、港に向かった。
大小さまざまな船が港に停泊している。その中に、レーキは見慣れた銘板を見つけ出した。
『海の女王号』
それはあの時、レーキたちが乗っていた、船。ラファ=ハバールに襲われた、あの帆船だった。
「……ちょっと! うそ!! アンタ! レーキちゃん?! レーキちゃんじゃないの?!」
背後から甲高いが野太い声がする。そこに立っていたのは、『海の女王号』の厨房長、ルークだった。
「……ルーさん。お久しぶりです」
「やだァ!! アンタ生きてたの?! 良かった!! ……ホントに良かった……!!」
ルークはレーキに抱きついてきた。逞しい胸板にレーキを抱き寄せて、涙ぐんでいるようだ。
「アンタのお陰で船は助かったって……でもアンタは海に落ちたって……アンタのお友達がネ、言ってたワ!」
「は、い。海に落ちたんです。でも、どうにか、助かりました」
レーキは『呪われた島』の話はせずに「助けてくれたヒトがいた」とだけ告げた。
あの島のことを知る者は少ない方がいい。下手に吹聴してあの島を訪れる人間が増えたりしたら大変だ。
「そう……良かったワ!! あ、ここで待っててネ! いま船長呼んでくるから!!」
「はい。解りました」
ルークはレーキを解放して、慌てて船長を探しに行く。
船長は、ルークに引っ張られてやってきた。
「おい、ルーク!! 驚くって何を……?!」
「ほら! 見て!! この子ヨ! 生きてたのヨ!!」
「……?!」
レーキの姿を前にして、船長は眼を見張った。
「……お前さんは、レーキ!!」
「はい。レーキです」
覚えていてくれたのか。レーキは微笑みながら頷いた。
「忘れる訳がねえ! お前さんはワシの船の命の恩人だ! お前さんがいなけりゃこの船は海の藻屑になってた!!」
船長もまたレーキを抱擁して、感謝を伝えてくる。
あの時、ラファ=ハバールに立ち向かって良かった。生きていて良かった。レーキは心からそう思う。
船長にも、親切なヒトに助けられたと言う話をした。やはり『呪われた島』の話は伏せて。
「所で今日は港に何の用だ? 船が入り用なら相談に乗るぜ?」
にっと船長が歯を見せて笑う。レーキはその言葉に甘えることにした。
「はい。俺はヴァローナに行こうと思ってるんです。そのために船を探しています」
「おお! それならお誂え向きだ。『海の女王号』は明日からヴァローナに向けて出発するんだ」
「それなら、乗せて下さい。お代はちゃんと支払います」
「命の恩人から金は取れねえよ! 今回はただにしてやるから。乗ってきな!」
「そんな……」
恐縮するレーキの背中を叩いて、船長は豪快に笑う。
「出発まではまだ一日ある。それまで陸地でゆっくり体を休めな。明日、今くらいの時間に船まで来てくれ」
「解りました。ありがとうございます!」
二人とは港でいったん別れた。さあ、どうやって時間を潰そうか。レーキはぶらぶらと、街の中を歩いていく。
呼び込みをする魚屋。舶来の品を売る雑貨屋。青果に衣類、肉に武具。宝飾品に本。
陳列されていないモノは無いのでは無いかと思うくらい、港街は活気があって、どこも賑わっていた。
その中、美味そうな匂いを漂わせている食堂でレーキは足を止める。ここで飯にしよう。
「いらっしゃいませ!」
レーキが店に入ると、威勢のいい年嵩の女性が声をかけてくる。
「今日のオススメは?」
「今日はヴァローナ風魚の煮込みなんかおすすめだね! ぜんぜん辛く無いけどね!」
グラナートの人々は辛味を好む。それでもヴァローナ風の辛味のない煮込みを作ると言うことは味に自信が有るのだろう。
レーキはそれとピタパンと果実水を注文して、席に着いた。
食事を待つ間、レーキは店の女性にオススメの宿を訊ねた。ここから遠くない所に良い宿があると教えられ、後で訪ねてみることにする。
先にやってきた果実水を一口、二口飲みながら、レーキは安堵する。
船は見つかった。今夜の宿も確保出来そうだ。後はヴァローナに向かって出発するだけ。
レーキはもう一度、果実水を口にしようとジョッキに手を伸ばす。その手が、空を切る。
果実水のジョッキは、思っていたよりも 少し遠くにあった。
レーキは苦笑して、ジョッキを引き寄せる。
自分で思っているよりも、疲れているのかもしれない。目測を誤るとは。
果実水を口にして、レーキは何の気なしにそのジョッキを見ていた。
その時。にうっと小さな手がテーブルの下から伸びてきた。そっとテーブルの上を探るように動いて、ジョッキを探し出すと、ゆっくり、ゆっくりと場所をずらしていく。
レーキはそのジョッキを、上から押さえつけた。小さな手は慌てて引っ込んでいく。レーキが手を離し、じっとジョッキを見守っていると、小さな手はまた顔を出した。
テーブルの下に誰かがいる。多分、子供だ。
「……そんな所に隠れていないで、出ておいで。そうしたら果実水を飲ませてやる」
レーキの言葉に、小さな手は驚いたようにジョッキから手を引いた。
やがて、おずおずと小さな子供がテーブル下から這いだしてきた。
埃にまみれた黒く短い髪、黒い眸。裸足でボロボロの服を着て、ひどく痩せている。年の頃は三、四歳位だろうか。
その姿に、レーキは驚愕する。
子供の背には、小さな黒い羽根が確かに一対。子供は黒い羽根の鳥人だった。
「ああ! またこんなトコまで入り込んで! 出てお行き! しっ! しっ!」
料理を運んできた店の女性は、子供の姿を見つけると手荒く追い払おうとする。子供は慌てて踵をかえし、店を飛び出して行った。
「……あの子は?」
「すみませんね、お客さん。あれは最近この辺をうろついてる浮浪児でねえ。お客さんのご飯を狙って来るんですよ。追い払ってもキリが無くてねぇ。まったく、黒い羽根なんて薄っ気味悪くてかなわないねぇ」
黒い羽根の子供。自分と同じ黒い羽根の。それがとても気になって。レーキは気もそぞろに昼食を食べ始める。
「……同情して、餌付けしたりしたりはやめて下さいよ、お客さん。ここでタダ飯が食えるなんて覚えられたら、たまりませんからねぇ。やるなら最後まで責任持って下さいねぇ」
店の女性はレーキに釘を刺して、厨房に戻っていく。
最後まで、責任を持って。その言葉が耳の奥でこだましている。
そんな覚悟も甲斐性も俺にはない。そう、思うのに。黒く小さな羽根が脳裏に焼き付いて離れなかった。
食堂を出ると、黒い羽根の子供の姿はすでになかった。レーキは心のどこかで安堵する。
宿を探そう。そう思い直して、歩き出したレーキの後ろを、誰かが付いてくる気配がする。振り返ると、レーキから少し距離を開けて立っていたのは先ほどの黒い羽根の子供だった。
「……出てきたら、果実水、くれるって……」
そんな約束とも言えない台詞を真に受けて、レーキの食事が終わるまで、待っていたというのか。それとも、そんな細い糸にでも縋りたいとでも言うのか。
レーキは観念して、「ついておいで」と告げる。黒い羽根の子供は表情もなく、黙って後を付いてくる。
露店で、果実水と魚のフライを挟んだピタパンの軽食を買う。
黒い羽根の子供に果実水とピタパンを渡すと、子供はレーキと食べ物を見比べた。
そして、勢い良くピタパンにかじり付く。まるで早く食べないと食べ物が幻になってしまうとでも言うように。
口の周りを油でべとべとにしても気にも留めない。ピタパンをあっという間に食べ終わった子供は、けふっとちいさなげっぷをして、果実水をごくごくと喉に流し込んだ。
「良い食べっぷりだな。まだ食えるか?」
「食べたの、これだけぶり、だから。まだたべれる」
子供は二本の指を立てて、二日ぶりの食事であることを教えてくれる。
せめて、腹一杯になるまで食わせてやるか。
レーキはそう心に決めて、子供が食べたいと言ったモノを片っ端から食べさせた。