第60話 半竜人
「種明かしは簡単でございますよ」
レーキが『苛烈公』に誘拐された騒動の翌日。
シーモスの工房で、レーキはイリスの疑問を口にした。
『なぜ、風呂を沸かすように言ったのか?』と。
「貴方様が『苛烈公』のお屋敷に捕らえられていることはすぐに解りました。『苛烈公』はと言えば拷問をこよなく愛されることで名をなしておられるお方。貴方様はすでに拷問を受けていらして、濡れ鼠か血塗れか、はたまた……まあ、とにかくお風呂をお召しになられた方がよろしい状態でいらっしゃるだろうと推測いたしましたまででございます」
「ああ……そう言うことか……」
なるほど。言われてみれば納得する。
「俺はてっきり、魔法を使って未来でものぞいたのかと」
「時間を操る魔法は手間がかかります。具体的に申しあけますと儀式が。それに、成功率も高くはございません。わざわざ、不確実な手段に頼らずとも、ヒトにはこの『頭脳』と申します物が備わっております」
魔装具の設計図を机に広げながら、シーモスは皮肉く微笑む。
「魔法は貴方様が考えていらっしゃるほど万能ではございません。限界もまた、確かに存在しているのですよ」
ですから。とシーモスは続ける。
「魔法では死の王の国から完全な形で魂を呼び戻すことは出来ません。一度死したことで何かしら障害が残ってしまわれるのです。この分野で魔法を頼りに致しますのは最後の手段でございます。ご自分の行動がどの様な効果をもたらすのか、熟考くださいませ。くれぐれもご油断なさらぬよう。……ま、これはイリス様にも申し上げて置かなくてはなりませんね」
シーモス抜きで外出したことは、どうやらイリスの独断だったようだ。
自分がいれば、レーキを守りきれると判断したらしい。
──それで、昨日はあんなにしょげていたのか……
風呂場でのイリスのしょんぼりした態度の理由も解ったところで、レーキは一つ気になっていたことをシーモスに訊ねた。
「解った。反省する。……所で一つ訊ねたいんだが、『半竜人』と言う言葉に聞き覚えは?」
「どこで、それを?」
シーモスの微笑みがわずかに固くなる。彼は設計図を用意する手を止めて、顔を上げた。
「『苛烈公』がイリスに向かってそう言ったんだ。捨て台詞のように」
「……私の口からは何とも申し上げられませんね。直接、イリス様にお訊ね下さいませ」
素気なく、シーモスは質問をかわす。
「その、例えば、その言葉をイリスに直接告げたら、彼が悲しまないだろうか?」
「……左様でございますね。では、こうしましょう。イリス様に、ご両親のことをお訊ねになってみてください。それで謎は全て解けると存じます」
シーモスと魔装具の打ち合わせをしてから、レーキは彼の工房を出る。
昼食を挟んで、イリスが部屋にやってきた。
「今日のお菓子は料理長が作ってくれた、甘くておいしいフルーツタルトです! レーキ用にあんまり甘くないのも用意してもらったよ!」
昨日しょげかえっていたことが嘘のように、イリスははしゃいだ様子で菓子を載せたトレイを差し出す。イリス用の菓子は甘味料をたっぷりと使っていて、レーキには甘すぎる。甘くない菓子はありがたかった。
「昨日は、ホントにごめんね……これ、お詫びの印でもあるの」
甘味料と果物の収穫量が少ない『呪われた島』では、甘い菓子は贅沢品だ。幻魔とて毎日口に出来るモノではない。
それをふんだんに使った菓子は、イリスのとっておきのようだった。
「解った。……ありがたくいただく」
気に病まずとも良いのに、とレーキは思うが、それでイリスの気が済むというなら受け取ろう。
「ふふふ! 良かった! それ、とっても美味しいよ!」
ハーブ茶を喫しながら、菓子を食べ他愛の無い話をする。
紅茶と言う飲み物のこと、それを好きだと言ったネリネのこと、ウィルのこと、仕事で向かった遺跡のこと……
出会った人々のことは初めて話した。イリスなら彼らを害するようなことはしないだろうとそう思えた。
黙ってレーキの話を聞いていたイリスは、ため息をついて「僕も飲んでみたいな……そのお茶。それに、そのコたちにも会ってみたい……」と眸を輝かせる。
『呪われた島』には茶の木がない。とイリスは言う。この島が結界に覆われる前には、茶の木は発見されていなかったのだ。
「僕たちがこの島に閉じこめられている間に、『ソト』では色々なことが変わっているんだね……」
しみじみとつぶやくイリスに、レーキは思い切って訊ねた。
「なあ、イリス。君はこの島で生まれ育ったと言っていたが、ご両親も魔のヒトだったのか?」
「あ、え、僕の両親? ……ううん。二人とも魔のヒトでは無かったよ。魔のヒトにはね、子どもは生まれないの」
残念だね。と、イリスは答える。
「僕より君のことが聞きたいな……ねえ、レーキの父様と母様はどんなヒト?」
イリスは無邪気に訊ねてくる。レーキは言葉に詰まった。
「……俺は……両親の顔を知らないんだ。どんなヒトたちかも解らない。生まれてすぐに養子にだされた、から」
「……どうして?」
イリスの眼差しは真っ直ぐで、純粋な疑問で満ちている。レーキは淡々と鳥人の黒い羽根が不吉であること、そのせいで今まで苦労してきたこと、今は黒くても羽根があって良かったと思っていることをイリスに話して聞かせた。
「……レーキの羽根、とってもキレイなのに……」
自分のことのように、しょんぼりとうなだれるイリスにレーキは微笑みかける。
「……ありがとう。それより、君はなぜこの島に? どうして幻魔になったんだ?」
レーキの問いに、イリスは躊躇うように深く呼吸した。それから、「あのね」と切り出した。
「……あのね、僕の父様は……竜人、なの」
「?! 竜人、様が地上でお子を?」
イリスはとんでもない事実を告白する。
竜人が地上に降りてくることすらまれなのに。竜人の子とはどう言うことなのだろう。
「そう。僕は竜人の父様と人間の母様の間に生まれたんだ。父様は地上が大好きで、人間が大好きだった。だから、母様と地上で出会って結ばれたんだよ」
竜人が人間と子をなすことが出来るとは初耳だ。それで、半竜人、か。驚愕するレーキにイリスはどこか寂しげな笑みを向けた。
「……でもね。それはいけないこと、だったみたい。僕が生まれる前に父様は月に連れ戻されたの。僕を身ごもっていた母様は殺されかけて……この島に逃げてきた。それで、僕はこの島で生まれて、それから僕は獣人のふりをして暮らしていたんだよ」
レーキは息をのむ。確かにレーキもイリスは獣人だと思っていた。
言われてみれば、イリスが頭に頂く角は竜人のそれにも見える。見上げるほどの長身もそうだ。
「僕と母様はお金持ちじゃなかったけど、仲良く暮らしていたの。それでね、この島が『方舟』になって、お金持ちじゃなかった僕と母様は奴隷になった。母様は頑張って働いたの。小さかった僕の分まで。それで働きすぎて、病気になってね、死んじゃった」
努めて明るく、それが何でもないことのように、イリスは言う。
「その後でね、僕は王宮に連れて行かれて、王宮の奴隷になったの。それでね、僕は先代の魔の王様のお世話をする係になった。魔の王様はとてもキレイで、優しい方だったよ。僕が十三歳になった時、魔の王様が僕に聞いたの。『お前は幻魔になりたいか?』って。僕は……『幻魔になったらずっと魔の王様と一緒にいられますか?』って答えたの。僕は魔の王様とずっと一緒にいたかった。だから、僕は幻魔になったけど、魔の王様は戦争に負けて死んじゃった」
ヒトが魔のモノになると、そのヒトの時は止まると言う。イリスの外見に不釣り合いな言葉遣いは十三歳で彼の時が止まっているからなのか? だが、彼はとても未成年者には見えない。
「え、と。……君は、十三歳には見えないな」
「うん。僕は大人になった僕を想像して、今の姿を作ったの。竜人はね、もともと竜人の姿とおっきな竜の姿を持ってるの。僕は半分だけ竜人だから、ヒトに近い姿なんだよ」
イリスはえっへんと誇らしげに胸をはった。
「それにね、幻魔にはね、一人に一つずつすごい力があるんだよ。僕のはね、『変身』だよ。僕はヒトと竜だけじゃなく、どんな姿にもなれるんだ」
イリスはそう言って、目をつぶる。その姿が二重にぶれるようにゆっくりと変化して行く。
瞬き二つほどの後、レーキと同じほどの背丈の少年がそこに立っていた。髪の色、眸の色、角の色はイリスそのままに、顔つき体つきはまだ幼さを残してあどけない。
「……これが僕のホントの姿。シーモスが『大人の姿でいた方が何かと便利』って言うから、普段は大人の姿でいるの」
はにかむように微笑んで、イリスは後手に腕を組んだ。そのぎこちない仕草は、確かに子供だと言うことがしっくりくる。
「……えっと、レーキは大人の僕と子供の僕、どっちが好き?」
恥ずかしげに聞くイリスの問いに、レーキは真摯に答えた。
「馴れているのは大人の方、かな。でも子供の方も君らしくて良いと思う」
「そ、そうかな? えへへ……! じゃあ、時々子供の僕になろうかな。レーキといるときだけ!」
満面の笑みを浮かべて、イリスは嬉しそうに何度も頷いた。