第3話 盗賊の砦で
目覚めたのは、藁ぶとんの上だった。
薄暗い室内は心地好い暖かさで、レーキはふんわりと良い匂いのする藁に寝かされている。頭が、というよりも眼が痛い。
手で触れてみると、布のようなものが触れた。手当してある。
「……ここは、どこ?」
声に出していってみる。喉が掠れる。長いこと、まともに声を出していなかった証しだ。
「おう、起きたかい」
年寄りの声がした。部屋の隅、暖炉の前にうずくまって、鍋をかき回していたじいさんが振り返る。
枯れ木のようにやせ細ったじいさん。じいさんの右眼は白濁して、薄気味悪く開かれたまま。だが、左眼は人なつっこく細められ、前歯がほとんど抜け落ちた口が笑っていた。
「ここは砦だよぉ……腹、減ってねぇか。坊主」
じいさんは鍋をかき回した匙で、スープをすくって味見する。スープをすすって歯をしゃくる音がいかにも旨そうで、レーキは生唾を飲み込んだ。
「……減った」
「ほうほうほう。それじゃあ、じいさん自慢の鶏スープを飲ましてやろうかね」
じいさんは体を揺すって笑った。底の深い鉢にたっぷりとスープをよそって、ゆっくりゆっくりマイペースに寝床まで運んできてくれる。
レーキは鉢を受け取ると、礼も言わずにがっついた。いったい幾日の間眠っていたのだろう。
腹が減って、腹が減って、もう辛抱できない。慌てて食べたせいで口に火傷を作った。
でも構うものか。温かいスープは胃の腑に染み渡る。腹の底から元気がわいてくる。レーキは瞬く間に二杯を平らげた。
三杯目をお代わりすると、じいさんは嬉しそうに笑った。
「まだまだたんとあるが、そのくらいにしとくんじゃ。いっぺんに食べると吐いちまうぞ」
まだひもじかったが胃は温かい。ぼんやりとじいさんの姿を眺める。
じいさんの腕は古傷だらけで、指は何本か欠けていた。
じいさんはだれ? 尋ねようとする前に、急に眠気が襲ってきた。
落ちようとする瞼をこする。じいさんが、腹が減るならもう大丈夫だと言ってくれた。
「後はよーくお眠り。早く傷を治すんじゃよ」
うん。レーキはうなずいて、毛布を肩まで引っ張り上げる。
──助かったのか? 俺は。
……わからない。分からないが、今はただただ眠りたい。
レーキはそのまま眼を閉じると、深い眠りに落ちた。夢は一度も見なかった。
次に目が覚めたのは朝のことだった。
鎧戸が閉まっていた窓から明るい陽の光が差し込んでいる。
まぶしい。レーキは眸をすがめた。その瞬間鋭い痛みが右の眼に走る。
じいさんは、また鶏スープを食わせてくれた。たっぷり食って、また眠る。
一度小用に起き上がる。歩を運ぶ度に傷が痛んで、足もとがふらつく。
「もう少し寝とらんとだめだな」
包帯を取り替えながらじいさんが言う。
三日ほどそんな状態が続いた。一週間ほどして、すっかり起き上がれるようになると、レーキは頭と呼ばれる男の前に引き出された。
頭の年の頃は、丁度青年と壮年の半ば。頬を走る傷さえなければ、色男といっても良い。
唇の左端が微かに釣り上がって、いつでも笑っているように見えるのも傷のせいだ。
「さすがに子供だ。治りが早い」
頭はそういって笑った。笑顔は彼に一種の凄みを与える。
レーキはおびえて息を飲んだ。頭はそれをおかしむように歯を見せる。
「まだ痛むか?」
ふとした拍子に、顔面が引きつれるような痛みを感じるが、足はふらつかなくなった。と、レーキは答える。
「お前は砦の近くで行き倒れていた。それを見張りが見つけた。俺は始末しろと命じたが……飯炊きのじいさんが可哀想だとゴネてな。それでお前を助けた」
「……ありがとう……ございます」
始末しろ。頭の言葉に背筋が凍る。じいさんのお陰で助かった、のか。感謝してもしきれない。レーキは慌てて深く頭を下げた。
「さて。傷がすっかり癒えたらどこへなりと行け。お前は自由だ」
頭の言葉の意味がうまく飲み込めなくて、レーキは立ちつくした。
「ここは盗賊団の砦だ。ガキは必要ない。どこへなりと行ってしまえ。……ただし、この砦のことをどこかで話してみろ。どこに逃げてもお前を見つけだして首を刎ねてやるからな?」
──自由。
ずっと待ち望んでいた。解き放たれる日を。あの村から、家から、養父母から。
したいことは山ほどあったはずだった。行きたい所も。でも。
しばらくの間考え込んで、レーキが出した答えは。
「……俺……自由なら、ここにいたい。ちゃんと仕事するから、ここにおいて欲しい」
たった十一才の子供が、一人で生きて行けるほど世の中は甘くない。ましてや不吉な黒羽の子供なぞ。レーキはそれを知っている。彼にはまだ、庇護が必要だった。
たとえ何処かの村に戻ったとしても、前と同じ、いや、養父母がいない分だけ前よりも、もっとひどい扱いを受けることだろう。それなら。盗賊たちと一緒のほうが、まだ良いような気がした。
「……お前は何ができるんだ?」
頭の声音には、揶揄かうような風がある。彼は頬杖をついてレーキを見ている。
「薪割りとか、畑仕事とかいろいろ。教えてもらえれば何だって出来るようになる」
「飯炊きはどうだ?」
「できる。……出来ます。あんまり凝った料理はしらねえけど……覚えます」
必死の表情で、縋り付いてくるちびすけ。ついつい情にほだされたというのではないのだろうが。
「……いいだろう」
頭は頷いてくれた。
動けるようになると、早速仕事を命じられた。
「働かざるもの食うべからず、だ」
芋の詰まった樽を運んできた、ひげさえなければまだ幼げな顔立ちの男はそういった。
「俺はテッドだ」
レーキの頭を撫でた男は、歯をむき出して笑う。ぎこちなさは残るものの、レーキも微笑み返した。そんな二人を、じいさんが嬉しそうな顔をして眺めている。
テッドはたまに台所にやってきた。どうやらレーキが来るまでは、彼とじいさんが台所の係だったようだ。
レーキはじいさんを手伝って、台所仕事をすることになった。
じいさんと一緒に仕事をすることは、とても楽しい。じいさんは物知りで、旨い飯の作り方を沢山知っていた。
何より、いつでも食事を腹一杯食えることが嬉しかった。
男ばかりの所帯。飯時はそれこそ戦争のようで、目が回るほどの忙しさで。
だが、それ以外の時間はそこそこ余裕がある。
「暇ならその辺をぶらぶらしておいで。夕飯時になる前に帰ってくればええ」
じいさんがそう言ってくれた。レーキはずっと篭りっきりだった台所を出て、盗賊がアジトにしている古い砦の中をあちこち歩き回る。
打ち捨てられて、管理する者もいなかった砦に盗賊が住み着いたのは、もう随分昔の事だ。
砦は切り立った崖の上に建てられ、守るに易いが攻めるは固い。欠点といえば砦の場所は山の中で、補給の術がなく篭城戦には向かないという事だろう。
円く作られた歩廊を巡って、レーキはあちらこちらを覗きこんで見る。
かつては王の兵士達が詰めていた部屋には、むさくるしい盗賊たちがたむろして、レーキに鋭い一瞥をくれる。
盗賊たちは全部で二十人程度の集団で、皆この砦に寝起きしていた。
「なんだこのガキは」
「お前が見つけてやったガキだ。おかしな色の羽の鳥人だと言ってたろ」
「おう。ガキぃ。その羽良く見せてみろよ」
揶揄ってくる声に、どうしてよいかわからずレーキが戸惑っていると、背後から気配がした。
「おいおい。羽が黒けりゃ、見張りの時便利だろ?」
テッドだった。顔見知りを見つけた安堵にレーキがほっと息をつくと、頭をくしゃくしゃと撫でられた。
「探検か? ぼうず。……コイツはレーキだ。今はじいさんの助手をしてる。俺達の仲間になった」
鼻で笑うもの、面白がるもの、挨拶代わりに笑うもの。反応はさまざまだったが、あからさまに拒絶を示すものはいない。
「……よ、よろしくお願いしますっ」
レーキが慌てて頭を下げると、どっと笑い声が上がった。
直に、顔見知りが増えた。改まって紹介してもらったわけではない。
けれど、盗賊たちはレーキが居るということに慣れて、それを受け入れたようだった。
台所仕事の合間に、あちらこちらを探検して回るレーキを、男たちは黙認する。
盗賊たちは男所帯で、女っけがない。前の頭が女はいさかいの種になると言って、この盗賊団を女人禁制にしたらしい。
おかげで家事の全てを自分たちでやることになったが、慣れてしまえば気楽なもんだ。そう教えてくれた鍛治のタイクは使いやすい短剣をレーキに作ってくれた。
前のお頭は名をヴァーミリオンと言った。豪胆な人柄で、仲間たちの尊敬を一身に集めていた。年を取って、今はもうこの世にはいない。だが、彼の残した掟は今でもかたくなに守られている。
ヴァーミリオンの後を継いだ今の頭は、彼を偲んで盗賊団に名をつけた。「ヴァーミリオン・サンズ」と。
「俺たちは皆、ヴァーミリオンを名乗る。自分たちを家族のようなものだと考えているんだ」
そんなことを言いながら、剣士のカイは短剣の使い方を教えてくれる。
癒えてもなお無残な、レーキの右眼の傷口を隠すため、眼帯をくれたのも彼だった。
「男前が上がったじゃないか」
そう言って褒めてくれた、馬丁役のサランは、馬の乗り方を教えてくれた。
「いいか。怖がったら、馬も不安になる。いつでも堂々として居ろ。よく言うことを聞いたら褒めてやる。しくじったり命令を聞かないようならちゃんと叱ってやるんだ」
盗賊たちの中で、レーキはのびのびと生きる。
今までの暮らしと比べると、ここでの暮らしはずっと人らしい。
皆のために汗を流して働き、たらふく飯を食う。疲れたら眠る。
ガキだから、出来ることに限りはあったし、揶揄かわれることもあったが、黒羽だからと、遠慮されたり馬鹿にされたりすることはない。さいわいなことに、盗賊団に鳥人はいなかった。
冬を目の前にした略奪の季節が終わり、普段よりもずっと暖かい冬が来た。
春が来て、季節は巡り巡って、いつの間にやらレーキは十三才になっていた。