第27話 卒業式と新入生
翌日の卒業式を迎えて、三年生達は正式に天法士となった。
式の内容は特に厳重に秘されていて、式場に入れるのは生徒本人と家族だけ。
下級生のレーキは食堂兼講堂の前で心を躍らせながら、同じように卒業生を待つ人々と共に式を終えて出てくる新天法士を待った。
季節はちょうど冬と春の間。レーキにとっては天法院で三度目の春。
肌寒い日がここ数日続いていた事が嘘のように今日の陽射しは暖かく、天法院の敷地に植えられた木々たちは葉を落としていた梢の先にすでに新芽を兆している。
卒業生たちを祝福するように雲は優しく霞み、空の色は穏やかに晴れた春の水色だ。
式の始まりは昼の鐘と同時だった。時折扉の中から漏れ聞こえる歓声と静寂が三刻(約三時間)ほど続いた。
最後に一際大きな拍手と歓声が聞こえて、式場となった食堂から王珠の授与を終えた卒業生たちが次々と退出して来る。
それぞれが悲喜こもごもの表情を浮かべ、真新しい王珠を見せ合って互いの三年間の健闘を讃え合っている。
懸命に努力した者もそうで無かった者も、今は得られた結果に納得しているようで、卒業生達の表情はみなどこかすがすがしかった。
その中に同級生と談笑しながら扉を出て来るアガートの姿があった。その顔はいつもよりずっと誇らしげで、卒業式の結果は彼にとって満足いくモノだったと窺える。
「……あ、レーキ! なんだ、こんなトコで待っててくれたのかー」
彼はレーキの姿を認めるといつもより嬉しそうに微笑んで、同級生にルームメイトだと簡単に紹介してくれた。
「おめでとうございます!」
下級生は卒業生を祝福するの為に、色取り取りの『光球』を作って弾けさせるのが天法院の伝統だ。弾けた『光球』は美しい光となって卒業生たちを取り囲み、きらきらと輝いて消える。
「ありがとねー!」
「ありがとな!」
祝福された卒業生たちの感謝の言葉が、食堂の前、あちらこちらから聞こえた。
「……それで……どうでした? 卒業式は」
「うん。何とかねー。目標達成! いえーい!」
アガートは指を幸運を呼び込むという形に曲げて、レーキの目の前に差し出した。
食堂前で下級生たちからの祝福を受けた後、レーキとアガートの二人は寮に戻る為に学院の廊下を並んで歩いている。こうして寮に帰ることもあと数回。そう思うとこの時間がとてつもなく貴重なものなのでは無いかと思えてしまう。
「……目標?」
「そそ、目標。……ほら。これ見て」
そう言ってアガートが差し出したのは、真新しい、黒色に光る王珠。一つがちょうど掌に収まる大きさの珠が三つ。
王珠の数はようやく天法士と呼べる一ツ組、天法士としては二流の二ツ組、三ツ組から五ツ組が優秀な天法士とされる。
「やった! 三ツ組ですね!」
「そ。これでオレも先が見えた。……オレはね、レーキ。この学院に残る」
「……え?」
唐突なアガートの宣言に、レーキは言葉は呆気にとられて長身のルームメイトを振り仰いだ。
「……それは、研究者になる、と言う事ですか?」
毎年少数の生徒が天法院に残って研究を続けると言う話をレーキも知っている。確かに物事の観察と分析に優れたアガートには研究職はぴったりだ。
「違うよー」
だが、アガートは笑って首を否定に振った。
「オレは教師になる。三ツ組の王珠を授かればこの学院でも教師になれるからねー。オレはヴァローナ国立天法院の教師になるよー」
飄々といつも通りの口調で、だがいつも以上に饒舌にアガートは続ける。
「オレはね、もともと天法の研究者になりたかった。少なくともこの学院に入学した時はそう思ってた。だから学院に残るのは予定通り。……でもね。君と出会って、君の相談を受けたり、色んなこと教えたり、考えたりしてる内にさ、『ああ、教えるってのもなんだか悪く無いんじゃ無いか?』って思うようになったんだよ」
茫洋と微笑む表情の裏でアガートはそんな事を考えていたのか。レーキに知識を授ける合間にそんな風に思ってくれていたのか。
「オレは元々教師ってモノをあまり信用してなかった。奴らはオレたちを無責任に煽るだけ煽って優秀で無い生徒のことなんかこれっぽっちも考えてくれないってね。……そう思ってた。オレ、座学はともかく実習の方はさっぱりだったしねー。期待されてないなってのが解っちゃうんだよね。何となく」
座学の成績が幾ら良くても実習で良い成績を残せなければ──天分の量が少なければ──高いレベルの天法士には成れない。なまじ座学の成績が良いだけに、期待を抱いた教師たちの落胆を一層誘ったのだろう。そんな教師たちの態度にアガートは人知れず傷ついてきたというのか。
「……でもさ、そんならオレがいっちょ信用できる教師って奴になってやっても良いかな?……なんて思っちゃったんだよねー、ちらっとね。それでさー担任に相談したんだよ。そしたら『教師という道は易しくは無いが、優秀な君なら出来る。やってみなさい』って背中押されちゃってね。じゃあ、頑張っちゃおうかなーって」
自分の進路のことであるのに、他人事のようにアガートは話す。そうやっておどけて居ても彼が本気で努力の出来る人だと、レーキはもう知っている。そしてとても優しい人だと言う事も。だから素直に賛同した。
「……とても……素晴らしい事だと思います。俺もアガートは教師に向いていると思う!」
「君にそう言ってもらえると自信つくなあ。ありがとー!」
レーキの言葉を素直に受け取って、アガートは、はにかんだ笑みを浮かべてひらひらと手を振った。
「……ま、オレの教え方一つで生徒たちの行く末が決まっちゃうってのはまだちょっと怖いけどね」
アガートはそう言って肩をすくめてみせる。根は真面目で責任感もあるアガートのことだ。きっと生徒たちに慕われる良い教師になることだろう。
「実は院長代理とも話は付けてあるんだ。三ツ組取れたら雇ってくれるってさ。いえーい」
アガートはにっと笑って、レーキの肩に手を置くとも一度幸運を呼び込む指を作って差し出して見せた。
「……それでね。君はさ、オレの生徒第一号みたいなモノだからさー。ちょっとばかり贔屓しちゃう。……三学年になっても頑張れ、レーキ。そんで、『呪い』なんかちょちょいと解いて自由に生きろよ。オレも出来るだけサポートするからさー」
「アガート……」
感無量とはこのことだ。生徒と教師という立場は違っても、まだまだアガートとこの学院で学ぶ事が出来る。
レーキは胸をいっぱいにする感動で言葉を喉につかえさせながら大きく頷いた。
「ありがとうございます! ……先生!」
「まだ気が早いよー。だけど良い響きだな。……先生、か」
照れくさそうにアガートはぽりぽりと頭を掻いて笑みを浮かべた。
「……と、言う訳でオレは春からここの教師だよー。学生寮には居られなくなっちゃうけど……教師用の独身寮が学院の敷地内にあるからね。いつでも遊びにおいでー」
数日後、そんな台詞を残してアガートはレーキと同室だった学生寮を出て行った。
アガートの荷物を運び出してしまうと急に部屋ががらんと広くなったような気がする。
作り付けの机の脇にアガートは多くのメモを貼り付けていた。メモで覆われていた壁紙は他の部分より白く陽に焼けていない。それはアガートがこの部屋で三年間過ごした確かな証しだ。
そんな大小様々な跡が残る壁は、窓から差し込む春めいた陽の光に照らし出されていた。
この所陽気の暖かい日が続いている。どこか眠気を誘う心地よい春の大気。気持ちも上向きになるようだ。
季節はもうすっかり春を迎えて、新入生もちらほらと学院にやって来ている。
それでも一人の部屋にぼんやりと視線を遊ばせていると、不意に喪失感が心に染み通る。寂しくないと言えば嘘になる。だが、アガートにはすぐ会える。
食堂で、教室で、独身寮の部屋で。彼を永遠に失った訳では無い。だから、少しくらい寂しくても大丈夫。
さあ。最終学年だ。三学年からは実習が増え、難しい応用の天法が多く授業に登場してくると言う。油断は出来ない。
貯金もまだ目標額には達していない。今年は去年以上に気合いを入れて稼がねばならないだろう。
レーキは気合いを入れるために両手で頬を叩いた。
この所の日課になっていた『黄』天法の復習でもしようと朝から机に向かっていると、不意にとんとんと戸を叩く音がした。
「? ……はい。どうぞ、開いてます」
「あ、レーキ・ヴァーミリオン君? 自習期間にすまないね」
開いた扉の前に立っていたのは、今年寮長になったレーキと同じ学年の青年と、白いフード付きマントを目深にかぶった小柄な何者かだった。フードの上からぐるぐると顔に巻き付けられた縞のマフラーのせいで、その素顔は全く窺い知れない。
「この部屋は卒業生が居ただろう? それで片方開いてるって言うから……悪いけど新入生と相部屋になってくれないかな?」
「新入生、ですか?」
「そう。こちら新入生のズィルバー・ヴァイス君。ズィルバー君、こちらは三学年生のレーキ・ヴァーミリオン君だよ」
「……ど、どモ、よろしくお願いですマス」
レーキの前に立った新入生は不思議なイントネーションの挨拶と共に深々と頭を下げる。そうしているとズィルバーの背丈はレーキの腰ほどの高さで、姿勢を正しても胸の辺りに届くかどうか。ミトン状の手袋をして、きっちりと白を基調とした服を着込んで居るので、彼がどんな種族であるのかは全く解らない。
この新入生がどんな人物かはまだ解らないが、『呪い』の一言がちらついて、レーキは躊躇う。
この子を受け入れて良いものなのかどうか。レーキの逡巡を拒絶と取ったのか、寮長は不安げな表情で眉を寄せた。
「この子はニクスからはるばる来たんだけどね、ここで断られるともう寮には行き場が無いんだ。どうにかここで受け入れて貰えないかな?」
行き場が無い。そんな風に言われてしまってはレーキに断ると言う選択肢は無い。こんな時、師匠ならアガートならなんと言うだろう。やはり『はい』と言うだろう。
「……わかった。あまり広くない部屋だけど、それでも君が良いというなら、俺は歓迎するよ」
「ア、ありがとうございますデス!」
ズィルバーは何度も何度もぺこりぺこりと頭を下げた。その声はやはり不思議な抑揚だったが、彼が喜んでいる事だけは解った。
「ああ、良かった。じゃあ、ズィルバー君、解らない事があったらレーキ君に訊いてね。それでもどうしようも無かったら僕の所まで来てね」
それだけ言い置いて寮長は部屋を出て行く。後には大きな背負い袋を腕に抱えた新入生と新三学年生が残された。