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導入って長すぎると糞だけど短いと掴みにくいし難しい。
でもせっかくいろいろ考えてるから「死にました、はい転生!」で終わらせたくないという。
「―常識っていうのはね。その人が今まで生きてきた中で得た『偏見』の塊みたいなものなの」
某ど偉い発明家のような名言を吐きつつ、女神は冬依に語り掛ける。
「玄関で靴を脱ぐ?脱がない?
麺類をフォークで食べる?お箸で食べる?
『ドラゴン』がいる?いない?
『魔力』が存在する?しない―ぜんぶ一緒。わかった?」
「な、なんとなく……」
冬依はなんとなくもわかっていないが、とりあえず頷いておくことにした。
ゴシックなコスプレ女神(自称)とくだらない会話を交えつつあるき続けて、おそらく数時間はたった。
まだ道の終わりは見える気配がない。
「まあ、私の古い知り合いも言ってたけど、ようは『習うより慣れろ』ってことね」
「誰ですか?その『知り合い』って……?」
「さぁ……?昔のことだから。顔も名前も忘れちゃった」
そう言って女神は思い出そうともしなかった。
どこかその表情が悲しげに見えて、儚げに見えて。
冬依は少しだけ鼓動を高鳴らせる。
―彼女にドキッとしたらロリコンになるのだろうか。
いや、むしろ敬虔な信徒と言えなくもない。
「……そういえば、女神様に名前ってあるんですか?まさかそれも忘れちゃったって事は……」
「名前か……そういえばなんだったかな。ふ、ふら……フラン―フランリーノとかそんな感じだった気がする。なんせ女神になって2000年くらい経つからね。曖昧なの」
「忘れないほうがいいですよ。名前は大切なものです」
「―なぜそう思うの?」
女神は少し険しい顔になる。
「だって、忘れられたら悲しいじゃないですか。きっと女神様も―フランリーノ様も、あなたに名前を忘れられたら悲しいはずです」
「私がワタシを忘れて私が悲しむ?意味わかんない」
フランリーノが彼女の知り合いのことを話すとき、彼女は消えてしまいそうなほど儚げに、微笑んだ。
彼女自身に自覚があるかどうかはわからないが、神様だって悲しんだりするだろう。
ただなんとなく、忘れてほしくないと思った。
自分自身が何も覚えてないからこそ、目の前の少女に同じ思いを味わってほしくなかった。
一連の会話が終わると、長い沈黙が続いた。
特に話すこともなくなったのか、女神もいつしか鼻歌を歌い始める。
さすが女神らしく歌はとても上手で、聞いているだけで暇つぶしになった。
スローテンポで綺麗な旋律の曲だった。
別世界の曲なのだろうか、それとも神様の間で伝わる聖歌みたいなものだろうか。
彼女優しい歌声も相まって、子守唄に聞こえなくもなかった。
「その歌も昔の?」
「―メロディ以外はなにもかも忘れちゃったけどね」
聞けば、彼女は暇なときにこの歌を口ずさんでいるそうで、曲名を口に出さなかったがために、いつの日か歌しか記憶に残らなかったそうだ。
「それはそれで、素敵だと思います」
「よくわかんないよ、君のいうこと」
いつまでも変わらないかのように思えた白と黒の景色に、だんだんと『色』が付き始めた。
具体的に言えば、駅のホームに必要なもの。
自販機、駅員、黄色い線、青いベンチ―
見たこともない言語で書かれた看板。
そういったものが、無造作に存在し始めたのだ。
顔のない人間があてもなく彷徨う。
列車も数本通い始めた。
中にいるのは、やはり顔が影になって見えない乗客。
冬依はここにきて、ようやく死後の世界である事をはっきり自覚した。
「―あの人たちは……僕とおんなじですか?」
「ちょっと違うけど似たようなものかな」
「似たようなもの?」
「君が特別ってこと―」
女神はからかうように笑った。
「―ついたよ」
間髪入れずに、女神は一つの扉を指差す。
「列車に乗るんじゃないんですね」
想像していた展開と違い、冬依は少しだけ困惑した。
「君は特別って言ったでしょ?この扉から世界に降り立てば、君は『死ぬ前の状態のまま』でエルリシアに向かうことができる。あとは……まぁなんとかなるさ」
「え、ちょっと、大丈夫なんですか?言葉とか通じないんですよね?」
「その辺は大丈夫。『言葉は』通じるようにしてあげるから。話が通じるかはわかんないけど」
「君は特別だからね」とからかうように笑って、女神は扉をあけて中に入っていった。
引き返すことも立ち止まることもできず、冬依は渋々ドアをくぐる。
気がつけば、視界のどこにも女神はいなかった。
少年の目には蒼色の晴天の空だけが映る。
どこかに寝転んでいるいるようだ。
―花の香りがする。
風に揺られる草が、冬依の頬をなでた。
『あ、気がついたみたい。意外と早かったね』
「おわ!女神様?!」
もう二度と話すことはないと悟った直後だった。
普通に声が聞こえてきた。
『まだそこはギリギリ私と繋がれる場所なの。よく周りを見てみてよ』
「周り?」
冬依は言われたとおりに周囲を見渡した。
周辺にあるのは、草、木、小屋。
とてもではないが住心地の良さそうな場所ではない。
加えて、どうやらこの場所は小さな孤島のようで、周りに同じような島らしきものはない。
しかし、なにか様子が変だった。
具体的に言えば、波の音が聞こえない。
こんなに浜辺が近いのにも関わらず、一切水の気配がしないのだ。
「ぼ、僕ここに置き去りですか?」
「何言ってんの。君はまだエルリシアに『降り立っていない』でしょ?」
「へ?」
嫌な予感がして、立ち上がる。
足を運び、島の端まで歩く。
相変わらず波の音はしない。
かわりに、風が強く吹いている。
「そこは『天空都市』の一部。かつて神が住んでいた楽園の一欠片。いろいろあって今はひとりも神がいないけどね」
「て、天空都市……?」
嫌な予感は的中した。
冬依は島の外側を覗き込んだ。
そこにあるべきものがない。
海水、波、砂浜。
流れ着いた貝とか木片とか諸々。
そういった海岸に必要なものが一切なかった。
代わりに存在しているのは、ごうごうと吹き荒れる風と雲海だけだ。
「そ、そんなのアリですか……?」
「ま、ここは割とぶっ飛んでるよね。天空都市に人間が訪れたのは2回目。これで多分最後だね」
冬依は驚きのあまりにその場にへたれこみ尻餅をつく。
手に触れた草の感触は紛れもなく現実のものだった。
少年の『死を忘れる旅』がこの世界で始まる。
すべてを思い出すために。