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へっぽこ  作者: 真柴 文明
第二章
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一.旅の空の下で

 広之進が仇討ちに旅立ってから早くも半年近くのの月日が経とうとしていた。季節も隆広が斬殺された晩春から、黄金に染まった稲穂が仄かに揺れる秋へと着実にその歩を進めていた。

 そんな秋の昼下がり、青く済んだ空の下を秋茜(あきあかね)が気持ちよさげに飛んでいる。その様子を、小高い田んぼの土手の端に腰を下ろした広之進は、刀を横に置いてぼんやり眺めていた。

(もうそんな季節なのか。早いものだな……)

 この半年の間、左馬之助から押付けられた書状を頼りに、広之進は村木の親類縁者を始め、友人・知人などの交友関係先から立寄った先を片っ端から捜しまわり、時には一門が文で知らせてきた噂話に振り回されて西に東にと駆けずり回った。

 しかし、すべてが徒労に終わり、今もって村木の行方は掴めていなかったのである。

 下を向いて長く尾を引きような息を漏らす広之進の目に足元にある雑草が留まった。

「あっ、ハコベだ」

 古くから春の七草の一つに数えられるハコベは春によく花を咲かせるが、日当たりの良い場所では真冬でも花を咲かせる。

「へぇーっ。てっきり春の花だと思ってたんだが、書物に記された通りいつでも咲くんだ」

 ハコベは小さいながらも白く端正で美しい花を咲かせるが、その繁殖力は凄まじく生存競争が熾烈な荒地でもちゃっかり繁栄して見せる、雑草の中でもかなりの強者である。

「すごいよな、ハコベは。こんな土手の斜面でもしっかり根を下ろして生きている」

 見ているうちに、何だかお尻の辺りがうずうずしてきた広之進は、堪え切れずに懐から紙を取出し、腰に差した矢立の筆を取ってハコベを写し始めた。一枚、二枚と、夜空に瞬く小さな星のような花を丹念に書き写し、つぎは葉っぱ、茎と丁寧に描いていく。

 気が付くと、広之進は斜面に張付くようにしてハコベの写しに熱中していた。

「あっ、いかん。こんなことをやってる場合じゃない」

 我返った広之進は写した絵と筆を仕舞うと、急いで土手を上った。

 腰に手を当てて体を伸ばした広之進は、少し気持ちが軽くなったような気がした。

 この旅に出てからというもの、不確かな話に振回されて様々な場所を巡り歩いたが、仇がいないと、ほっと安心したような、それでいて心のどこかで落胆している自分に気が付くことが多々あった。

 本音を言えば、こんな旅などしたくはない。しかし、武家に生まれた以上、果たさねばならない宿命(さだめ)である。どうして自分のような者が武家に生れ落ちてしまったのだろうと、(らち)もないことついつい考え込んでしまう。

 そんな立ち往生する広之進の心を捜し回った旅先で出会った季節の草花が優しく慰めてくれた。訪れたそれぞれの土地に根を張る珍しい草花を見つけると、つい仇討そっちのけで熱心に描き写した。

 こんな旅を半年も続けているうちに、次第に広之進の心境にも変化が表れてきた。

 案外、仇討の旅も悪くないかもしない。旅の経費(かかり)は一門が旅先まで送ってくれるし、あの初七日や四十九日の法要の席で味わった重圧からも解放された。何より、好きなだけ草花を愛でても、誰からも文句を言われない。ただ、無念の死を遂げた父と国元に残した母、二人のことを想うと後ろめたい気持ちになるが、それでも好きな草花を愛でることは止められない。

 土手の道端で広之進は先ほど写したハコベの絵を懐から取出して眺めた。

「よし、次は冬のハコベを見つけよう。そして冬とくれば、やはり夏のハコベも見たくなるものだ。ああ、来年の夏が待ち遠しい」

 などと、一人ほくそ笑みながら絵を懐に戻した広之進は、再び目指す仇・村木 重実を求めて歩き出した。

 ハコベの絵の出来に気をよくした広之進。その足取りも軽くずんずん進んでいく。

と、軽快に歩いていた広之進の足が、いきなり止まった。

(あれ、なんか軽いぞ。特に腰の辺りが。何かとても大切なものを忘れているような気がする……。はて、何だったけ)

 自問する広之進は不自然なくらいゆっくりと振り返った。

「げっ、あんなところに!」

 見れば、武士の腰にあるべき魂がさっきまで広之進が腰を下ろしていた土手の道端に、所在なさげに捨て置かれていた。

 慌てて引き返した広之進は、大小二本の刀を拾い上げて腰に差した。

「うっ、やっぱり重い。そして歩きにくい。くそっ、どうしてこのように重いものを腰に差して歩かなきゃならないんだ」

 苦々しく思いながらも、前を向いた広之進は再び歩き出した。右に左によろめきながら。

 何とも頼りないその後ろ姿を例の二つの(まなこ)がじっと見ていたことを、広之進はまだ気付いていない。

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