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へっぽこ  作者: 真柴 文明
第一章
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六.いざっ、仇討へ

 一月(ひとつき)後、すべての手続きを終え、殿様から仇討のため国元を離れることを許された広之進は、その日の早朝、旅装束に身を包み玄関で草鞋を結んでいた。

 確と結んだ広之進は、すっと立上がり振り向いた。

「では、母上しばしの別れですが、必ず村木さんを見つけ出して父上の仇を討って参ります」

 まだ心の傷は癒えていない母・由之は気丈にも玄関に見送りに出ていた。

 母に心配かけるまいと、笑顔で別れの挨拶をする広之進に由之は困った顔をした。

「広之進、それでいったいどうやって討つのです」

「はあ?」と目を丸くする広之進の腰の辺りを、由之は指差した。

 見れば武士の腰にあるべきものがない。そう武士の魂である大小二本の刀がないのである。

 慌てて広之進は前後左右を見回した。

「あれ、どこに置いたんだ? 確かに部屋から持って出てきたんですが」

 あたふたする広之進を不憫に思った由之は仕方なく「あそこに」と上がり(かまち)の隅に無造作に置かれた二本の刀を目で指した。

「あっ、あんなところに。道理で腰が軽いなと思っていました」

 広之進は急いで刀を取って腰に差した。

「まったく、お前という子は武士の魂を忘れてどうするつもりだったのです」

 広之進のあまりの吞気さに、由之は眉根を寄せた。

(これから仇討の旅に出るというのに刀を忘れるとは。本当に仇討する気があるのか。我が子ながら、何だが腹が立ってきた)

 腹立ち紛れに由之はこれから旅立つ広之進にもう一言注意しようとしたが、「えへへ」と頭に手を当てて笑ってごまかす広之進の体があっちにヨロヨロ、こっちにフラフラと、どうも安定しない。玄関先に控えていた下男の吾平もハラハラしながら見守っている。

 由之は仇討の重圧に広之進の体が変調を来したのかと、少し心配になった。

「これ、広之進。体の具合でも悪いのですか?」

「いや~っ、母上。武士の魂とは重いものなのですね。はははは」

 何ってことはない。要は差し慣れていない刀に腰を取られて、上手く体が保てないだけのこと。これでは別れの挨拶どころではない。もう何も言うまいと、由之は固く心に誓った。

「では、行って参ります」

 今度こそ仇討の旅へ颯爽と向かおうとする広之進だったが、腰に差した刀の重みで動きがどうもギクシャクしてしまう。

(うっ、重い。本当にみんなこんな重いものを、よく腰に差してるな。普段の御役目にはあまり必要ないから家に置いてきたり、たまに要るときは、背負ってお城に上がってるからな)

 などと、武士にあるまじき行いを思い返しながら、広之進はどうにか門に辿り着いた。

 門のそばで先に行って待っていた吾平が不安げな目で見ていた。

「広之進様、大丈夫ですか?」

「ああ、大事ないよ。それより留守の間、母上のことお願いします」

 広之進は笑顔で強がって見せた。

「へい」と(うなず)いた吾平は、門の貫木(かんぬき)を横に滑らせるように引き抜いた。

 耳障りな軋む音と共に門が左右に開くと、そこには伯父・佐島を始め中村一門、亡き父の同輩の方々、友人・知人に、御用商人たちなど、実に様々な多くの人たちが待ち構えていた。

(やはり父上はすごいお方だったんだ。その息子というだけで、これだけの人たちが見送りに来てくれたのだから)

 見送りに来た大勢の人々はそれぞれに声を掛けて励ました。

「広之進、体に気をつけて頑張れよ!」

「村木を見つけ出すだけでいいからな!」

「我ら同輩一同、必ず中村殿の御無念を晴らせると信じております!」

「広之進様の御武運を祈っております」

 広之進は照れ臭そうに伏し目がちに見送りに来てくれた人々の声援の中を歩いた。

(旅立つだけなのに、何だか照れるな。でも、こんなにも大勢の人から期待されるなんて、何かやる気が出てきたぞ)

これまでまともに相手にされることがなかった広之進にとって、まさに初めてといっていい体験だった。

 口々に囃し立てる人々の中から、一際大柄な武士がずぃと前に出てきた。

「広之進、これ持っていけ」

 見送る人々の中ら出てきた従兄の左馬之助が袂から取り出した書状を手渡した。

「何ですか、これ」

「お前、村木の顔をちゃんと見たことがないと言ってただろう。だから人相書きを用意した」

「えっ、ありがとうございます!」

 思わぬ従兄の心遣いに喜んだ広之進はその場で書状を開き、人相書きに目を通した。

(この人が村木さんか。鼻筋が通ってて、何だか役者みたいに整った顔だ。なになに、身の丈が四尺八寸で、重さが二〇貫。へぇー、剣術指南役の割に意外と細身だな)

 じっと人相書きを見ていた広之進に、左馬之助が言った。

「どうだ。役者みたいにいい男振りだろ。実際、細面の色白でな、奴が城下を歩くだけで町娘どもなんか雀みたいにはじゃいでおったわ」

 面白おかしく話していた左馬之助の声が急に硬くなった。

「だが、見た目に惑わされるな。何度か道場で手合せしたことがあるんだが、柳に風といった感じで上手く流され、あっという間に一本取られていた。まあ、剣術指南役だから、当たり前なんだが、一度も勝てなかった」

「左馬之助さんが一度も……」

 藩内でも三本の指に入るほどの剣の腕前を持つ左馬之助の話に息を吞む広之進は、改めて目指す仇が凄腕の剣士であることを思い知らされた。

 左馬之助が書状に指差して言った。

「それからその下にもう一枚、皆と相談して村木が身を寄せそうな所を片っ端から挙げておいた」

「えっ、もう一枚ですか」と、広之進が人相書きをずらすと下からもう一枚、村木の親類縁者を始め、交友関係、武者修行の旅で立ち寄った先などの氏名、名称、在所が書かれた書状が出てきた。その数、ざっと一〇〇余り。

(げっ、こんなに。しかも村木さん、西から東まで諸国を渡り歩いてる。これを一つ一つ訪ねて回るのか。いったい何年かかるんだろう……)

 書状に目を落としたままうんざりする広之進に、左馬之助は笑顔で言った。

「まあ、そう深刻になるな。とにかくお前は捜すだけでいい。気楽に行け」

「気楽にって、そんな簡単に言わないでください。どれだけあると思ってるんですか」

「仕方ないだろう。では聞くが、他に捜す当てがあるのか?」

「ええ、まあ取りあえず、村木さんの生まれ故郷にでも行こうかと」

「そのあとは、どこを捜すんだ」

「どこと言われても、それは……」

「そらみろ。どうせ、そんなことだと思っていた。つべこべ言わずに、そこに書留めたところをしらみ潰しに当たれ」

「うっ」

 何も言い返せずに広之進が書状を手に立ち尽くしていると、左馬之助の背後から伯父の佐島が現れた。気付いた左馬之助が会釈する。

「これは佐島様。出過ぎた真似と思いましたが、如何せん頼りない広之進のこと。旅先でいたずらに時を無駄に過ごしてはと思い、一門総力を挙げて書き上げた次第でございます」

「うむっ、御苦労であった」

 恨みがましく左馬之助を睨み付ける広之進に佐島は言った。

「ところで広之進、殿から賜った『仇討赦免状(しゃめんじょう)』は確と持参しおろうな」

 仇討赦免状は主君が家臣に対して「仇討のために、主君に仕えず国元を離れることを赦す」と認めた公文書である。他国にて必要な場合はこれを提示すれば、その身分と目的の証となる。ただし、仇討赦免状は「国元を離れることを赦す」と言ってるだけで、「殺人を赦す」とまでは言っていない。仇討ちはあくまでも幕府の許可が必要で、許可なく人を斬れば、ただの殺人である。仇討赦免状は決して「殺しのライセンス」ではない。

「はい、伯父上。ここに」広之進は懐から茶色の油紙に包んだ書状を取り出して見せた。

「うむっ、よいか広之進。御公儀への届出でも済み、無事に帳付けされた。これで晴れてお前の仇討ちが正式なものと認められたのだ。堂々と胸を張って村木を捜し出せ」

「はい、必ずや」

 広之進はしっかり伯父の目を見て答えた。

「では、行って参ります」と一礼して踵を返す広之進の背中に「広之進……」と弱々しく呼びかける母・由之の声が聞こえた。

 振り向くと、佐島の傍らで吾平に支えられた母の痛々しい姿があった。

「母上!」

 思わず叫んで駆寄ろうとする広之進を、佐島が手で制した。

「広之進、案ずるでない。お前の母はワシの妹でもある。ワシと一門が責任を持って面倒を見るゆえ、安心して仇討に専念せよ」

 見れば、母が薄っすら笑みを浮かべて力なく頷いていた。

「おっ、伯父上、一門の皆様。どうか母上のこと宜しくお願い致します」

 零れそうな涙を堪えて深々と一礼した広之進は、再び踵を返して旅立った。

 一歩、一歩、腰に差した刀の重みに耐えながら、目指す仇・村木を求めて、いつ終わるとも知れない旅に踏み出した。

 そして、四十九日の席の片隅でじっと広之進を見詰めていた、あの二つの(まなこ)もまた、見送りに集った人々から隠れるように、門の脇から旅立つ広之進の背中を見ていた。

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