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へっぽこ  作者: 真柴 文明
第一章
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五.広之進、覚悟を決める

 無事に四十九日の法要を終えたその日の午後。屋敷の広間に一門の主要な者たちが、左右にそれぞれ八名づつ、居住まいを正してずらりと並んだいた。上座には初七日と同じく、伯父・佐島 忠典が鎮座している。誰ひとり口を開くこともなく、静まる広間にはピンと張詰めた空気が漂っていた。

 その様子を広間に面した廊下の襖の間から、広之進は四つん這いになって窺ってた。

(うわぁ、今からこの中に入っていくのか。そして、武士らしく父の仇を討ちますって……)

 やっぱり止めておこうと、四つん這いのまま回れ右した広之進の頭上から声がした。

「おい、どこに行く」

 そーっと広之進が見上げると、仁王のように立っていた左馬之助の冷ややかな視線とまともにぶつかった。

「まさか、この期に及んで逃げるつもりか」

「ははははは。まさかそんな。ちょっと厠にでも行こうかと」

 渾身の作り笑いでその場をやり過ごした広之進は、這ったまま左馬之助の足元をすり抜けた。

 あぶない、あぶないと安心したのも束の間、いきなり左馬之助の右腕が広之進の襟元を力任せに掴むと、大根を抜くように引き上げた。

 襟首をつまみあげられた猫のように大人しくなった広之進を、左馬之助は睨み付けた。

「そんなもん後にしろ。それより、さっさと中に入って覚悟を決めてこい」

「えっ、漏れちゃいますよ」

 広之進の言い分など、お構いなしに左馬之助は左腕で襖を開けるや、小柄な広之進を軽々と中に投げ入れ、ピシャリと襖を閉めた。

 広間に放り込まれた広之進は、畳に打ち付けた腰を手で擦りながらぼやいた。

「痛たたた。誰も逃げるなんて言っていないのに、乱暴なんだから」

 腰に手を当てていた広之進がふと言いようのない視線を感じた。恐る恐る感じる方へ顔を向けると、そこには左右に双璧を成して座る一門の主だった面々と、双璧のど真ん中を貫くように上座には佐島が控えていた。

 皆一様に厳しい顔つきでこちらを見ていることに気が付いた広之進は急いで居住まいを正し、畳に手を着いて詫びた。

「これは皆さま。遅くなって申し訳ございません」

 上座の一番手前にいた一門の長老・中村 源右衛門(なかむら げんえもん)が佐島に目をやった。

「では、広之進も揃ったということで、そろそろよろしゅうございますか」

「うむっ」

 ずいっと膝を前に押出した源右衛門が、広之進を見据えて重々しく言った。

「広之進、仇討ちの覚悟はすでにできておろうな」

 広之進は頭に手をやりながら、自信なさげに答えた。

「ええ、まあ。一応というか、何というか」

「一応とはどういうことじゃ。まさか、仇討ちに臆したか」

「はい」と、広之進は即答したかったが、どうにか胸の中に押し止めた。

「どうなのじゃ、広之進。仇討の覚悟ができたのか、できなかったのか、確と返答せい」

「いや~っ、できたというか、できなかったというか」

 煮え切らない広之進の態度に、目付きが険しくなた源右衛門が語気を強めた。

「どっちなのじゃ。はっきりせよ!」

「その~っ、別に仇討の旅に出るのは構わないのですが、ただ」

「ただとは?」

「運良く探し出せたとしても、相手はあの村木さんですよ。私ひとりで太刀打ちできるとは到底思えません」

 絶対無理!と、言わんばかりに広之進は顔の前で手をヒラヒラさせた。

「ふんっ。そのようなことか」源右衛門は鼻を鳴らして続けた「お前みたいなへっぽこ侍がひとりで村木を討つなど、ここにいる誰ひとり最初(はな)から期待しとらん」

「では、どうして私に仇討の旅に出ろとおしゃるのですか?」

 片や北辰一刀流免許皆伝の村木。片や碌に刀を抜いたこともない広之進。それほど両者に歴然とした力の差があるのに、どうして仇討の旅を強いるのか。立合えば、確実に返討ちに遭うというのに。

 釈然としない広之進に、源右衛門が釘を刺した。

「よいか広之進。旅先で村木を見つけ出したとしても、決して手を出すな。必ずや国元の我ら一門に知らせよ」

「仇討って、私ひとりでやるもんじゃないんですか」

「当たり前じゃ。お前ひとりで立合えば、必ず返討に遭う」

(あっ、やっぱり)

 今更ながらに、剣術を疎かにしてきたツケが回って来たことを広之進は痛感した。

 きっぱり言い切った源右衛門が先を続けた。

「だからこそ我らに知らせるのじゃ。村木の居場所さえ掴めれば、後はどうにでもなる」

「どうにでもなるとは?」

 そうじゃなと、顎に手を当てた源右衛門は口元にに冷たい笑みを浮かべた。

「例えば、夜に人気のない場所に誘い込み、取囲んで一気に斬り掛かる、とか」

 仇を見つけ出したら、正々堂々と竹矢来の中で見事に討ち果たす。それが仇討だと思っていた広之進は長老・源右衛門の話を聞いて「それ、闇討ちと同じですよ」と喉元まで出かかったが、やっぱり何も言えなかった。

「所詮、多勢に無勢。如何に村木といえども、多人数を相手では思うように戦えまい。必ずや討取れる。討取ってしまえば、死人に口なし。あとは、どうにでも言い繕える」

 暗い目をした源右衛門がほくそ笑んた。

(うわぁぁぁぁぁぁぁ。武家って恐ろしい……。そして最低だ……)

 がっくりうな垂れる広之進の姿を見ていた一門たちは、励ますように口々に言い立てた。

「広之進、そう深刻に考えるな。北辰一刀流恐れるに足らずだ。長老殿のおっしゃる通り、お前は見つけ出すだけでいい。後は我らに任せておけ」

「そうそう。だが、何も人数ばかり掛けるばかりが手ではないぞ。酒をたらふく呑ませて、前後不覚になったところをバッサリ」と、斜めに手刀を走らせる者がいれば、

「いやいや、女を使ってたらし込むてもあるぞ。いくら剣一筋の堅物でも女の柔肌に触れれば、むっひひひひ」と、品なく笑う者もいた。

(あんたら、本当に最低だな)

 お気楽な一門たちに、遠い目した広之進は思わず鼻白んだ。

 ここで、突如、上座から厳かな声が響き渡った。

「御一同、お静かに」

 源右衛門は乗り出していた身を席に戻して居住まいを正し、他の一門も同様に居住まいを正して口を閉じた。

 再び広間に張詰めた空気が漂う中、佐島は開口一番「広之進、覚悟はできたか」と言った。

 遠い目をしていた広之進は、ハッとして佐島に顔を向けた。

「あっ、そうですね。捜し回って見つけるだけなら、私でも何とかなる、かも」

 えへへっと苦笑いを浮かべる広之進に、佐島は一抹の不安を覚えつつ、、伯父としてできることなら腕に覚えがある者を一人、二人は付けて送り出してやりたいところだが、高が三万石の片田舎の小藩に仕える一門にも各々の御役目と暮らしがあるので、そう無理強いはできない。それに親の仇討ちは、嫡男である広之進が果たすが武家の習。

(ここは、広之進に踏ん張ってもらうしかあるまい……)

 小さく吐息を漏らした佐島は念を押すように訊ねた。

「では、広之進。改めて聞くが、仇討の旅に出ると申すのだな」

「はっ、はい。で、出ます。出て必ず、む、村木さんを、さ、捜し出します」

 おどおど噛みながらも、広之進がどうにか言い切ると、一門から称賛の声が上がった。

「よくぞ申した、広之進!」

「あの世できっと、隆広殿も喜んでおられるに違いない!」

「石に噛り付いても、村木を見つけ出せ!」

 またも騒ぎ出した一門に、今度は源右衛門が老体とは思えぬ張りのある声で叱咤(しった)した。

「落ち着かれよ!」

 騒ぎが収まると、源右衛門は席から立ち上がり、広之進の前に座った。

「広之進、よくぞ申した。この老いぼれ、ほれ、この通りじゃ」

 広之進に向かって源右衛門は白髪頭を深々と下げた。

「えっ、頭をお上げください」

 広之進が慌ててそう言うと、頭を上げた源右衛門は、ばつが悪そうな顔で話し始めた。

「実はな、わしはお前の父・隆広殿に、廃嫡(はいちゃく)を何度も勧めたことがあるんじゃ」

 廃嫡。平たく言えば、跡取りクビである。

「父上が私の廃嫡を考えていたと……」

 初めて聞かされる廃嫡の話に、広之進は少なからず動揺した。

(父上が私を廃嫡しようとしていた? 確かに剣術、学問と悉く父上の期待を裏切ってきた。それでも草花好きのお陰で、御庭廻り役を頂戴できた。大した御役目ではないが、決まったあの日の夕餉の席で、父上は背中越しに確と言ってくださった「励め」と……)

「これ、そのような顔をするな。話は最後まで聞くもんじゃ」

 今にも泣きだしそうな広之進に、源右衛門は詫びるように言った。。

「これまでのお前の所業、分かっていると思うが、剣術学問まるでダメ。加えてへっぽこ呼ばわりされても、怒るどころか、相も変わらず草花ばかりに現を抜かす有り様。だから、廃嫡を勧めたんじゃ。また、こんな頼りない嫡男しかいない隆広殿が哀れに思えてな」

 一度言葉を切った源右衛門が小さく息を吐いて続けた。

「だがな、隆広殿は廃嫡には頑として首を縦に振らず、最後には『誰が何と言おうと、嫡男は広之進以外にあり得ませぬ。こればかりは一門の長老といえど、承服しかねます』と、きっぱり()ね付けられた」

「父上……」

「広之進よ。お前は果報者じゃ。これほど父から愛されておたんじゃからな」

 自分の知らないところで盾となって守ってくれていた父の愛に、「父上ーー!」と声を上げた広之進は人目を憚ることなく声を上げて泣き崩れた。

 畳に手を着いて泣きじゃくる広之進を、キッと見据えた源右衛門が言った。

「よいか、隆広殿の無念を晴らすべく、必ずや村木を捜し出すのじゃ」

「ヒ、ヒクッ。はい。ヒクッ。必ず村木さんを、ヒクッ。捜し出します……」

 涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔で答える広之進を、一門は「うんっ」と大きく頷き、佐島はやれやれと鼻から吐息を漏らした。

 こうして広之進の仇討ちの旅は、四十九日の席において決まった。

 この様子を広間の片隅から誰に気付かれることもなく、二つの眼が、ただじっと広之進の背中を見詰めていた。

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