十九.留守居役、暗躍する
広之進が久蔵の茶屋に通い始めて三月が過ぎた。季節は進み梅雨が明けた青く澄み切った空には夏らしい眩い陽光が煌めいていた。
この頃になると、広之進は「古傘買い」という、今でいうリサイクル業をやるようになっていた。「古傘買い」とは壊れた傘を下取り、破れた傘の油紙は味噌や魚の包装紙に、折れた傘の骨は燃料として再販売する業者のことである。
今日も長屋で広之進は集めた古傘を専門問屋へ持って行くため数えていたのだが、その様子がどうもおかしい。
「一つ、二つ、へへへ。三つ、ウフフ。四つ、えへへ」
だらしなく頬緩ませながら古傘を数える広之進に、隆広は眉根を寄せた。
「なんだ、この野郎。さっきから薄っ気味悪いな」
「えっ、父上。なぜ私がこのように機嫌がよいのかお知りになりたいのですか」
広之進はここぞとばかりに、身を乗り出して言った。。
「いや、いい。どうせ女の惚気話だろう。もう、聞き飽きた」
「えーっ、どうしてそのようなことをおっしゃるのです。私はただこの幸せを父上と分かち合いたいだけなのです」
「うるせえ。そんなもん。てめえの胸だけに仕舞っておけ」
「そのようなことをおっしゃらずに、子の幸せを素直にお喜びになっては如何ですか」
広之進が尚もしつこくまとわり付こうとしていると、戸口の方から男の声がした。
「御免、中村 広之進殿は御在宅か」
戸口に目を向けた広之進は「どちら様で」と言った。
すると、戸口が開き「失礼いたす」と会釈して若い武士が入ってきた。見れば、腰に二本の刀を差した羽織袴の立派な身なりをした武士である。
「拙者、江戸留守居役・倉岡 宗継様に仕える小園 兵吾と申す。その方が広之進殿か」
「えっ、江戸留守居役様の」
広之進は慌てて居住まいを正し畳に手を着いた。
諸藩における江戸留守居役とは、江戸に常駐し公儀と藩の公務取次、他藩との交際・折衝を主な任務とする、今の外交官のような職務である。
「これはわざわざお出でいただき、かたじけのうございます。私が広之進でございますが、何か」
「至急、藩邸に参られるようにと、留守居役様から言付かっており申す」
藩の外交を一手に担う江戸留守居役が、元・葛西藩士とはいえ、今は一介の浪人である自分に何の用のか広之進は首を捻った。
「留守居役様が私に。今からですか」
「左様、急がれよ」
「は、はい」
急き立てる小園と共に、広之進は取るものも取り敢えず藩邸へ向かった。
薄暗い部屋にポツンと残された隆広は独り言ちた。
「留守居役か。なんかきな臭くなってきやがったな」
半刻後、顔を真っ青にした広之進が藩邸から戻ってきた。
「どうしよう……。どうしよう……」
戸口の前で広之進がうわ言のように繰り返していると、いきなり戸口が開いて中から伊之助が顔を出した。
「旦那、大丈夫ですかい。顔色が悪いじゃありませんか」
「あっ、伊之助さん。どうしてここに」
「いえね、これから大変なことが起こりそうだってんで、お父上様に呼ばれたんでさあ」
「えっ、父上がそのようなことを」
「さあ入って、留守居役って奴になに言われたか話を聞かせてください」
伊之助に引きずられるようにして広之進が中に入ると、口をへの字に曲げた隆広が部屋の真ん中であぐらを掻いて待っていた。
「父上、ただいま戻りーー」
言いかける広之進を手で制して隆広は、指先で畳の上をトントン叩いた。
「挨拶はあとだ。それより、ここに来て藩邸での話、聞かしちゃくれねえか」
頷いた広之進は部屋に上がると、隆広の前に正座し伊之助も隣に腰を下ろした。
隆広が覗き込むように訊ねた。
「でっ、なに言われたんだ」
「それがーー」
広之進の話によると、江戸藩邸に勤める佐々木何某という者が剣術道場での稽古帰りに、たまたま通り掛った上野寛永寺の本坊表門で小僧を伴う一人の若い僧を見かけた。。
何気にその僧に目にやった佐々木の顔が強張った。
(あやつ、もしや……)
佐々木は藩邸に戻るや、すぐにこのことを上役に知らせた。上役はまさかあの村木がと思いつつ、一応、密偵を差し向けた。
数日後、密偵からの報告を受けた上役は驚いた。なんと、その僧が国元で同輩を斬って逃げた村木 重実、その人だったからだ。今は名を撹真と変え、名刹として名高い谷中・成龍寺の僧として修行に励んでいる。
当然ながら成龍寺は寺社方の支配下にあるため、大名といえど迂闊には手を出せない。仮に正面から正式に村木引き渡しを申し入れたところで、成龍寺側も弟子をむざむざ死に追いやるような真似はしない。苦慮した上役は藩の外交の一切を取り仕切る江戸留守居役・倉岡に相談を持ち掛けた。
持ち掛けられた倉岡も驚いたが、藩主の顔に泥を塗った不届き者をこのまま見過ごせば、それこそ御家の恥。
倉岡は八方手を尽くして村木引渡しを画策したが、どうにも上手くいかない。こうなれば止む無しと、倉岡は成龍寺外で村木を討つことにした。討取ってしまえば、あとは広之進を表に立てて言い繕えばよい。なにせ、この仇討は公儀が認めた正式なものと、倉岡は読んだ。
そして、より確実に村木を仕留めるため、急ぎ国元より数名の手練れを呼び寄せた。
「ーーということなのです」
青ざめた顔で広之進が話を終えると、隆広は小さく頭を振った。
「まったく、村木の野郎ついてねえな。せっかく、おめえに目溢ししてもらったってえのによ」
「父上、私はどうすればよいのでしょう」
「おめえはどうしたいんだ」
しっかり自分の目を見て聞き返す隆広に広之進は一瞬言葉を詰まらせたが、意を決して言った。
「私はこれ以上、争いたくはありません」
「ほお、するってえと何か、例え藩を敵に回しても村木を守るってか」
「まあ、結果的にそうなりますねえ」
ふと広之進が宙に目をやって今自分が口にしたことを考えると、突然何かに気付いたように目を大きく見開いた。
「父上、それはまずいです!」
「やっと気付いたか。おめえって奴はほとほと呆れるぜ。いいか、藩を敵に回すってことは一門も敵に回すってこった。おめえの帰る場所はなくなるし、下手すりゃ国元の由之、おめえのおっ母さんに類が及ぶかもしれねえ」
「母上に……」
広之進は仇であっても、心から悔いて僧侶になった村木を討てなかった。そんな武士あるまじき所業で国元に残した母を苦しめてしまうことにひどく胸を痛めた。
広之進の心中を慮った隆広は気遣うように言った。
「まっ、そこら辺のことは佐島の義兄が上手く取り計らってくれると思うがよ」
一つ間を置いて隆広は広之進の目を確と見て言った。
「それでもやるってのかよ」
広之進は苦悶の表情を浮かべながら固く目を閉じた。
(母上、こんな武士の風上にも置けぬ不甲斐無い私をお許しください。私には人は斬れません……)
カッと目を開いた広之進は捲し立てた。
「やります。撹真様を守り、藩の方々にもご納得していただけるように誠心誠意、話して参ります。今はどのように話せばよいか見当もつきませんが、とにかくその方向で」
「刀抜かずにやるってのか」
「もちろんです」
きっぱり言い切る広之進を見て隆広はニヤッと笑った。
「そうかい。どうやら本気みてえだな」
隆広は隣の伊之助に目を移した。
「そうとなったら伊之助、済まねえが、寺まで一っ走りしてくれねえか。それでよ、訳話して村木の奴にしばらく寺から出るなって言ってきてくれ」
「へい、承知しやした」
そう言うと、伊之助は部屋から飛び出て成龍寺に向かった。
伊之助が出ていくのを見届けた隆広は改めて広之進に訊ねた。
「ところで、その手練れって奴ら、いつ江戸に着くんだ」
「留守居役様の話では、明後日にも着くとおっしゃってました」
「そうか。それじゃあ、こっちも支度に掛かるか」
「えっ、なんの支度なのですか」
意味が分からずきょとんとする広之進に、隆広は口唇の片端を上げた。
「なに、心配すんな。俺に考えがある」




