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へっぽこ  作者: 真柴 文明
第三章
40/50

十四.やっぱりダメでした

 昇ったばかりの瑞々(みずみず)しい陽が降り注ぐ中、数珠を手に撹真は囁くように経を唱えていた。

 一心に祈るその背中に神仏の如き厳かなものを感じた広之進は()かれたように見入った。

(死を前にして、なんと気高い姿をしておられるのだろう。人とはこうもう決然として死を受け入れられるものなのか)

 圧倒する後姿に広之進が立ち尽していると、撹真は経を止めて訝しんだ。

「如何なされた。また、弱気の虫が騒ぎ出しましたかな」

 広之進は慌てて顔を振った。

「い、いえ。では、参ります」

 広之進は一歩前に出て刀を抜いた。撹真の背中に向かって一礼した広之進は顔を上げると、手にした刀を大きく振り被った。

「御免!」

 掛け声と共に振り上げた刀を打ち下ろすと思いきや、振り上げたまま広之進の体がその場に貼り付いたようにピタリと止まった。

(う、動かない。う~っ。くそっ、肝心なときにどうして動いてくれぬのだ……)

 思い通りにならない体を無理やり動かそうと、再び「御免!」と声を張上げて斬り掛ろうとするも、広之進はその先へ一歩も進めなかった。そのあとも何度も試みたが、ただ「御免!」の掛け声だけが竹林に虚しくこだました。

 遠巻きに二人を見守っていた伊之助は首を捻った。

「お父上様、さっきから謝ってばかりで、旦那は何やってんですかね」

「そうだな、一応斬ろうとしてるみてえだが、そっから体が言うこと聞かないようだな」

 それに見なと、隆広は振り上げた刀の先を(あご)で指した。

「あのバカ、ガタガタ震えてやがるぜ」

 伊之助が目を凝らして見ると、確かに切っ先が小刻みに震えていた。

「あーっ、こりゃダメですね」

「ああ、ダメだな」

 あっさり見限る二人(?)であった。

 一方、刀を振り上げたまではいいが、そこから行きつ戻りつを繰返した広之進は、やがて力尽きたように振り上げた腕を降ろすと、そのまま手から刀が零れ落ちた。

 背後の物音に驚いた撹真は思わず振り返った。

「如何なされた。うっ」

 振り返ると、足元に転がる刀を気に掛けることもなく俯いた広之進がしょんぼり立っていた。

「斬れません……」

 喉の奥からどうにかそれだけを口にした広之進は膝を着いて嗚咽(おえつ)した。

「広之進殿!」声を荒げて身を翻した撹真は広之進の肩を乱暴に揺すった。「それでよいのですか。私を討ち果さぬ限り、帰参はおろか国元の母御にも会えぬのですぞ」

 顔を上げた広之進は涙と鼻水を流しながら訴えた。

「でも、斬れないんです~っ、ヒクッ。おっしゃる通り撹真様を討てば、藩に戻れて国元に帰れます~っ、ヒクッ。ですが、そんな自分が嫌なのです~っ、ヒクッ」

「いや、それではいったい、これからどうするおつもりなのですか」

「どうしていいか、私にも分からないんです~っ、ヒクッ」

 これでは(らち)が開かないと見た撹真、咄嗟に広之進の脇差を引き抜いて自分の腹に突き立てようとした。

 これに度肝を抜かれた広之進は、慌てて撹真の腕にしがみ付いた。

「わーーっ、何するんですか! やめてください!」

「放してくだされ。これでは私の面子が立ちませぬ!」

「嫌です! 絶対に放しません!」

 放せ、放さぬと揉める二人を眺めていた隆広と伊之助は鼻白んでいた。

 伊之助がげんなりした顔で言った。

「今度は何やってんですかね、あの二人」

「たぶん、村木が自分で腹切って討ち果したことにしたいんじゃねえか」

「それを旦那が必死に止めようとしなさってる」

「そうだ」

「それ、本格的にダメですね」

「ああ、本格的にダメだな」

 しばらく様子を眺めていた隆広は、飽きてしまったのか、脇差を挟んで一歩も譲らぬ双方を指差した。

「伊之助、そろそろ二人とも疲れてくる頃だ。少し面倒を掛けるが、刀引っ込ませてあのバカ連れて先に帰っててくれるか」

「へい、承知しやした。でっ、お父上様はこのあとどうなさるんで」

「俺はもうひとりのバカ見てるよ。村木をひとりにしたら、なに仕出かすか分かったもんじゃねえからな」

「分かりやした。じゃ、お先にご免なすって」

 着物の裾を端折(はしょ)って勢いよく走り出した伊之助は自分でも自然とほおが緩むのが分かった。

(やっぱり、お斬りになれなかったな。これで撹真様は助かったけど、いっていこの先、旦那はどうすんのかね。まっ、旦那らしいちゃ、旦那らしいけどな)

 伊之助が着くと、広之進と撹真は脇差を掴み合ったまま肩で大きく息をしていた。

「はあ、はあ。これも武士の情けと思うて放してくだされ、広之進殿」

「何を言ってるんですか。もう武士ではないでしょう。はあ、はあ」

 と、そこへ緊張感のない間延びした伊之助の声が割って入った。

「あの~っ、お二人ともそろそろその辺りで、よろしんじゃないんですか」

 同時に顔を向ける二人の前にしゃがみ込んだ伊之助は頭を掻きながら照れるように言った。

「あっしみてえな半端もんが口幅(くちはば)ったいこと申し上げますが、人ってなあ、生きててなんぼじゃないんですかい」苦笑いを浮かべつつ伊之助は続けた。「お二人には、それぞれ引くに引けねえご事情ってもんがお有りになると思うんですが、死んじまったらそれで終わりですぜ。少しは肩の力を抜いて、その日その日をお天道様に恥じねえように生きてりゃいいじゃねえんですか」

「伊之助殿……」

 そう呟いた撹真は、何に思ったのか、いきなり脇差から手を放した。

「うわっ!」

 その拍子に広之進はもんどり打って後ろへ倒れた。

「痛ててててぇ」

 体を起こして広之進が頭に手を当てていると、伊之助が背中に付いた笹の葉を優しく払った。

「旦那、大丈夫ですか。さあ、そんな物騒なもんサッサッと仕舞って帰りやしょう」

 小さく頷いた広之進が握り締めていた脇差を鞘に収めると、伊之助は「こいつも」とそばに転がっていた大刀をつまみ上げて手渡した。

 言われるままに大刀を収めて立上った広之進の足元で、撹真は魂が抜けたように茫然と座り込んままだった。

(私はここへ討たれる覚悟でやって来た。いくら昔の始末を付けるとはいえ、自ら命を差し出すは、自ら命を絶つのも同じ。僧侶として破戒以外の何物でもないと、門跡様を始め寺の者は皆、私を止めてくれた。その大恩ある方々の制止を振り切ってここに来たというのに、広之進殿は討たぬと言い出し、伊之助殿は人は生きてなんぼと言った。その言葉を聞いて、心のどこかでほっとしている自分に気付いた。私はいったいどうしたいのだ……)

 黙然と自問自答を繰り返す撹真を、ジッと見ていた広之進はおもむろに口を開いた。

「撹真様、どうか生きてください。そして父上の菩提を弔い続けてください」

 よろしくお願いしますと、ぺこりと頭を下げた広之進は撹真を案じつつ、伊之助と共にその場を後にした。

 二人がしばらく竹林の小径を歩いていると、入れ替わるように小僧の妙念を連れた撹然が向こうの方から現れた。

 すれ違いに会釈する広之進と伊之助に撹然はニヤリと笑った。

「お手間を取らせてしまいましたな」

 思わずギョッとした二人は振り返ったが、撹然は何事もなかったようにゆるりと歩いていた。後に付いていた妙念が不意に二人の方に顔を向けると、ニッコリ笑って会釈を返した。

 振り返ったまま二人はしばらくその場に立ち止って、次第に遠ざかる撹然の背中を見詰めた。

「やはり、門跡様と呼ばれる方だけあって、私たち凡夫のやることなどすべてお見通しのようですね」

 広之進が溜息交じりに言えば、伊之助も観念したように言った。

「そうですね。やっぱり偉い御坊様(おぼうさま)ってのは、一段たけえところから俗な世間様を眺めてるんでしょうね。あれなら後のことは大丈夫でしょう」

 頷いた広之進は再び伊之助と歩き出した。

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