十二.広之進、悶々とする
「旦那、ずっとあの調子なんですかい」
「そうなんだよ。きのう盗賊改の調べから帰って来てから、飯も食わずにあの調子だ」
薄暗い六畳の隅で、抱えた膝に顔を埋めたまま背を向けて座る広之進がいた。
上り框に腰を下ろしていた隆広は土間に佇む伊之助に御用屋敷前での出来事を話した。
「もう朝だってえのに辛気臭くっていけねえ。伊之助、おめえからなんか言ってやってくれ」
「言うもなにも、その話本当なんですかい」
「ああ、本当だ。村木の奴め、どうやら腹括ったみてえだな」
「そうですかい」と隆広の隣に腰を下ろした伊之助は、手にしていた竹包を畳の上に置いた。
「これ、朝飯代わりにと思いやしてね、途中で棒手振りから買ったんですが」
「すまねえな。気ぃ遣わしちまって」
伊之助に手刀を切った隆広は振返って呼び掛けた。
「おい、伊之助が握り飯持ってきてくれたぞ」
顔を膝に埋めたまま広之進は「いりません……」と蚊が鳴くような声で答えた。
「きのうから何にも食ってねえんだろう。少しは腹に何か入れなきゃ、体が持たねえぜ」
「だったら、父上が召し上がればよろしいでしょう」
「ユーレイの俺に、どう食えってんだ」
「そんなこと、私の知ったことではありません。もう話し掛けないでください」
広之進は一方的に話を切った。
「あっちゃーっ。こりゃ、取り付く島もありやせんね」
伊之助が呆れるように言うと、隆広も鼻から息を漏らして嘆いた。
「だろ。ハリネズミみてえにハリ押っ立ててよ、じーっと丸まってやがんだ」
「あっしの方はお二人のお力添えでどうにかカタが付いたんですが、旦那は撹真様を斬らなきゃ国に帰れねえんでしょ」
「ああ、その通りよ。坊主になった村木を斬らなきゃ、一生根無し草みてえな浪々の身。そんなところに、うめえ具合に向こうから斬ってくださいって言ってくれてんだぜ。だったらよ、思い切って背中に一太刀浴びせりゃ済むって話だ。そう思わねえか、伊之助」
「ええ、まあそうなんですけど……」
「それをこのバカ、グチグチこねくり回して勝手に自分で拗らせてんだぜ。まったくバカに付ける薬はねえとは、このこった」
隆広の罵詈雑言を聞きつつ、伊之助は共に汗を流して罠作りに励む二人の姿を思い出していた。
(旦那も辛えところだな。撹真様を始め、成龍寺のみんなで作り上げたもんな。時々、目が合うと「広之進殿、もう一息ですぞ」って撹真様が声を掛けなすって、旦那も頷いて「はい、もう一息ですね」って嬉しそうに答えたもんな。ほんっと、端から見たら仲のいい兄弟みてえで、とても追う者と追われる者って感じじゃなかったからな……)
ようやく隆広の罵倒が終わると、突如、広之進が顔を埋めたままぼそりと話し出した。
「確かに、撹真様は父上を斬って出奔されました。なれど……」
「えっ、なんか言ったか」
振り返った隆広が怪訝な顔をした。
「なれど……」
「だから聞こえねえって。そんなとこで燻ってねえで、ここ来て話せよ」
隆広は畳の縁を指先でトントン突いたが、広之進は相変わらず膝に顔を埋めたまま話し続けた。
「分かんねえ野郎だな。そんな隅っこボソボソ喋ったって、こっちには聞こえねえんだよ、このバカ。底抜けのバカ。救いようのねえバーカっ」
父とはいえ、隆広の容赦のないバカ口撃に、もう我慢ならぬと広之進がブチ切れた。顔を上げるや、振り向いて膝を畳に着けたまま物凄い形相で隆広に詰め寄ると、目の前に正座した。
「父上は簡単に斬れとおっしゃいますが、そう簡単なことではないのです」
「なんでだ。腕っぷしもそこそこ強くなったみてえだし、村木も大人しく斬られるって言ってんだから、後ろからバッサリ殺りゃいいじゃねえか」
「いいですか、父上」広之進は捲し立てた。「撹真様は心から自分の過ちに悔いておられます。苦しみ抜いて仏に縋り、武士を捨てて僧侶になられた。そして、自分の罪と向合いながら毎日父上に見立てた小さな仏様に手を合わせておられるのです。罠作りのときも、私が討ち手であるにも関わらず、何かと声を掛けて気遣ってくださいました」
大きく一つ息を吐いて広之進はキッパリ言った。
「そのような方を、私は斬れません」
「ふーん。だったら、このままでいいのかよ」
「だ、だから悩んでいるのです。父上には人の心というもがないのですか」
「ない」隆広がシレっと言い返した。「俺は人じゃねえ。ユーレイだ。ユーレイにそんなもんある訳ねえだろう」
清々しいくらい言い切る隆広に、言葉を詰まらせた広之進は悔し紛れに訊ねた。
「そもそも、喧嘩の原因は何だったのですか。お互い刀を抜くぐらいですから、それなりの理由があったと思うのですが」
しばし隆広が宙に目をやって考え込むと、おもむろに「どっちの一刀流が強いか、そんなことだったな」と言った。
「えっ、そんなしょーもない理由で刀を抜いたのですか」
力強く頷く隆広を見て広之進は体中から力が抜けていくのを感じた。
(そんな些細なことで改悛の情を示し、一心に仏道を歩む撹真様を討たねばならないのか。しかし、討たねば帰参は叶わず、中村の家は断絶となる……)
畳に目を落とした広之進は胸が押し潰されるほど思いあぐねたが、体の方は少し違っていた。本人の気持ちとは逆に、いきなり「ぐうーっ」と腹が大きく鳴いた。
慌てて腹を手で押させる広之進を見た隆広が笑った。
「ハハハッ。そらみろ、やっぱ体は正直だぜ。伊之助が持ってきた握り飯でも食えよ」
「いやっ、これはなんと言っていいのか、私か鳴かせたことではなくーー」
顔を赤らめて広之進が必死に言い繕っていると、また「ぐうーっ」と腹が鳴った。
伊之助が苦笑いを浮かべて「さあ、遠慮なく食べておくんなさい」と勧めると、「では、お言葉に甘えて」と竹の包を解いて広之進は握り飯を頬張った。
食べ終えた広之進が伊之助が淹れてくれた白湯で喉を潤していると、隆広が訊ねた。
「でっ、どうすんだ」
広之進はしばし白湯に目を落とした後、顔を上げて言った。
「父上のおっしゃることも分かりますが、今しばらく考えさせてください」
広之進はそう言うと、力なく立ち上って部屋の隅に背を向けて座り込み、立てた膝に顔を埋めた。
広之進の姿に胸を痛めた伊之助は堪らず傍らにいた隆広に訴えた。
「お父上様、どうにかならないんですか。なんかこう、撹真様も斬らず、それでいて旦那も無事に国に帰れるみてえな、そんな奥の手がないんですかい」
「ある訳ねえだろ、そんなもん」
「ねえのか……」
肩を落としてうな垂れる伊之助に、隆広は重々しく言った。
「仮に、俺があのバカに取り憑いて斬ったとしても、また、あいつが腹括って斬ったとしても、どのみち胸の奥底に人を殺めたって澱みてえなもんが、この先ずーっと残っちまう。そいつを抱えたまま生きていくなんざ、あのへっぽこには結構きつい話だぜ」
隆広がふっと鼻から息を漏らした。
「だが、そいつを承知でやり切るかは、あいつ次第だ。こいつばかりは親の俺でも手の出しようがねえ」
いつの間にか顔を上げて聞き入る伊之助の目を見て隆広は言った。
「まっ、同じ澱でも、おめえみてえに親兄弟を想うもんなら少しは救いがあんだがな」
「お父上様……」
寂しげに微笑む隆広に、伊之助はこれ以上掛ける言葉が見当たらなかった。




