七.血飛沫、まんまと罠に嵌まる
青黒い冬の夜空に浮かぶ月も凍る二月二十日の子の刻。昼間の賑わいとは打って変わって死んだように眠る成龍寺門前町の中を、腰に長ドスを差した黒装束の一団が塊となって足早に駆け抜けていた。
峻厳な八脚門の前で一団が足を止めると、その中から庄兵衛が一歩前に出て手を上げた。
すると、一団から弾かれたように飛び出た二人の手下のうちのひとりが、門脇の土塀に背を預け腰を落として股の間に手を組む。もうひとりは組んだ手を踏み台にして土塀を乗り越え、あっという間に境内に忍び込んだ。
ややあって、門の扉が音もなく僅かに開く。人ひとりがやっと通れるほどの隙間から黒い塊が吸い込まれるように次々と中に消えていく。最後に残った庄兵衛が用心深く辺りを見回しながら中に入ると、何事もなかったかのように門は再び静かに閉じた。
庄兵衛が入るのを土塀の角から見届けた伊之助は、薄ら笑いを浮かべながら踵を返して走り去った。
首尾よく境内に侵入した庄兵衛は、手筈通り手下を五人づつ二手に分けて本堂左手奥にある木々に囲まれた僧房と、本堂裏の草庵へ向かわせた。
本堂前の大階段のど真ん中にどっしり腰を据えて余裕を見せる庄兵衛。それとは対照的に、庄兵衛の傍らに立っていた仁平は、境内に足を踏み入れたときから妙な胸騒ぎを覚えていた。
(ここまで怖いくらい事が上手く運んでいる。だが、入った途端、誰かが息を殺してじっとこちらを窺ってるような、それでいて襲ってくる気配もない。ただ見ているだけの、背中を小虫が這い回ってるような何とも言えない居心地の悪さを感じる……)
いつになく腰が落ち着かない仁平を、不審に思った庄兵衛が声を掛けた。
「どうした仁平。いつものおめえらしくねえな。少しは落ち着け」
「御頭。ちっとばかし、おかしくありやせんか」
「何がおかしいんだ。相手は高が坊主だぞ。俺たちに歯向かってくるとも思えねえ」
「確かにそうなんですが、さっきから背中の辺りがムズムズするってか、とにかく妙な感じがするんです」
「おいおい、焼きが回ったんじゃねえか。兄貴分のおめえがそんな弱腰でどうすんだ。俺みてえにどっかり構えてりゃいいんだよ」
「へい、すいやせん」
一旦、頭を下げてみたものの、不安を拭え切れない仁平は庄兵衛に気付かれないように抜け目なく辺りに気を配った。
階段の上からその仁平の背中を見詰める二つの眼があった。そう隆広である。一味が境内に入り込んでからずーっと隆広に貼り付かれていたのだから、仁平が居心地の悪さを感じるのも無理はない。
仁平の背中に見飽きたのか、今度は階段中央に座る庄兵衛の隣に腰を下ろした隆広は本堂前で周囲に目を配る吉松と留を見た。
庄兵衛を含め四人の顔をじっくり眺めた隆広はふんっと鼻を鳴らして吐き捨てた。
「どいつもこいつ畳の上で往生するって面じゃねえな」
その頃、僧房に向かっていた五人の手下たちは手入れの行き届いた僧房の前に着いた。
僧房を取り囲むように茂る木々が風に騒めく中、吐く息も白い五人が一斉に長ドスを抜く。月明りに怪しく光る長ドスを携えながら、横一列に並んで二歩、三保と足音を消して僧房に迫った。
五人があと一歩というところまで近付いた途端、ズボッと何かを踏み抜く音と共に左の三人が忽然と姿を消した。残された二人が思わず横を向くと、差し渡し八尺もの大穴がぽっかり口を開けていた。慌てて中を覗き込む二人が目にしたのは、十尺以上はある深い穴底で目を回して横たわる仲間の姿だった。
「えっ」と言葉に詰まった二人は、しばし茫然と穴の淵に立ち尽した。
と、その時。突如、右から現れた長さ五尺の丸太が、宙を滑るように背後から襲い掛かり、二人の後頭部を直撃。ゴンッと鈍い音を立てて、二人とも真っ逆さまに穴に落ちた。
穴の上で両端を縄で結んだ丸太が揺れていると、取囲む木々の右側から広之進が出て来た。
揺れる丸太に気を付けながら、穴の淵まで行った広之進がそーっと首を突き出して中を見れば、折り重なるようにして倒れ込む五人の盗賊たちが哀れな姿を曝しいた。
広之進はほっと小さな息を吐いた。
「上手くいってよかった。評議で伊之助さんが罠を仕掛けると言い出したときは本当に上手くいくのかと案じたが、案外すんなりと落ちてくれた」
成龍寺の評議の席で伊之助は罠を張ることを進言した。門跡・撹念はこれを了承。翌日から本格的な罠作りが始まる。
まずは僧侶たちの寝込みを襲うと踏んだ伊之助は、僧房の前に大掛かりな落し穴をを作った。次いで両端を縄で結んだ丸太を僧房を囲む木々の高所に置いて、紐の付いた小さな木片を根元に差し込んで固定。
あとは盗賊どもを待ち伏せ、頃合いを見計らって広之進が紐を引けば、くさび代わりの木片が外れて丸太が飛んでいく。これらすべての仕掛けを、広之進と伊之助、それに下男も含む寺の者総出で作り上げた。
そこに飛んで火にいるなんとやら、五人の手下どもはまんまと罠に掛り、敢え無く一網打尽となった。血飛沫の手口を知り尽くした伊之助の策が見事にはまったのである。
穴から顔を上げた広之進が不安げな目で草庵の方に見た。
「村木さんは大丈夫だろうか……」
その村木こと撹真は古びた草庵に設けられた縁側に座ってひとり思いに沈んでいた。
(本当に、これでよかったのだろうか。己の不始末から一度は身分も剣も捨てて、仏道を歩むと固く心に誓った。その私が、どういう巡り合わせか、木刀とはいえ再び剣を取る羽目になるとは。つくづく己の業の深さに嫌気が差してくる……)
評議において罠作りが決まった後、広之進は撹真の助力を仰いだ。
「撹真様、いえ村木さん。どうか力をお貸しください。私と伊之助さんだけではとても草庵まで手が回りません」
「あっしからもこの通りです」
目の前で手を着いて頭を下げる広之進と伊之助に、撹真は戸惑った。
(どうして成龍寺の門徒でもない二人が、なぜここまでするのか。しかも広之進殿にとって私は父君を斬った仇のはず……)
心にさざ波が立つのを感じつつ、平静を装った撹真が粛然と言った。
「どうか二人とも頭をお上げください」
「では」と顔を上げて目を輝かせる二人に、撹真は畳に目を落とした。
「申し訳ございませんが、今の私は仏に仕えるただの僧侶に過ぎません」
「でも、北辰一刀流免許皆伝の腕前ではありませんか。それに剣を捨てられたとはいえ、まだ日も浅く、きっと体が覚えております」
広之進は食い下がったが、撹真は力なく頭を振った。
「体が覚えているとか、そういうことではございません。私はすでに一度死んだのです。あの取返しのつかない過ちを、あなたの父君、中村 隆広様をこの手に掛けてしまったときに……」
呻吟するように声を絞り出す撹真はここに至るまでの経緯を語り始めた。
撹真こと村木 重実は、昨年の春宵、隆広を斬殺した。取るに足らない些細な口論の末のことであった。
足元に流れるおびただしい血を目にした村木は我に返った。血の川のすぐ先には頭をザックリ斬られた、前のめりで倒れ込む隆広の遺骸があった。
急に怖くなった村木は、すぐにその場を離れ屋敷に戻った。戻った村木は屋敷に置いてあった金を残らず搔き集め、下男に何も告げずに領内から姿を消した。
すでに二親も没し、これといった親類・縁者もいない村木はかつて若き日に剣の修行に共に汗を流した剣友を頼って江戸に逃げ込んだ。事の次第を聞いた剣友は「しばし体を休め心が鎮まった後、江戸藩邸に赴き潔く裁きを受けよ」と諭すように言い聞かせた。
「しかし、私はどうしても藩邸に行くことができなかったのです」畳に目を落としたまま撹真は続けた。「行けば、私怨の上での喧嘩なので、恐らく喧嘩両成敗と、切腹を申し付けられるでしょう。そう思うと体は震えだし、心は千々に乱れて、もうどうしていいか分からなくなってしまったのです」
撹真の目から涙が一つ零れる。
「私は、どんだ臆病者だったのでございます……」




