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へっぽこ  作者: 真柴 文明
第三章
31/50

五.伊之助、今度は床下に潜り込む

 成龍寺での謁見(えっけん)より半月ほど過ぎた二月初め。その夜、伊之助は深川仙台堀にある大名屋敷の中間部屋で開かれた賭場に顔を出していた。久蔵から血飛沫と関わりがあると見られる若い男が、その賭場に出入りしているとを聞いたからである。

 久蔵も元は夜鴉の下で働いていた盗っ人。血を見ることも厭わない非道な血飛沫の手口には、少なからず腹に据えかねるものがあった。久蔵は伊之助からの助力の申し出を快く引き受け、共に手掛かりを求めて方々に探りを入れていた。そこに惣助という二十歳を少し回ったロウソク売りの話が舞い込んできた。

 話によれば、惣助は商人らしく言葉巧みに成龍寺に入り込み、安値でロウソクを売る(かたわ)ら巷に流れる噂話を面白おかしく話して聞かせては、僧侶たちの耳を大いに楽しませた。また、僧侶らのちょっとした頼み事を、いやな顔一つ見せずに働く惣助は重宝がられ、次第に信頼を得るようになっていった。

 表では腰の低い人の好さそうな男が、裏では人が変わったように夜な夜な賭場に通い詰めている。久蔵の話に何やらきな臭さを感じ取った伊之助は、惣助がよく出入りしているという仙台堀の賭場に張り付いたという訳である。

 ちっ。今夜も外れかと胸の中で舌打ちした伊之助は、ここ三日ほどこの賭場に足を運んでいた。夜もすっかり更け、宵の五つをとっくに過ぎた亥の刻に差し掛かた頃、先程の勝負で手元の札をすべて失い、諦めた伊之助が腰を上げて賭場を後にしようと出入り口に向かっていると、入れ違いに若い男が慌てたように入ってきた。

「おっ、惣助じゃねえか。今夜はやけに遅かったな」

 賭場を仕切る年嵩のヤクザが帳場から声を掛けた。

 その言葉に思わず振り返った伊之助は、出入り口の陰から賭場の様子を窺った。

「いやーっ、ここんとこ急に忙しくなってね、こんな刻限になっちまいましたよ」

 苦笑した惣助はすぐに帳場で金を札に換えると、さっきまで伊之助が座っていた場所に腰を下ろした。

 素知らぬふりで賭場に戻った伊之助は、帳場で賭場を仕切る年嵩のヤクザにそれとなく聞いた。

「あの若いの、ここの常連さんみてえだが、何やってんだい」

「んっ、兄さん。どうしてそんなこと聞くんだ」

「いえね、知り合いの倅にちょっと似てるんでね。ひょっとしたらと思っただけさ。別に深い訳はねえ」

「なんだそんなことかい。惣助って野郎でね、商家や寺社相手にロウソク売って回ってるただの行商人だ。まっ、博奕好きてえのが玉に(きず)だがよ」

 その言葉に伊之助は待ち焦がれた女にやっと会えたように胸を躍らせた。

「ありがとよ」と手刀を切った伊之助は賭場ではなく、休憩する客のために用意した酒やつまみが置かれた隣の部屋に入った。

 それから四半刻ほど、酒をチビチビ舐めながら伊之助が惣助から目を離さずに様子を見ていると、五尺を越える大男が賭場に現れた。

 その男を見た途端、伊之助はサッと背を向けて顔を伏せた。

(吉松の野郎だ。てっことは、こりゃ大当たりだな)

 ほくそ笑んだ伊之助が用心深く肩越しに賭場に目をやると、さっきまで上機嫌で遊んでいた惣助が、背後で仁王のように立っている吉松に何か言われたのか、大わらわで手元に札を集めている。集めた札を金に戻した惣助は、大股で賭場から出て行く吉松の背中にペコペコ頭を下げながら後に続いた。

 二人を見届けた伊之助は、盃に残った酒を一気に空けて腰を上げた。

 

 寝静まった深川の町を提灯を手に足早に歩く吉松と惣助に気づかれないように伊之助は後をつけた。

 やがて町外れに着くと、どこにでも目にしそうな有り触れた木造二階建ての家屋の前で二人は用心深く辺りに目をやってから中に入った。

 少しして天水桶(てんすいおけ)の陰から出てきた伊之助は、二人が入った家屋の軒先に下げられた看板を見て「旅籠 大野屋か……」と呟いた。

 こんな町外れで商売になるのかと思いつつ、店の裏手に回った伊之助は軽々と板塀を飛び越えた。

 仄暗い庭先に忍び込んだ伊之助の目に雨戸から漏れる小さな光が入った。あそこかと、当りを付けた伊之助は素早く床下に潜り込んだ。

 息苦しい暗闇の向こうから微かに聞こえる話声を頼りに這いつくばって進んでいると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。ようやく声のするところに着いた伊之助は、耳を澄ませてその声に集中した。

「なるほど、おおよその寺の配置と坊主の数は分かった。でっ、門跡の寝所はどこだ」

 くぐもった威圧感のある声に思わず伊之助は身を硬くした。

(仁平か……。やっぱり爺さんが寺で見た御店者ってえのは、こいつだったのか)

「へえ、この庫裏って奴の後ろに僧房(そうぼう)ってえのがありやす。他の坊主どもはそこで寝起きしてるんですが、門跡が寝起きしてるのは、このでかい本堂の裏手にある草庵ってところです」

 声を上ずらせながら惣助は正面に座る仁平、そしてその仁平を挟むように左右に座る吉松と留に寺の配置を記した図面に指差した。

 満足げに頷く仁平に、一緒に図面を見ていた留が不満げに言った。

「しかし、肝心のお宝がどこにあるのか分からねえんじゃ厄介ですぜ」

「なに、そん時は門跡を人質に脅し付けりゃ、坊主なんかあっさり吐くぜ」

 吉松が恐々口を挟んだ。

「吐いたあとは、いつも通り全員殺るんですかい」

「当たり前だろう。二千両が掛ってんだぜ。坊主だろうが、顔を見た奴を生かしておく訳ねえだろう」

「で、でも坊主と猫を殺すと七代祟るって言いやすぜ」

「バカ野郎! 吉松、おめえ妙なとこに信心深けえんだな。俺たちみてえな荒っぽい盗賊稼業に手を染めた奴が、いちいち祟りだ、なんだと気にしてたら御飯(おまんま)の食い上げだぜ」

「すいやせん……」

 肩を落とす吉松から正面の惣助に目を移した仁平は、一際凄みを利かせて言った。

「いいか、惣助。今月の中頃には御頭を始め、方々に散った仲間が江戸に入る。それまでに寺を調べ上げれるだけ、調べ上げろ。いいな」

 惣助は顔を引きつらせて頷いた。

 話を聞き終え床下から這出てきた伊之助は、着物に付いた土を払うと仁平たちのいる方を睨み付けた。

「鬼畜生どもが。見てやがれ」

 そう吐き捨てた伊之助は板塀を飛び越え、急ぎ広之進と隆広が待つ長屋へ向かった。

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