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へっぽこ  作者: 真柴 文明
第一章
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三.嵐を呼ぶ初七日

 父・隆広の葬儀は春の(うら)らかな空気が桜の香りを仄かに含んで漂う中、しめやかに執り行われた。喪主は、突然の夫との別れに茫然自失となって床に臥せてしまった母・由之に代わって広之進が務めた。

 無事に葬儀が終わり、初七日の法要後の席で広之進は、お経を上げてもらった僧侶を始め親類や亡き父が親しかった者たちに酒肴でもてなしていた。

「あっ、これは坂本様」

 親戚たちの間を忙しなく酒を注いで回っていた広之進が、席の中ほどにいた坂本に気付くと、手刀を切っていそいそと向かった。

「お忙しい中、父の初七日の法要に来てくださり、ありがとうございます」

 礼を述べた広之進は坂本が手にしていた盃に酒を注いだ。

「うむっ、かたじけない」盃を空けた坂本が窺うように訊ねた。「どころで、その後の母君の具合は如何かな? 少しは良い方に向かっているのか?」

「いえっ、それがまだ床に臥せたままで……」肩を落として広之進は力なく答えた。

「まだ、中村殿が亡くなってから日も浅い。致し方ないか」

 鼻から小さな息を漏らした坂本は盃を置くと、在りし日の隆広のことを話し始めた。

「ああ見えて、中村殿は中々の妻女想いの御仁だったからな、由之殿もかなり参っているのであろう」

「えっ、あの口うるさい父上が母上を?」広之進は思わず聞き返した。

「そうじゃ。何のかんのと理由を付けては、よく由之殿の好物を買って帰っておったぞ」

 家で顔を合わせる度に眉間にシワを寄せて小言を浴びせ、間に入る母にも食って掛かる父を、広之進は武家の習いにこだわるただの堅物だと思っていた。

 しかし、坂本が語る亡き父の意外な一面に触れた広之進は少し驚いた。

「あの~っ、坂本様。それ本当なんですか?」

 小野派一刀流を使い、勘定吟味役として手際よく仕事をこなし、家では仏頂面で床の間の前で鎮座して書物に読み(ふけ)る父が、嬉々として母の好物を買い漁る姿など、広之進にはどうしても頭に浮かんでこない。

 信じられない、といった顔で首を捻る広之進に、坂本が呆れるように言った。

「どうした。広之進殿は嫡男であるのに、そんなことも知らなかったのか」

 広之進は恥ずかしそうに頭を掻いて頷いた。

「すいません。家では私のことで母と言い争うか、私に小言を言う父しか見たことがないもので……」

 坂本は居住まいを正して、広之進の顔をじっと見た。

「よいか、広之進殿。中村殿ほど家族を想うお方を、拙者は見たことがない。城での勤めが終わったあと、家が同じ方角ということもあって、よく一緒に帰ったものだ。その道すがら、お主のことばかり口にしていた」

「それって、武士としての気概に欠けるとか、家の跡取りとして相応しくないとか、私の不甲斐無さを嘆くものばかりだったでしょう」

 坂本は「いやっ」と、小さく頭を振った。

「確かに、ぬるま湯のような御庭廻り役にどっぷり浸かる、今のお主に不満は持っておったが、『広之進が幼い頃から親しんできた草花で殿のお役に立っているなら、それはそれでよいのかもしれん』と、嬉しそうに話す中村殿の顔が今も忘れられん」

「えっ、父上がそんなことを?」

 それならそうと少しは言ってもよさそなものを。口を開けば、やれ武家の嗜みだ自覚だ小言ばかりで、御庭廻り役には一言も触れていない。

 どこか釈然としない広之進が考え込んでいると、坂本が一言付け加えた。

「ただ、蛇ごときに出会したくらいで腰を抜かしたあげく、周りからぺっぽこ呼ばわりされたのでは、さすがの中村殿でも腹に据えかねたのであろう」

 あっ、それでかと、広之進は蛇と鉢合わせした日を境に、父・隆広の小言が一層激しさを増したことを思い出した。

「でも、御役目中にいきなり目の前に蛇が現れたんで、つい慌ててしまって。あはははは……」広之進は己の失態を誤魔化すように力なく笑った。

 まったく反省の色が見えないに広之進に、鼻白んだ坂本がぴしゃりと言った。

「いざは常なり、常はいざなり。広之進殿も武士ならば、一度は耳にしたこともござろう」

「いざはつねなり……」

 聞き慣れない言葉に広之進が目を白黒させていると、坂本は尖った目付で話した。

「いざは常なり、常はいざなりとは、一旦、家を出て御役に就いたなら、常に戦場にいるような心持で事に当たれ、という意味だ。中村殿は常にそのような気構えで、御役目に励んでおられた。日々そのような姿を見きた我ら同輩からは慕われ、商人たちも『中村様なら』信頼されていた。それ故、勘定奉行様を始め、藩のお偉方からも一目置かれていた」

 一旦言葉を切った坂本は一つ間置いて言い放った。

「それがお主の父君、中村 隆広殿だ!」

 坂本の一喝に広之進は首を竦め、それまで故人の話に花を咲かせていた初七日の席が一気に凍り付く。

 まだ、言い足らない坂本は睨み付けたまま、苦々しく「その御子息がそんなことも知らんとは、情けない」と、吐き捨てた。

 父と同じ匂いがする坂本を前にして、広之進は助けを求めるように親類たちの方を横目でちらっと見たが、誰ひとり目を合わせようとはしなかった。

 それもそのはず、藩の予算を一手に預かる勘定方の、それも運営・管理を司る吟味役に意見する物好きは、そうはいない。しかも、坂本の家の家格は藩内でも指折りの名家である。これでは誰も頭が上がらない。触らぬ神に祟りなしと、皆静かに酒を酌み交わした。

 ただ、気まずい空気が流れる初七日の席にあって、法要を執り行った僧侶だけは平然と食事を続けていた。微かに聞こえる箸の音に、広之進は「さすが御坊様は違う」と胸の中で呟いた。

 この重い空気を打ち破るように、突如、「坂本」と上座から低い声がした。席にいた全員の目が一斉に声のする方に向くと、そこには藩の重役にして、母方の伯父である佐島 忠典(さじま ただのり)が盃を手に鎮座していた。

「これは佐島様。これは些か言葉が過ぎました。申し訳けございませぬ」居住まいを正した坂本が頭を下げた。

「なに、構わぬ。気にするな」さして気にするでもなく、佐島は首を(すく)める広之進に目をやった。

「広之進よ」

「は、はい」威風堂々とした伯父に、思わず広之進の声が上ずる。

「藩内でのお前の武士にあるまじき不面目な振舞い、わしの耳にも届いておる。今となってはどうすることもできん」佐島は空けた盃を膳に置いて続けた。「だが、少しでも汚名を雪ぎたくば、先程の坂本の言葉、しかとその胸に刻んでおけ」

「はい……」首を竦めたまま広之進は消え入りそうな声で答えた。

 坂本が改めて訊ねた。

「どころで、佐島様。誰が中村殿を斬ったのか、分かったのでしょうか?」

「うむっ、そのことか」一瞬、顔を曇らせた佐島が重々しく言った。「まだ、はっきりした訳ではないが、恐らく切った相手は、当藩剣術指南役・村木 重実(むらき しげざね)であろう」

 三年前、武者修行の旅で立ち寄った葛西藩で武芸奨励を謳う殿様に見込まれ、剣術指南役として召し抱えられた村木 重実は今年で二八になる若き剣客である。江戸で北辰一刀流を極めても、尚やむことのない向上心と実直な人柄は、多くの藩士たちから信望を集めていた。

 広之進も一応は、その評判くらいは耳にしていたが、草花以外さして興味がないので、ちゃんと村木の顔を見たことはなかった。

 しかし村木の名が出るや、場の空気が一気にざわつき出した。

「あの村木が斬ったのか? 北辰一刀流免許皆伝の村木が」

「奴の剣さばきは尋常ではない」

「そうそう、こちらが瞬きしている間に斬られてしまうほどの速さだとか」

「稲妻の如き速さとは、あのような太刀筋のことを指すのであろう」

親類筋に当たる中村一門の者たちが口々に村木の剣の話に熱を帯びる中、ひとり坂本は冷静に村木の人となりを思い返していた。

確かに、少し融通の利かぬところはあったが、御役目に真摯に向合い、殿からもお褒めの言葉を頂戴したと聞いている。その村木が同じ藩の者を斬ったと。

にわかには信じがたい話に、坂本は確かめるように訊ねた。

「佐島様、何か村木が斬った証でもあるのですか?」

 佐島が微かに頷く。

「検死役からの知らせでは、それは見事な斬り口であったそうだ。義弟も鯉口を切ってどうにか立ち合おうとしたが、刀を抜き切る前に、頭をばっさりやられた。一刀両断とは、まさにこのことよ」

 いつの間にか、二人の話に広之進も含めて席にいた者すべて聞き入っていた。

「では、その刀傷が証となって、村木が手を下したと御推察された訳ですな」坂本が話を促す。

「一太刀で頭にあれほどの深手を負わせるのだから、並の腕ではない。そうなると、真っ先に疑われるのは村木だ」

「村木をお調べになったのですか?」

「調べるも何も、奴はもう領内におらん」佐島は怒りに顔を歪めならが言った。「すでに出奔(しゅっぽん)して行方を眩ませおった」

「なんと短慮な……」坂本は呆れるように声を漏らした。

これでは私闘の末に斬ったと、自ら言い広めているようなもの。この時代の武士は私闘、つまり私的な喧嘩は禁じられ、破れば厳しく処罰された。これは己の命は君主のものであり、その命を勝手に危険に(さら)すことは、君主の意に反することと同義であったからである。仮に村木が逃げずに斬り合いにまで至った経緯を申し開き、私闘ではなく、公式の喧嘩「果し合い」として藩が認めれば、一切御咎(いっさいおとが)めなしになっていたかもしれない。

暗澹とした気持ちになった坂本は肩を落とした。

と、その時、一門から突如、荒々しい声が上がった。

「村木、討つべし!」

「そうだ。このまま村木を逃がしたとなれば、我ら一門の名折れ」

「うむっ。何としても奴を見つけ出して竹矢来の中で成敗せねば、気が修まらん」

 飛び火のように次々と伝播する怒りの炎に包まれた初七日の席、広之進は何を言うでもなく、成す術もなくおろおろとするばかりでだった。

 ついでながら、騒然となる席で何事もなかったように食事を済ませた僧侶は、早々にその場から立ち去った。

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