三.広之進、棚から牡丹餅が落ちてくる
チュンチュンと雀がさえずる翌早朝、荘厳な八脚門の前を小僧が白い息を吐きながら竹ぼうきで掃除していた。
そこへ見慣れない男が二人現れ、そのうちのひとりが声を掛けてきた。
「おはようございます。朝から精が出ますね」
「おはようご……」
顔を上げた小僧の手が止まった。小僧の前には薄汚れた袴姿の小柄な若い侍と、着流しの遊び人といった男が立っていた。
こんな朝早くから寺にお詣り来そうもない二人に、小僧はあからさまに警戒した。
「何かご用ですか。あいにく当院はまだ開いておりません。お詣りでしたら、改めて出直してきてください」
「いえ、お詣りに来たのではないのです」若い侍が言った。
「お詣りでないなら、お帰りください」
素っ気なく返して掃除を再開する小僧に、広之進は頭を抱えた。
(う~ん、これは参った。明らかに怪しまれている。まあ、お詣りに来たわけでもないから、無理もないか)
広之進が手をこまねいていると、横から伊之助が「何だったら、あっしが小僧ぶちのめして中に入りやしょうか」と囁いた。
「えっ、ダメですよ」広之進は伊之助に顔を向けて言った。「門跡様と会う前から揉め事を起こしては、ますます会えなくなります。ここは私に」
胸に手を当てて広之進がそう言うと、伊之助は渋々頷いた。
改めて小僧に目をやった広之進は再度声を掛けた。
「あの実は、門跡様にどうしてもお伝えせねばならないことがあるのです。お取次ぎ願えませんか」
掃除の手を止めた小僧が横目で広之進を睨め上げた。
「前もってお約束していただいたのでしょうか」
「いやっ、急なことだったので、約束と言われましても……」
「では、お引取りください。門跡さまは上様にもお目通りが叶うほどの高僧なのですよ。そのような御方にお約束もなしに取り次ぐ訳ないでしょう」
「うっ」小僧の言い分に広之進は思わずたじろいだ。
その様子を後ろから眺めていた隆広は、伊之助をそそのかした。
「もう面倒だからよ、おめえの言う通りぶちのめして中に入ろうぜ」
「承知しやした」
着物の袖を捲り上げた伊之助が一歩前に出ようとすると、門の脇にある木戸から身を屈めて若い僧侶が出てきた。
「これ妙念や、朝から何を騒いでいるのです。もうすぐ朝の御勤めが始まりますよ。早く掃除を済ませなさい」
よく通る声に振り向いた妙念は箒を投げ出して助けを求めるようにその僧侶に駆け寄った。
「撹真様、助けてください。どこの馬の骨とも知れないあの方たちが、お約束もないのに門跡様に会わせろと、鬼のように無理強いするのです」
(ど、どこの馬の骨って)と広之進は表情を硬くし、伊之助は(鬼だあ。このクソガキ)と眉根を寄せた。
「これこれ」と優しげな声で嗜める撹真と呼ばれる年の頃なら三十路前のこの若い僧侶、青々と剃り上げた頭の下には鼻筋の通った細面の整った顔立ちに、五尺近いよく引き締まった体からスラリと伸びた長い手足にと、頭を丸めていなければ役者にしたいくらいの美男であった。
その撹真を一目見た隆広が眉根を寄せた。
(んっ、この若い坊さん、どっかで見たことがあるなあ。えーっと、どこだったけ……)
撹真はヒザを折って妙念の目線に合わせた。
「妙念、他人様をそう悪しざまに言ってはなりません」
「えーっ、見るからに怪しいですよ」
口を尖らせて二人を指差す妙念がに「おやめなさい」と優しく制した撹真は肩にそっと手を置いた。
「いいですか。見た目がどんなに怪しくても、ひとには必ず仏性という宝が胸の奥底にあるのです」
「あのように小汚い姿をしたお侍や、とても真っ当に暮らしているようには思えない者でもあるのですか」
(こ、小汚いって)と広之進はさらに表情を硬くし、伊之助は(真っ当に暮らしてねえだあ)と頬を引きつらせた。
「そうです」微笑みながら撹真は続けた。「我々仏に仕える者は日頃より己の仏性を磨くと共に、衆生の曇った仏性も磨く道に導くのが修行であり、勤めなのです」
しばらく撹真の目をじっと見ていた妙念がコクリと頷いた。
「分かりました、撹真様。私が間違っておりました」
「そうですか。分かってくれましたか。妙念、ここの掃除はこれくらいにして、早く金堂へ行きなさい。間もなく朝の御勤め始まりますよ」
「はい」
子供らしく元気よく返事した妙念は、放りっぱなしにしていた竹ぼうきと塵取を拾い上げてそそくさと木戸の向こうに消えた。
「あっ、これ妙念。その前にこの方々に謝りなさい」
撹真は木戸に向かって叫んだが、木戸の向こうはしーんと静まり返るだけだった。
伊之助が「旦那、あのクソガキ言いたい放題でしたね」とぼやくと、広之進も「ええ、こっちは言われたい放題でした」と吐息を漏らした。
そんな二人の後ろで、隆広は変わらず腕組みしてまましきりに思い出そうとしていた。
小さく息を吐いた撹真は、起ち上って二人の方に振向いて深々と頭を下げた。
「誠に申し訳ございません。さぞ、お気を悪くされたことでしょうが、なにぶん頑是無い者が申すことゆえ、平にご容赦くださいませ」
頭を下げて丁寧に謝意を表す撹真に、広之進は慌てた。
「頭を上げてください。別にあなたが言ったことではないのですから」
「ありがとうございます」頭を上げた撹真が続けた。「しかし妙念が申したようにお約束のない方を通すわ……」
どうしたことか、いきなり言葉が途切れてしまった撹真の顔がみるみるうちに蒼白になった。
「どうかなされたのですか。何やら顔色が優れぬように見えるのですが」
撹真の変わりように広之進が気遣っていると、背後から突如、隆広が声を上げた。
「あーっ、やっと思い出した!」
思わず広之進と伊之助が振り返ると、スッと人差し指を撹真に向けた隆広は目を瞠って言い放った。
「そいつ、村木だ。俺を斬って逃げた、村木 重実だっ!」
「ええええええええええええーーーーっ!」
偶然とはいえ、この棚から牡丹餅的な巡り合わせに大声を出して驚く二人は振り子のように顔を左右に振って隆広と撹真の顔を交互に見ていた。




