二十、新たなる旅立ち
翌朝、団蔵の声が店先でこだました。
「いいか、野郎ども。今日は中村様をお見送りさせていただく大事な日だ。気抜くんじゃねえぞ!」
「へいっ!」
気勢を上げる三〇余名の屈強な男たちに、団蔵が満足げに頷くと店の中に声を掛けた。
「中村様、どうぞこちらへ」
しばらくすると、後ろに隆広と伊之助を連れた広之進が気恥ずかしそうに店の表に出てきた。
「おはようございます。皆さん、朝からご苦労様です」
広之進はにこやかに挨拶したが、鎮守の森での忌まわしい記憶が生々しく残る若い衆たちの間には緊張が走った。そのため、ただでさえ強面の彼ら顔は、より一層凶悪さを増していた。
その様子に広之進は、思わず息を呑んだ。
(きのうは暗い上に背後から襲ったのでよく見えなかったが、昼間から見ると、どの顔も迫力があり過ぎる……)
よくこんな連中相手に生き残れたものだと、広之進が背中に冷たいものを感じる一方で、若い衆たちもどうしてこんなひ弱そうなチビに不覚を取ったのかと、不可解さと同時に気味の悪さも覚えていた。
双方の間に微妙な空気が流れていると、隆広が割って入るように言った。
「おい、いつまで店先で突っ立ってんだ。手打ちは済んだんだ。ビビってねえで、さっさっと行け」
広之進は振り返って口を尖らせた。
「べ、別にビビってはおりません。今から行こうと思ってたんです」
これを見ていた団蔵は首を捻った。
(中村様は、いってえ、誰と喋ってなさるんだ。後ろにいる伊之助とかいう若い奴と話してる風にも見えねえしな)
訝しむ団蔵同様、若い衆たちも首を捻った。
その視線に気付いた広之進はごまかすように急に歩き出した。
「では、行きましょう。団蔵さん」
「えっ、へ、へい」
我に返った団蔵が「野郎ども、行くぞ!」と声を張上げると、「へいっ!」と怒号に似た返事と共に若い衆たちがひと固まりになって動き出す。先頭を行く広之進と団蔵。その後ろに三〇を超える厳つい強面の男たちが二人に付き従う。
砂煙を巻上げて表通り闊歩する団蔵一家の後姿を、店の軒先から隆広は呆れるように眺めていた。
「ありゃ、見送りじゃなくて、出入りだな」
「へい、まったくで」傍らにいた伊之助も相槌を打った。
「ほんじゃ、俺たちもボチボチ行くとするか」
明るい声を上げて歩き出す隆広に、頷いた伊之助は「お供しやす」と後に続いた。
団蔵一家の盛大な見送りを受けた広之進たちは、宿場の外れで別れて街道筋に出た。
秋らしく爽やかに晴れ上がった空の下、広之進を挟んで右に隆広、左に伊之助と並んだ一行は足取りも軽く意気揚々と歩を進めた。
あの荒寺からの怒涛の展開の中で、広之進はふとあることに思い当たった。
「父上、二つほど思うことがるのですが、よろしいでしょうか」
いつになく思い詰めた顔をする広之進に、隆広は億劫そうに言った。
「なんだよ、辛気臭い面しやがって。赦免状と金が戻って丸く収まったってえのによ。何だ言ってみな」
「荒寺で伊之助さんを助けたときもそうですが、今回も誰ひとり斬っておられません。父上ほどの遣い手ならばいとも簡単に斬れると思うのですが、どうしてですか」
「そういや酒井の奴、見なかったな」
隆広が話を逸らすように宙に目をやると、左にいた伊之助が話を継いだ。
「旦那の頭突きをまともに喰らったせいでしばらく寝込むそうです」
ああ、悪いことをしたと広之進が顔を曇らせていると、隆広が唐突に訳を話し始めた。
「実際よ、人を斬ったら血糊の始末や刃こぼれの直し、なんだかんだ後の手入れが結構手間なんだぜ。それによ」急に足を止めた隆広が広之進の顔を覗き込んだ。「おめえ、血ぃ見るのがでぇ嫌れだろう」
ズバリ言われた広之進も足を止めて下を向いた。
「まあ、ガキの頃から剣術そっちのけで草花に現を抜かしてたからな。それで仇討やろうてんだから、笑っちまうぜ」
隆広に鼻で笑われ落ち込む広之進に、伊之助が助け舟を出した。
「旦那、そんなに気に病むことはござんせん。旦那が手当てしてくださった薬草のお陰で、あっしの腕の傷もずいぶんよくなりやした」
「伊之助さん、ありがとう!」
渡りに船とばかりに顔を上げた広之進に、伊之助が止めを刺した。
「なに、草花なんて腹の足しにならねえし、イザってときにはクソの役にも立ちやせん。なんでそんなもんに熱を上げるのか、あっしにはさっぱり分かりませんが、まっ誰にでも取り柄の一つくらいはあるんですね」
バッサリやられた広之進は、口をへの字に曲げた。
「でもよ」話に入ってきた隆広が続けた。「国元ではへっぽこ呼ばわりされてたおめえがヤクザ相手に一歩も引かず、最後には詫び入れさせたんだから、少しは成長したんじゃねえか」
「それも父上が取り憑いたからこそできたのです」
「褒めてんだぜ。でっ、もう一つ聞きてえことって何だ」
苦笑する隆広に促された広之進は、再び顔を引き締めた。
「どうして突然、伊之助さんは父上を見えるようになったのでしょう。私は血を分けた父子なので、なんとなく分かるのですが、伊之助さんは赤の他人です」
「そうだなあ……」と隆広はアゴに手を当てて沈思した。
広之進と伊之助はこれから語る隆広の言葉を一つも聞き漏らすまいと身構えた。
焦れるような時が流れる中、ようやく重い口を開けた隆広が一言。
「分かんねえ」
「はあっ」声を上ずらせて二人は鼻白んだ。
「分かんねえもんは、分かんねえんだよ」
「父上、なんか投げやりですね」
「うるせえな。じゃあ、こういうことだったんじゃねえか」
隆広曰く、親に売り飛ばされた伊之助だが、そこは血の繋がった親子である。何のかんの言っても、無性に会いたくなることもある。その念いが胸の奥に澱のように沈んでいてもおかしくない。
「でよ、その澱みてえな奴が、なんかの拍子に俺に会ってみてえって念いと重なって見えるようになったんじゃねえか」
隆広の話を聞いているうちに、伊之助は確かに自分を捨てた親に訳もなく会いたくなることを思い出した。
(まだ親の膝の上で甘えたいガキだったからな。売られたときは心底恨んだが、お父上様のおっしゃる通り、そんな親でもやたらと会ってみたくなるもんだ……)
「それによ」隆広は続けた。「伊之助も俺を見えた方が、おめえにとっても何かと都合がいいってもんよ」
「何が都合がよいのです」広之進はきょとんとした。
「だってそうだろう。見えなかったら、明後日のほう向いて、一人でベラベラ喋ってんだぞ。そんな気味の悪い奴と一緒に旅しようと思うか」
「き、気味が悪いって。父上、お言葉を返すようですがーー」
「返さんでいい!」
伊之助を気にも留めずに、いつもと変わらぬ不毛な言い争いが始まる。
それを眺めていた伊之助の口元がふと緩んだ。
(まったく、お父上様には敵わねえな。俺みてえな半端もんの気持ちまで汲んだくださるとはな。無茶もやりなさるが、やっぱり旦那が羨ましいぜ。こんなお父上様が、いつもそばにいなすってよ)
「てめえ、死んだとはいえ親父だぞ。ちったあ敬え!」と隆広の怒声が飛べば、「生前の父上なら、そうしております。しかしーー」と負けじと広之進もやり返す。
どこまでも続く見苦しい罵り合いに、伊之助はやれやれという風に割って入った。
「旦那、お父上様。もうそこらへんで。周りが見ておりやす」
「えっ」と声を上げた広之進と隆広が周囲に目をやると、街道筋を行き交う大きな荷を背負った旅の商人、笠を手にした女を乗せて馬を引く馬子、杖のような錫杖を持つ雲水といった様々な人々が、皆遠巻きに触らぬ神に祟りなしとばかりに足早に通り過ぎていた。
「こうなったのも、父上のせいですよ」広之進がむっとした。
「当たり前だろう。俺が見えんのは、おめえと伊之助だけなんだぞ」
「まあまあ」と、再び間に入った伊之助は広之進と隆広を交互に見た。
「ところで、これからどこへ向かいやすか。なんか仇がいそうな当てでもあるんですか」
「今のところ、これといったものはありません」
広之進が申し訳なさそうにしていると、隣にいた隆広が「だったら、江戸はどうだ」と推した。
「どうして江戸なのです。何か根拠がおありなのですか」
首を捻る広之進に、隆広は自慢げに言った。
「昔から言うだろう。木を隠すなら森ってな。あんだけ大勢暮らす江戸なら、人ひとり潜り込むくらいどうにでもなるぜ」
「なるほど」
「じゃ、決まりですね」伊之助がポンと手を打った。
こうして、青く澄み渡った空に淡い雲が静かに流れる中、広之進と伊之助、そしてユーレイ・隆広は一路江戸へ向けて旅立った。