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へっぽこ  作者: 真柴 文明
第二章
22/50

十六.決戦、鎮守の森

 しばらく堀に沿って走っていると、ようやく目指す鎮守の森が目の前に現れた現れた。こんもりとしたその森は遠くから見ると、ちょっとした小山のように映り、夜空を照らす月の下で重なり合うように分厚く茂った木々が、漆の如く森全体を黒く塗潰していた。

「これからあそこを通るのですね。なんか雰囲気がありますね」

 広之進がゴクリと喉を鳴らした。

「大丈夫ですよ、旦那。中に小さなお社があるだけです」

 気楽な口調で言った伊之助が「あっ、そういや」と宙に目をやった。

「なんか、首(くく)った跡みてえなもんがありやした。こう輪っかになった紐が木の高いところからブラ~ンって下がってやした」

「本当ですか!」

「大丈夫ですって。別に死骸なんか転がちゃいませんから」

「そ、それならよいのですが……」

「今さら、なにビビってんだ」割って入ったきた隆広が続けた。「ここまで来るりゃ、もう一息だ。一気に森を抜けるぞ」

 そう隆広が口にした途端、背後から追ってくる数名の足音がした。

「いたぞ! おい、代貸に知らせてこい!」

「へいっ」

 若い衆のひとりが踵を返して宿場の方へ戻っていった。

 あと一歩のところで、若い衆たちに見つかってしまった広之進たちは、慌てて鎮守の森に逃げ込んだ。

 

 木の陰に隠れた広之進は「ち、父上。どどどど、どうしましょう」と声を震わせていた。

 鎮守の森は瞬く間に松明を手にした三〇を超える若い衆たちに囲まれていたのである。

「どうもこうも、これじゃあ逃げようがねえ」

 方々に(うごめ)く松明の群れを眺めながら、隆広がシレっと言った。

「逃げようないって、それはつまり、あれだけの数を相手にするということなのですか」

「まっ、そうなるな」

「…………」

 ガックリ肩を落とす広之進に構わず、隆広は伊之助に目をやった。

「伊之助、おめえは逃げろ」

「えっ」

「おめえひとりなら、闇に紛れて奴らから逃げ切れる。なんせ、元・盗っ人だからな」

 口唇の片端を上げて笑う隆広に、伊之助は食い下がった。

「そいつはねえですぜ。お二人を残して、あっしだけ逃げるなんてできやせん」

「おい」と、隆広は伊之助の足元を指差して「さっきから震えてるぜ」と言った。

「あっ、いや、こいつは武者震いって奴でさあ」

 夜鴉の下では下調べが主な仕事だった伊之助は、腕っぷしにはあまり自信がない。ヤクザを相手に広之進を守るだけで手一杯な上に加えて伊之助までも重荷になったら、共倒れになってしまう。それならば、伊之助を逃がして少しでも負担を減らそう。そう考えた隆広の命だった。

 隆広は困り顔で言った。

「無理すんなって。あの荒れ寺のときも、おめえの合口は微かに震えてたしな」

「面目ござんせん」

「だからよ、これ以上俺たちに付き合うことはねえ。おめえだけでも逃げ延びろ」

「し、しかし、あっしだけってえのはーー」

 尚も食い下がろうとする伊之助を、隆広は手で制した。

「何度も言わすなよ。あとはよ、俺とあいつで何とかする。なあ、広之進」

 隆広は隣に目をやったが、広之進は俯き加減で何やらブツブツ言っていた。

「やるのか。やるのか。本当にやるのか。ああ、どうしよう。どうしよう……」

「おい、聞いてるのか」

「えっ、父上。何か良い策でもあるのですか」

 顔を上げて的外れなことを口にする広之進に、隆広は鼻白んだ。

「バカか、おめえは。ある訳ねえだろう、そんなもん」

「そうなのですか。ないのですか……」

「それより、伊之助とはここで別れるぞ」

「なぜなのです。なぜ、伊之助さんと別れなければならないのですか」

 目を大きく見開いた広之進は、隆広に食って掛かるように言った。

「考えてもみろよ。元々、赦免状なんざ、伊之助にはなんの関わりのねえことだ。なのによ、恩を感じてここまで付いてきてくれたんだ」

 言われてみれば、その通りだった。荒寺で救ってくれた恩返しとばかりに、伊之助は我が身の危険も顧みずに団蔵の屋敷から赦免状を奪い返し、その上ここまで一緒に逃げてくれた。

「そうですね。父上のおっしゃる通りですね」

「ここら辺が潮時だ」

 頷いた広之進が伊之助に目をやった。

「伊之助さん、ここまでいろいろ力を貸してくれてありがとうございました。お陰で赦免状も無事に取り返せましたし、一刻も早くここから離れてください」

「そんな、旦那までなに言うんですかい」

「あとのことは心配なさらずに、父上と私でどうにかします」

「どうにかって……」

 三〇数名のヤクザ相手に、いったい何をどうするのか、言葉を失う伊之助をよそに、広之進は傍らにいた隆広を見て事も無げに言った。

「そうですよね、父上」

「まっ、そう言うこった。伊之助、とっとと消えな」

 苦笑いを浮かべて隆広は犬を追い払うような仕草で伊之助を急かした。

 目を真っ赤にした伊之助は、隆広と広之進の顔を交互に見た。

「お父上様、広之進の旦那。陰ながらこの伊之助、ご武運をお祈りしておりやす。ご免なすって」

 グッとアゴを引いて踵を返した伊之助は森の暗闇に溶け込むように消えた。

 伊之助が去るのを見届けた広之進が不安げな顔で訊ねた。

「どころで父上、この崖っぷちのような状況で、どう戦うおつもりなのですか」

「まあ、おめえに取り憑いてやり合うことになるだろうよ」

「よくお考えください。いくら父上が小野派一刀のそこそこの遣い手でも、些か無理があります」

「さっき井戸端でも聞いたんだがよ、そのそこそこってのが気に食わねえな」

「えっ、今そこですか」

 隆広は真顔で頷いたが、広之進は構わず続けた。

「いいですか、よくお聞きください。いくら父上でも奴らを全員まとめて戦うなど、無謀にも程があります。第一、私の身が持ちません」

 いくら隆広が取り憑いたとはいえ、実際にやるのは広之進の体なのだから堪ったものではない。

 だが、それを隆広は鼻で笑った。

「誰がまとめてやるって言った」

「えっ、やはり何か策がおありなのですね」

「策っていうほどのもんじゃねえが、さすがに正面切って相手すりゃ勝ち目はねえ。所詮、多勢に無勢だからな」

「では、どうなさるのですか」

「だったら、一対一になるように仕向けりゃいい」

「そのようなことができるのですか」

「まあ、見てな」

 そう言うと、隆広は滑り込むように広之進に取り憑いた。

 その頃、お銀を連れた団蔵が鎮守の森に着くと、松明を手に森を取り囲んでいた若い衆たちが「ご苦労様です!」と、声を合わせて頭を下げた。

 その中から代貸の与助が小走りで団蔵に近付いて耳打ちした。

「なに、もうひとりだと」

「へいっ。追ってた奴が、旅姿の町人を見たと言っておりやす」

「やっぱり、仲間がいやがっんだな。野郎、なめやがって」

 与助が「どうしやすか」と訊ねると、団蔵は口唇の片端を上げて笑った。

「決まってるじゃねえか。この団蔵様になめた真似したら、どうなるか思い知らせたやんな」

 薄ら笑いを浮かべた与助が鎮守の森をアゴで指すと、若い衆たちは飢えた狼のようなに一斉に動き出した。

 その様子を団蔵の傍らで見ていたお銀が呆れるように言った。

「親分さん、ちょっと大げさ過ぎやしませんか。たかが、三一相手に一家総出で出張るなんて」

「姐さんは黙っててくんねえか」団蔵が眉根を寄せて言った。「その三一に、屋敷じゃ、いいようにあしらわれたんだ。なに、別に命まで取ろうって訳じゃねえ。赦免状っていうお宝を差出せば、少し痛めつけて放してやらあ」

「そうですか。じゃ、私は一切余計な口出しはしませんよ」

 大人しく引き下がるお銀に気をよくした団蔵は余裕たっぷりに言い切った。

「ものの四半刻もすれば、ボロ雑巾みたいな三一とその仲間が、俺の前に転がってるぜ」

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