十五.ご対面
その日のうちに、夜の闇に紛れて宿場から抜け出そうとした広之進たちだったが、宿場の出入り口を始め、主だった場所はすべて団蔵一家の若い衆たちが目を光らせていた。その物々しい様子を表通りの物陰から見ていた伊之助は、踵を返して裏路地に消えた。
裏路地の奥では広之進と隆広が長屋の井戸端の陰に隠れて伊之助の帰りを待っていた。
そこへ足音を消した伊之助が戻って来るなり、広之進の前に膝を着けて言った。
「旦那、ここもダメです。そこらじゅう団蔵の若い衆がうろうろしてやす」
「そうですか……」
肩を落とす広之進に、伊之助は訊ねた。
「ところで旦那、昼間のおっしゃったことなんですが、『自分がやったことじゃない』って、ありゃどういうことなんです」
「えっ、今それ聞きます」
「ええ、昼間聞いてから、ずーっと気になってやして。なんかこうモヤモヤしたもんが顔に貼り付いてるっていうか、とにかくスッキリしたんで、お願いしやす」
妙な縁から知り合ったとはいえ、ここまで色々と力を貸してくれた伊之助の頼みを無下にもできず、広之進は父・隆広のことを打ち明けた。
「するってえと、亡くなったお父上様が旦那に取り憑いた話、本当だったんですか」
目を丸くする伊之助に、広之進は観念したように頷いた。
「あっしは、てっきり旦那の独り芝居だと思っておりやした」
「どうして私が、芝居をしなければならないのですか」
「いや、きっとなにか深い意味がお有りなんだろうと、お武家様のやることに、あっしみてえな半端もんが口を挟む訳にゃいけません」
「では、なぜ誰も見えないのに、律儀に頭を下げたのですか」
「それは命の恩人の旦那に気まずい思いさせちゃいけねえって、お付き合いさせていただきやした」
一応、話は聞いてみたものの、伊之助にはにわかに信じ難かった。
(まだ知り合ったばかりのみじけえ付き合いだが、旦那の言葉使いや立振舞いから、頭がイカれてるようにも見えねえし、口からでまかせ言ってるようにも思えねえ。でもよ、いきなりユーレイに取り憑かれたって言われてもなあ……)
広之進の話に戸惑うばかりの伊之助だったが、荒寺の件といい、若い衆を瞬時に叩きのめした件といい、まんざらウソでもないような気がしてきた。
「つかぬことをお聞きますが」伊之助が真顔で続けた。「旦那のお父上様って、いってえ、どんなお方だったんですか。あっしのような盗賊崩れでも助けてくださったんですから、さぞ立派なお武家様だっだんでしょうね」
傍らで聞いていた隆広はさも嬉しげに頷いたが、広之進はどう答えていいのやら困り果てた。
(確かに生きてらした頃の父上は文武に長けた、誰もが認める武士の鑑のような方だった。しかし、今の父上は……)
黙り込む広之進を伊之助が急かした。
「ねえ、教えてくださいよ。あの寺での見事な立ち回り、さぞ剣の方も凄かったでしょうね」
「ええ、小野派一刀流のそこそこの遣い手でした」
「へえーっ、そりゃますます知りたくなっちまいました。旦那、後生ですから教えてくださいよ」
拝むように手を合わせて頼む伊之助を、見兼ねた隆広がしゃしゃり出てた。
「おい、こんだけ頼んでんだ。ちゃんと教えてやんのが筋ってもんだ」
隆広に促された広之進は、仕方なく生前の立派だった頃のことだけを話した。
伊之助が感心したように頷いた。
「なるほど。勘定吟味役だったんですかい。一刀流に加えて算盤も達者だったなんて、凄いお方だったんですね」
一旦、言葉を切った伊之助が改めて訊ねた。
「でっ、そんな立派なお父上様がいつも旦那のそばにいなすって、イザってときには取り憑いて助けてくれるんですね」
「ええ、まあそんな感じです」
苦笑いを浮かべた広之進は、内心ほっとしていた。
(伊之助さんに信じてもらえたのもそうだけど、とにかく今の変り果てた父上の姿を話さずに済んでよかった)
広之進がほっとしているのも束の間、伊之助が思いも寄らぬことを口にした。
「だったら、さぞ凛とした、風格のある身なりをしてらっしゃるんでしょうね。こうなんて言うか、裃姿に二本差しの威風堂々って感じの」
「いえ、死装束で額に白い三角の布切れを付けてる上に、頭に非道い刀傷があります」
と、思わずそう言いそうになった広之進は、慌ててそれを飲込んだ。
調子づいた伊之助は腕を組んで目を閉じ、さらに妄想を膨らませた。
(旦那が羨ましいぜ。死んでも我が子を想って、あの世から戻って来なさるぐらいだから、きっと情の篤い天晴れなお方だったんだな。まったく、俺の親とは大違いだぜ。できることなら、一目お会いしてえもんだ)
しばし伊之助が妄想に浸っていると、瞼の奥になにやら白い靄のようなものが浮かんできた。んっ、ありゃなんだと訝しむ伊之助に構わず、その靄が次第に人の形に変わり始めた。気味が悪くなった伊之助は、パッと目を開けて妄想から離れた。
あの靄は、いったい、なんだったのか。首を捻る伊之助がふと広之進に目をやると、いつの間にかその隣に見知らぬ男が腰を落としてこちらを見ていた。
白い着物に身を包み、死人のような青白い顔した男の額には、白い三角の布切れが付いている。よく見ると、髷を落とした頭にはザックリ割れた惨い傷もあった。
「えっ」と言った切り頭が真っ白になった伊之助に、その男は片手を上げてニッと笑った。
「よっ、伊之助。俺がこいつの親父で、隆広ってもんだ。よろしくな」
「…………」
しばしの沈黙の後、
「ぎゃああああああああああああああーーーーっ!」
月が冴え冴えと輝く秋の夜空に、伊之助の、この世のものとは思えない、悲鳴が響き渡った。
このとき、表通りを徘徊していた若い衆たちは一斉に声のする方を見たが、どうせ酔っ払いが何かに驚いて声を上げたのだろうと、さして気にすることもなく再び辺りに目を光らせた。
一方、伊之助の口を両手で塞いで無理やり黙らせていた広之進は、まともに息ができずに手足をバタつかせる伊之助に気付くと慌ててその手を口から離した。
「あっ、大丈夫ですか。いきなり大声を出すもんで、つい」
「つ、ついって……。危うく、お父上様のところへ行きかけやした」
少し落ち着きを取り戻した伊之助は、隆広と広之進を交互に見ながらに訊ねた。
「旦那はこんな変り果てたお父上様を何とも思わねえんですかい」
「えっ、私ですか」と自分に指を差した広之進は少し考えてから「そりゃ、最初はおどろきましたが、やはり父子なのですね。どうにか慣れました」と言った。
涼しい顔でそう答える広之進に呆れながらも、伊之助は感心していた。
(なんだかんだ言っても、さすがはお侍だ。肝が据わってなさる。いくら血の繋がった身内でも、俺だったら裸足で逃げちまうぜ)
隆広が伊之助に目をやった。
「ところでよ、抜け道か、なんかねえのか」
「へいっ。この先に小さな堀がありやして、そいつに沿って行けば、宿場の外れにある鎮守の森に出られます。そこまでくらりゃ、街道筋はもう目と鼻の先でさあ。ただ、少し遠回りになりやすが、よろしいんで」
「構わねえ。あいつらまとめて相手するよりゃ、マシだ」
「では、こちらでござんす」
伊之助を先頭に広之進たちは団蔵の敷いた包囲網を突破すべく、鎮守の森に向かった。




