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へっぽこ  作者: 真柴 文明
第二章
19/50

十三.広之進、案の定、窮地に陥る

 広い土間で立ち尽す広之進は力なくぼやいていた。

「それにしても遅いですね。できれば、このまま帰りたいのですが」

 傍らにいた隆広が眉根を寄せた。

「バカ野郎。親玉を部屋から引きずり出さなきゃ、盗み出せねえだろう」

「それはそうなのですが……」

 広之進がしょんぼりしていると、奥の方から若い衆を三人引き連れた団蔵が姿を現した。

 団蔵は上り框の上から見下ろしながら言った。

「お侍さん、あんたかい。仇討赦免状のことで俺に話があるってえのは」

 いかにもヤクザの親分らしい恰幅(かっぷく)のいい体から発する雰囲気に、気圧された広之進は小さく震えながら頷いた。

 団蔵は口唇の片端を上げた。

(なるほど。こりゃ、お銀の言った通りだ。これなら、いくらでも金が取れるな)

「そうかい。まあ、ここじゃ何だからな、奥の部屋でゆっくり話を聞こうじゃないか」

(まずいっ! このままついて行ったら、伊之助さんと鉢合わせなるかもしれない。ここは何としてでも、引き留めなければ)広之進の顔が引きつった。

 踵を返して奥へ行こうとする団蔵たちの背中に向かって広之進は慌てて呼び止めた。

「ま、待ってください!」

「あんっ」

「あ、あの。べ、別に大した話ではないので、こ、ここで結構です」

 固辞する広之進に、若い衆を連れて戻ってきた団蔵が青黒くむくんだ顔を近付けた。

「赦免状の話が大したことねえって、おかしなこと言いなさるな」

「い、いえ。大した話ではあるのですが、わざわざ奥の部屋で話すこともないのではないかと。ここで十分です」

「なに、訳分からねえこと言ってやがんだ。俺が奥で話そうって言ってんだ。おめえは黙ってついてくりゃいい」

 顔を上げた団蔵が「おいっ」とアゴで若い衆に指図すると、(うな)いた若い衆が二人、広之進の両脇を抱えるようにして土間から引き上げた。

「えっ、えっ、えっ。ちょ、ちょっと、ちょっと。草履がまだーー」

 結局、それほど引き留めることもできずに広之進は、草履を履いたまま引きずられるように奥に引っ立てられた。

 土間にひとり残された隆広は「やる気あんのか」と首を捻った。

 一方、団蔵の部屋に忍び込んだ伊之助は、赦免状を見つけられずに焦っていた。

(くそっ。いってえ、どこに移しやがったんだ。確かにこの引出しにあるはずなんだが)

 伊之助は長火鉢に付いた三つの引出しを上から順に探ったが、それらしきものは見当たらなかった。

 ふと伊之助が神棚に目をやると、社の横に小振りな黒塗りの手文庫が置かれていた。その手文庫を手に取って中を改めた伊之助が薄っすら笑った。

(やっと、見つけたぜ。たくっ、余計な手間取らせやがって)

 ほっと息を吐く伊之助の耳に、向こうの方からぞろぞろと近付いてくる足音が聞こえてくると、急いで赦免状を懐に入れて庭に逃げ込んだ。

 少しして、団蔵と若い衆に両脇を抱えられた広之進の姿が、植え込みの陰に身を潜めていた伊之助の目に入った。

(えっ。旦那、なにやってんです。あっしは玄関先で少しの間引き留めておいてくれって頼んだだけですぜ)

 伊之助の目の前を通り過ぎた広之進は、成す術もなく団蔵の部屋に連れ込まれた。

(ちっ。段取りが狂っちまったが、とにかくこいつを持ってここから離れることが先だ。旦那のことはそれからだ)

 赦免状を入れた懐に手を当てた伊之助は、急いで屋敷を後にした。

 部屋に連れ込まれた広之進は、草履を懐に入れて縮こまっていた。身を硬くして正座する広之進の前には、神棚を背に長火鉢の前でどっかり腰を据える団蔵と、自分を取り囲むようにして若い衆たちが座っていた。

(どどどど、どうしよう。あっ、父上は、父上はどこに)

 広之進はさっと辺りに目をやったが、どこにもいない。

(大船乗ったつもりで行けっておっしゃっておきながら、肝心なときにいらっしゃらないとは、ほんっと、ユーレイって使いない)

 肩を落としてあからさまに落胆する広之進の耳に、突如、隆広の声が聞こえた。

「悪い、悪い。遅れちまって、勘弁しろよ」

「えっ」と小さな声を上げた広之進が声のする方へ顔を向けると、隆広の顔が間近にあった。

「ギャ!」

 悲鳴を上げて横にのけ反った広之進は、心臓が今にも破裂しそうになった。

(あーっ、びっくりした。いくら父上とはいえ、あの顔を間近で見ると、とても耐えられない……)

 もう慣れたつもりでいたが、頭に惨い刀傷を負った青白い顔がいきなり目の前に現れては、思わず声を上げてのけ反ってしまう。

「なんだよ、その態度は」隆広は眉根を寄せて続けた。「いい加減慣れろよ。まあ、確かに遅れたことは悪かったが、ヤクザの家は初めてだったんでな、つい見て回っちまたんだよ。それより周り見ろ」

 促された広之進が周囲を見回すと、団蔵を始め若い衆全員が目を丸くして呆気に取られていた。皆、突然大声を上げた広之進に驚いていたのである。

 辺りに目を配った隆広は「さあ、どうやって抜け出すかな」と舌なめずりした。

「何か策があるのですか」

「そうだな。取りあえず、おめえに取り憑ておくか」

「えっ、少しは私の身になってもらえませんか」

「その方がイザってときに都合がいいからな。ところでよ、今気が付いたんだが、おめえ腰のもんどこにやった」

 隆広があるべきものがない腰の辺りを指差すと、広之進は「ああ」と小さく頷いた。

「それでしたら、ご安心ください。宿に置いてあります」

「はあ」

「ここへ来た目的は、あくまでも団蔵さんと話をすることです。ですから、刀は必要ないかと思い、宿に置いてきました」

「おめえ、バカだろう。ヤクザん家に丸腰で乗り込む奴がどこにいんだよ」

「お言葉を返すようですが、刀を差しては、穏やかに話ができるとはとても思えません。それに重いですし」

「バカだ、バカだと思ってたが、ここまでバカとは思ってもみなかったぜ」

「いかに父上とはいえ、今のは少々言葉が過ぎるかと」

 これでは話にならんと言わんばかりに、隆広はコバエを払うように顔の前で手を振った。

「もういい。とにかく、おめえの体借りるぜ」

「ですから、少しは私の身ーー」

 隆広は問答無用で取り憑いた。

「ああ、もう……」と広之進は嘆いたが、隆広は《さあ、用意はできたぜ》と鼻息を荒くした。

 こうして人馬一体ならぬ父子一体となった隆広と広之進は、屋敷からの脱出を試みた。

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