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へっぽこ  作者: 真柴 文明
第二章
16/50

十.二足の草鞋を履く男

 街道筋で伊之助と別れたその日の夕刻。宿場に入った広之進は、打合せ通り目印として菅笠を泊っている宿の軒先に吊るした。

 すでに風呂も夕餉(ゆうげ)に済ませていた広之進は部屋の中をウロウロ歩き回っては、伊之助の到着を今か今かと待っていた。

「遅いですね、伊之助さん。大丈夫でしょうか」

 伊之助の身を案じる広之進をよそに、肘を立てて寝っ転がっていた隆広は特に気にする風でもなかった。

「腹が減ったら、そのうち来るだろうよ。第一おめえが心配しても仕方ねえだろう」

 広之進は足を急に止めると、寝っ転がる隆広の前に正座した。

「父上、お話があります」

 いつもとは違う真剣な眼差しに、隆広も体を起こしてあぐらを掻いた。

「なんだい、そんな怖え顔して。伊之助のことなら心配ねえって。おめえより余程しっかりしてらあ」

「確かに伊之助さんは、私よりしっかりしてます。しかし、今からお話しすることは、そのことではありません」

「じゃ、なんでえ」

 窺うように自分を覗き込む隆広に、広之進はここまで胸に溜め込んでいたものを吐き出した。

「例え、ユーレイになられたとはいえ、父上も元は武士。生きていらした頃は、あれほど私に武家の嗜みや自覚を散々おっしゃっていたのに、それを何ですか、その乱暴な言葉遣いに、気ままな振舞い。文武に秀でた武士の鑑のような、かつての父上はどこに行ったのですか」

「ちっ。なんだその話かよ」隆広は面倒臭そうに続けた「だからよ、俺はもう武士じゃねえんだ。ユーレイなんだよ。分かるか、ユ・ウ・レ・イ」

「だから、何だというのです」

「だったらよ、武家の習だの、武士の面子だの、もう関係ねえじゃねえか。そんな堅苦しいもんから、やっと手が切れたんだ。好きにするのは当たりめえだろう」

 ユーレイになった途端、手のひらを返したように好き勝手する父。そんな父のために自分は仇討をやる羽目になってしまったのかと、ついカッとなった広之進は「父上!」と声を上げて掴み掛ろうとしたが、隆広の体をスルリと抜けて畳の上に手を着いてしまった。

 スッと立ち上った隆広は、振返って小バカにするように言った。

「だから言ったろう。ユーレイだって。捕まえられるもんなら、捕まえてみな」

「うぐぐぐっ……」

 広之進が歯軋りしながら隆広を()め上げていると、廊下の障子越しに女中の声がした。

「お連れの方がいらっしゃいましたよ」

 女中が障子を開けると、そこに目印の菅笠を手にした伊之助が立っていた。

 広之進は慌てて居住まいを正し、隆広はその隣であぐらを掻いた。

 女中に酒と肴を頼んだ伊之助は「失礼しやす」と手刀を切って部屋に入った。

 旅装を解いた伊之助は広之進の前に腰を下ろした。

「遅くなりやして申し訳ござんせん。いろいろ聞き回っているうちに暗くなっちまいました」

 広之進が縋るように訊ねた。

「それで、何か掴めましたか」

「へい。お銀の奴この宿場の(なた)の団蔵ってヤクザもんの世話になってやした」

 伊之助によれば、お銀は昨日から鉈の団蔵一家に草鞋を脱いでいた。

 団蔵はヤクザでありながら、お上から十手を預かる二足の草鞋で、この宿場を表と裏から牛耳っていた。表の稼業では荷を運ぶ運送業を営んでいたが、御禁制の品を上手く紛れ込ませて荒稼ぎし、裏では高利の金貸しで暴利を貪っていた。役人どもには袖の下から金を掴ませ、酒と女で骨抜きにして悪事に目をつむらせた。当然、夜ともなれば賭場を張り、そこでお銀は思う存分腕を振るい遊びに来る客を次々とカモにしていた。。

 話を聞き終えた広之進は難しい顔をした。

「なるほど。お役人に賄賂を使って抱き込んでるんですね。お銀さんにしたら、どんな詐欺(いかさま)博奕をしても、団蔵親分という後ろ盾があるから怖くない。これでは迂闊に手は出せませんね」

「へい、おっしゃる通りで。とにかく金に汚ねえ親分みてえで、女狐め、うめえところに潜り込みやがったもんです」

「でもよ」隆広が割込んできた。「このまま手をこまねいてる訳にもいかねえ。何か手立てを考えねえとな」

「あっ」と声を上げた広之進が隆広に顔を向けた。

「確か、父上はユーレイでしたよね」

「ああ、そうだ。さっきから言ってんじゃねえか」

「しかも都合の良いことに、私の他に父上の姿は見えない」

「なにが言いてえんだ」

「でしたら、その団蔵親分のところへ行って赦免状を取り返してきてください」

「おめえ、本当に底抜けのバカだな」隆広は冷ややかな目で続けた。「いいか、ユーレイってのは、(かすみ)みてえなあやふやなもんなんだぞ。箸一本まともに掴めねのに、いってえどうやって赦免状取ってくるんだ」

「ユーレイって、使えないんですね」

「うるせえ」

 唐突に始まる広之進の奇行に、もう慣れっこになっていた伊之助が冷静に間に入った。

「お二人とも、もうその辺で。明日、あっしが賭場に探りを入れてめいりやす」

「えっ」と声を上げた広之進と隆広が同時に伊之助を見た。

 広之進は「腕の傷もまだ治っていなし、あまり無理をしない方が」と気遣ったが、隆広は「頼んだぜ、伊之助。多少無茶してでも、なんか掴んでこい」と言った。

「父上~~っ。そのようなことを」

 肩を落とす広之進に伊之助が訊ねた。

「お父上様がなにか」

「頼むと言ってます。多少無茶しても、なんか掴んでこいって言ってます」

「ようござんす。任せておくんなさい」

「すいません。こんな父で……」

 広之進が申し訳なく思っていると、丁度そこへ女中が酒と肴を運んできた。

 広之進は、どちらかと言えば、下戸の部類に入るが、きのうから降り掛かる悪夢のような数々の出来事を頭から振り払うように盃を一気に空けた。

(まったく私の不心得から招いたこととはいえ、亡き父上が迷って出てくるわ、盗賊相手に立ち回るわ、今度はヤクザの親分から赦免状を取り返さなければならないとは。はぁ~~~~っ、疲れる……)

 長い溜息を吐いた広之進が手酌で注いだ盃をまた一気に空けると、伊之助が(はや)し立てた。

「おっ、旦那。中々の呑みっぷりでござんすね」

「いえ、酒はそれほど強くないのですが、きのう一日で様々なことが立続けに起こったもので、つい」

 不意に広之進は不意に隣から刺すような視線を感じた。

 広之進が視線の方に顔を向けると、「俺にも呑ませろ」と言わんばかりに憮然とする隆広がいた。

(あっ、父上も呑みたいんだ。しかし、さっき霞みたいな体だとおっしゃってたし、第一どうやって盃を持つんだ)

 広之進を見据えたまま隆広が切出した。

「おい、この前みてえに体貸せ」

「えっ、いきなり何を言うのです」

「おめえに取り憑いて、俺も呑む。さっさと貸せ」

「いや、父上。いくらなんでもそれはーー」

 拒む広之進などお構いなしに、隆広は滑り込むように取り憑いた。すると、勝手に動き出した広之進の手が次々に盃に酒を注いぎ、それを広之進自身が矢継ぎ早に呑み干した。

《かーっ。うめえな。酒が腹の底に染み渡るぜ》

 久しぶりの酒に隆広はご満悦だったが、実体のないユーレイなので、あくまでも吞んだような気になっているだけである。

 こうして伊之助が頼んだ三本の銚子は、瞬く間に空になった。

「ち、父上。わ、私はもう、呑めまれん」

《なんでえ、このくれえの酒で。だらしねえな。しっかりしろい》

 まだ呑み足りない隆広の声が、広之進の頭の中をぐるぐる回った。

「そんな大声、出さないでくらさい……。私はもう寝ま……」

 言い終わる前に、広之進はその場で大の字になって引っくり返ってしまった。

《ちっ。仕方ねえな》と隆広は渋々広之進から離れた。

 いきなり水のように酒をあおったあげく、力尽きたように寝入る広之進を伊之助は案じた。

「旦那、旦那。このまま寝ちまったら、体に毒ですぜ」

 いくら肩を揺さぶっても、一向に目を覚まさない広之進に伊之助は諦めて立上った。

「女中さんに蒲団敷いてもらうよう頼んできますんで、待っててくださいよ」

 そう言い残して伊之助はそそくさと部屋を出た。

 部屋で酔い潰れた広之進と父子二人になった隆広は、赤くなった広之進の寝顔をジッと見た。

(剣術と酒以外にも、こいつに教えてやることは山ほどありそうだな。生きてるうちに少しは教えておくんだったな。あっ、ガミガミ言い過ぎてたか)

 生前に伝えきれなかった様々なことが頭に(よぎ)る隆広は、優しいまなざしで寝入る我が子をいつまでも見守った。

 ついでながら、次の日、広之進が非道い二日酔に苦しんだことは、言うまでもない。

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