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へっぽこ  作者: 真柴 文明
第二章
15/50

九.助っ人

 しばし重苦しい空気が堂内を押し包んだが、やがて伊之助が顔を上げた。

「でね、もう我慢ならねえって、抜けることしたんですよ。しかし、このザマで……」

 伊之助は力なく腕の傷に目をやった。

「裏切り者は決して許さないのが盗っ人の掟。あいつら、あっしの息の根を止めるまで、どこまでもしつこく追ってきやす」

 不安げな顔で広之進が訊ねた。

「これからどうするんですか」

 伊之助が口唇の片端を上げて「そりゃ、殺られる前にあいつらまとめて役人に売っちまうんですよ」と言った。

「えっ。そんなことをしたら、伊之助さんもただでは済みませんよ」

「分かっておりやす。でもね、このままじゃ、あっしの腹の虫が治まらねえ」

 伊之助は自分の首をポンと叩いて見せた。

「例え役人に捕まったあげく、奴らと一緒に三尺高けえ木の上にこの首並べる羽目になっても、悔いはありやせん」

 見栄を切る伊之助を、広之進は少し羨ましく思った。

(自分の命が狙われているのに、相討ち覚悟で立ち向かうなんて。私にもこれだけの強さがあれば、皆からへっぽこ呼ばわりされることもなかったろうな)

 そんな広之進を横目に、傍らに座っていた隆広は伊之助に心意気のようなものを感じつつも、所詮は盗っ人同士の小競り合いだと、どこか冷ややかに見ていた。

「おい、広之進。こんな奴とはさっさっと手を切って、女捜しに専念しろ」

 隆広の方を向いて広之進が口を尖らせた。

「お言葉ですが、父上、伊之助さんは腕に傷を負ってるんですよ。その上、命まで狙われている。放っては置けません」

「バカか、おめえは。さっきみたいな連中が、またいつ襲ってくるか知れねえんだぞ」

「そのときは、また私に取り憑いて追い払えばよいではありませんか」

「そんなのいちいち相手にしてられっか。それによ、おめえみてえにまともに刀を抜いたこともねえ奴の体なんか、使いにくいに決まってんだろう」

「うっ」

 伊之助は、突然、独り喋りだ出す広之進を奇異なものを見るような目で眺めていた。

(この旦那、いきなり横向いたまま誰と話してんだ。いかれてるようにも見えねえがな)

 伊之助は躊躇(ためら)いがち声を掛けた。

「だ、旦那。いったい、さっきから誰と話してるんですか。あっしには見えねえんですが」

「えっ、そうなんですか。見えないのですか」

 目を丸くして聞き返す広之進に、伊之助は小さく頷いた。

 首を捻った広之進は隣にいる隆広に訊ねた。

「父上、これはどういうことなのでしょう。私にはこんなにはっきりと生々しく見えるのに、伊之助さんには父上の姿どころか、声すら聞こえていないようです」

「まっ、おめえとは血の繋がった父子だし、何よりお互い想う心があるから見えるんじゃねえか」

「なるほど」と得心した広之進は、逆上した仁平に合口で刺されそうになったときのことを思い出した。

(確かにあのとき、私は父上のことを強く想った。そうしたら、いきなり父上が取り憑かれて、私は九死に一生を得た。やはり父上は私を想ってくださってたんだ)

 広之進は隆広が言ったことを伊之助に話した。

「へぇーっ、そんなことあるんですかい。あっしなんか親に売り飛ばされちまったんでさっぱり分かりませんが、旦那のことを想ってあの世から戻ってきなさるお父上様って、どんな御方なんですか」

 問われた広之進は隆広をまじまじと見た。

(う~ん、どう言っていいのやら。死装束と額に付けた三角の白い布はいいとして、マゲを落とした散切り頭にザックリ入った刀傷が、(むご)過ぎる……)

 伊之助に顔を戻した広之進はシレっと言った。

「別に知らなくてもいいです。どうせ見えないんだし」

「おい、ちゃんと言ってやれよ」あまりの言い草に隆広は口をへの字に曲げた。

「父上は今のご自分のお姿を分かってらっしゃるのですか。実の子である私でさえ、初めは気を失ってしまうくらい非道いお姿なのですよ。今はどうにか慣れましたが」

「なんだと、この野郎。それが死んだ親父に向かっていうことか。あーっ、情けねえ。こんなことなら、さっき助けるんじゃなかったぜ」

「父上といえど、今のお言葉聞き捨てなりません」

 また、目の前で独り言い争いを始めた広之進を見兼ねた伊之助が止めに入った。

「旦那、分かりやした。分かりやしたから、その辺で終わりにしましょう」

 広之進が少し落ち着きを取り戻すと、伊之助が改めて訊ねた。

「ところで、旦那みてえな立派な身なりのお侍が、どうしてこんな山ん中の荒寺に泊まってるんです」

「いや、それは、その……」

 広之進は一瞬口ごもったが、こんな所で出会ったのも何かの縁と思い直し、ここに至るまでの経緯を話した。

 話を聞いた伊之助は、憐れむように小さく頭を振った。

「そいつはいけねえ。金はともかく、仇討赦免状まで盗まれるとは。旦那、こりゃ一大事でござんすね」

「ええ、そうなんですけど。いったい、どこを捜せばよいのか……」

「旦那、気をしっかり持ってくだせえ」と広之進の肩に手を置いて伊之助は「あっしに手伝わしてくれやせんか」と言った。

 驚いた広之進に、伊之助は胸を叩いて見せた。

「命の恩人が難儀してるってえのに、知らん顔なんかできやせん。あっしの男が(すた)りやす。ぜひ、手伝わせておくんなさい」

「伊之助さん、どうかよろしくお願いします!」

 男気溢れる申し出に胸を熱くした広之進は伊之助の手を強く握ったが、ここでも隆広は少し違っていた。

(まっ、捜すんなら、一人でも手があった方がいいしな。何より伊之助みてえな裏の世界に通じた奴が、広之進の助っ人になってくれるのは心強いぜ)

 隆広が眉根を寄せて言った。

「おい、いつまで握ってんだ。そうと決まったら、女の人相、風体を紙にでも描いて、そいつに渡してやれ」

「ということは、伊之助さんに手伝ってもらってよいのですね」

 隆広が頷くと、広之進は懐から紙を取出し、腰の差した矢立の筆でささっと女の顔と姿を描いて見せた。

 出来上がって人相書きに目を凝らしていた伊之助が呟いた。

「この女、ひょっとして……」

「えっ、知ってるんですか」

「へえ。あっしの覚え違いでなけりゃ、この女、確か『騙術(まやかし)のお銀』って質の悪い博奕打ちでさあ」

 騙術のお銀は女の身でありながら、渡世を渡る流れの壺振りで、その白魚のような細い指先を巧みに操り、思うがままに賽の目を出せる詐欺師(いかさまし)だった。

 お銀は草鞋を脱いだ先で、思う存分その腕を振るい、客から金を巻上げて一宿一飯の世話になった親分を大いに喜ばせていた。ただ、本業の詐欺博奕の他に手癖が悪く置引きや色仕掛けで男をたらし込んでは金品をかすめ取るといった盗みも働いていた。

「はぁ~っ。そんな女だったとは、人は見掛けによらないもんですね……」

 溜息を吐く広之進に、隆広は呆れるように言った。

「なにのん気に言ってやがる。年増のちょいといい女に鼻の下を伸ばすから、こんな目に遭うんだ」

「父上。先程から私に文句ばっかり言ってるように聞こえーー」

 父子の間に不穏な気配を感じた伊之助が先手を打った。

「旦那。お父上様は、今どちらに」

「えっ」不意を突かれた広之進は一瞬、きょとんとしたが、すぐに気を取り直して「ここで偉そうにあぐらを掻いてます」と横を指差した。

 指差した方に居住まいを正した伊之助は、両手を床に着いた。

「お初にお目にかかりやす。伊之助ってケチな野郎でござんすが、旦那、いや広之進様のためにこの身惜しまずに働かせていただきやす」

 そう言うと、伊之助は誰もいない広之進の隣に向かって深々と頭を下げた。

 

 荒寺で一夜を過ごした広之進たち一行は、翌朝早々山を下りて街道筋に出た。

 取りあえずこの先にある宿場からお銀を捜すことにした伊之助は、菅笠に手を当てて会釈した。

「じゃ、旦那。あっしは一足先に宿場に探りを入れてめいりやす」

「よろしくお願いします。でも、無理はしないでください。まだ傷は塞がってないんですから」

「へい、分かっておりやす」

 すぐに立つと思っていた伊之助が辺りをしきりに見回すので、広之進は首を捻った。

「伊之助さん、何してるんですか」

「いえね、お父上様にもご挨拶をと思いましてね」

「ああ、それならそこにいますよ」

 広之進は伊之助の隣を指すと、伊之助は指す方に向かって「では、行ってめいりやす」と頭を下て宿場へ向かった。

 その背中を目で追いながら隆広は微笑んだ。

「いい仲間できてよかったな」

「はい、父上。私も嬉しいです」

「国元じゃ、誰にも相手されなかったからな。おめえにとっちゃ、初めてできた仲間だ」

「父上~っ。それを言われては~~っ」

「さあ、行くぜ」

「あっ、待ってください。父上」

 広之進を置いて隆広が一人ズンズン前に歩き出すと、広之進も慌てて後を追うように歩き出した。

 こうして新たな仲間を得た広之進は、仇討赦免状を奪還すべく、ユーレイとなった父・隆広と共に宿場を目指した。

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