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へっぽこ  作者: 真柴 文明
第二章
14/50

八.盗賊・ましらの伊之助

「すいやせん。命を救ってもらった上に傷の手当までしていただいて、本当に恩に着ます」

 旅装を解いた伊之助は頭を何度も下げた。

「いえいえ。困ったときはお互い様ですよ。傷も思ったより深くなくて良かったです」

 得意の草花の知識を活かした広之進は、薬草で伊之助が受けた刀傷の手当を施していた。

 と、いきなり「ぐぅ~」と妙な音がした。

 仁平たちが去ったとはいえ、少し過敏になった伊之助がサッと辺りに目を走らせていると、頭を掻きながら広之進は気恥ずかしそうな顔をした。

「すみません。私の腹の虫が鳴ったようです。昼も碌に食べていなかったもので、つい」

 顔を赤くした広之進を見て「ほっ」と小さく息を吐いた伊之助は、横に置いていた振分荷物の中から竹の皮に包んだ握り飯を取出して前に置いた。

「旦那、よかったら食べてください。あっしも昼から何も口にしてねえんで、ご一緒させていただきます」

 包みを解いて中から出てきた二つのこぶし大の握り飯を、二人はそれぞれ一つ手に取って食べた。

「ご馳走様でした」と手を合わせた広之進は改めて訊ねた。

「ところで、伊之助さん、あなたは何者なんですか。どうして殺されそうになったんですか。あの人たちと、どのような関係なのですか」

 飯粒の付いた指を口から離した伊之助の顔が一瞬曇ったが、やがてポツリポツリと話し始めた。

 上州の北の外れにある渋川村で、両親が百姓だった伊之助は七人兄弟の三男坊として生まれた。貧しい寒村で育った伊之助と兄弟たちは、いつも腹を空かせていた。

 伊之助が五つのとき、悪天候が続き米を始めとする農作物すべてが不作となり、ただでさえ食うや食わずの一家の苦しい暮し向きを直撃した。よいよ食い物が底をつくと、両親は止む無く伊之助を人買いに売渡し、どうにか糊口(ここう)をしのいだ。

「そりゃね、一時は恨みましたよ。ひでえ親だってね」床に目を落としたまま伊之助は続けた。「でもね、あんときはそうでもしなきゃ、一家全員共倒れになっちまう。きっとお父っさんもお母っさんも、泣く泣くあっしを手放したんだと、この歳になって少しはそう思えるようになりやした」

 伊之助は苦いものを吐き出すように話を続けた。

 伊之助が売られた先は深川の軽業師の親方の家だった。伊之助を買った親方は、伊之助と同様に買ったり、さらってきた子供に軽業などの芸を仕込み、見世物することを生業としていた。暗く狭い部屋に押込まれて僅かな食事と休息だけで朝早くから夜遅くまで、みっちりと芸を仕込まれた。少しでも失敗(しくじ)れば、親方に容赦なく棒で叩きのめされ、子供たちは体で覚えるしかなかった。

「怖くて暗くて辛いところでしたよ」

 不意に顔を上げた伊之助が力なく笑った。

「でね、あんまり辛いんで、親方の目を盗んで逃げちまったんですよ。しかし、ガキでしたからね、後先考えずに深川の町ん中をがむしゃらに走っておりやした」

 辛い昔を話す伊之助の目が、広之進にはどこか遠い日を懐かしんでいるように見えた。

「それからもう走れねえってところで、ふと周りを見たら、陽はすっかり落ちて辺りは真っ暗。おまけに、今てめえがどこにいるのかも分からねえ。そのうち腹は減るわ、眠くなるわで、そんとき上手い具合に近くに神社みてえなもん見つけましてね、これ幸いと、そこの床下に潜り込んで、休むことにしたんでさあ」

 ここまで一気に捲し立てた伊之助は一つ間を置いて続けた。

「まあ、連日の猛稽古と町中走り回って疲れ果てたんでしょうね。すっかり寝込んじまってたら、上の方から足音が聞こえてきたんですよ。それも一人、二人じゃなく、何人もの足音が聞こえてきたんです」

 その足音が気になった伊之助少年は床下から這出て、窓から中の様子を覗き込んだ。

 そこには黒装束に身を包んだ七、八人の男たちが拝殿の前に止めた荷車から箱を担いで中に運び込んでいた。子供だった伊之助は、いったい彼らが何をしているのか見当もつかなかった。

 そのうち男たちの誰かが伊之助の小さな影に気付いた。男たちは互いに目配せすると、ひとりが外からの拝殿の裏に回り、背後から伊之助の首根っこを押さえて中に引きずり込んだ。

 真っ暗な拝殿の中で男たちに取囲まれた伊之助が声も出せずに怯えていると、拝殿の奥から男が現れを手にした手燭(しゅしょく)伊之助にかざして言った。

「何でえ、まだガキじゃねえか」

 懐かしい思い出から帰って来た伊之助は改めて広之進の目を見た。

「それがあっしと、盗賊・夜鴉(よがらす)儀平(ぎへい)御頭との出会いでした」

 盗賊と聞いて広之進はギョッとした。

「えっ、ということは伊之助さんも盗賊なのですか」

「ええ、そうです。あっしも、ましらの伊之助って盗っ人です」

 盗賊・夜鴉の儀平は、盗んで難儀する者に手は出さず、押入った先で血は流さず、女に手を出さない、盗みの本道を旨とする本格派であった。伊之助から生立ちをを聞いた儀平は哀れに想い、手元に置いて一から盗みの技を教え込んだ。伊之助もまた、地獄のような軽業の稽古から救ってくれたことに恩義を感じ、死に物狂いで技の習得に励んだ。

 初めて聞く盗賊の話に広之進は興味を覚えた

「では、錠前を外したりするんですか」

「いえ、できません。そりゃ、木戸くらいなら外せやすが、作りが凝った本格的な錠前は手も足も出ません。夜鴉での主なあっしの仕事は下調べです」

 伊之助の言う下調べとは、内偵のことである。狙った商家の間取りや奉公人の数、家の家風、主人の気質など、事細かに調べ上げるのである。そのため伊之助は、下働きの使用人や出入りの業者に扮して潜り込むこともあれば、むかし覚えた軽業を活かして、ましらの如く天井裏に忍び込み、探りを入れることもあった。

「へぇーっ。やっぱり、本職はすごいですね」

「あっしもそれなりに腕を上げやしてね、夜鴉の御頭によく褒めてもらいました」

 と、ここまで得意げに話していた伊之助の顔が再び曇り出した。

「しかし、夜鴉の御頭が亡くなってからといもの、碌でもねえことばかりで……」

 二年前の夏、風邪をこじらせてた夜鴉の儀平はあっけなくこの世を去った。突然の儀平の死に途方に暮れる配下の者たちに声を掛けたのが、血飛沫の庄兵衛だった。

 庄兵衛と儀平は兄弟分の間柄だった。そこで庄兵衛は言葉巧みに近付き、儀平が長年掛けて築いた仕組みと人をごっそりまとめて自らの配下に加えることを目論んだ。

「そりゃ、初めのうちは親身になって、あっしたち夜鴉のもんをいろいろ面倒みてくれやした」苦い顔をした伊之助は短い息を吐いて続けた。「でね、うちに来てくれたら、悪いようにはしねえ。夜鴉の看板に泥を塗るような真似はしねえって、何遍も誘われましてね。あっしらも行く宛がなかったんで、結局、庄兵衛の言葉を信じて世話になることにしたんでさあ。それを、あの野郎~っ」

 夜鴉一味を丸ごと手に入れた庄兵衛は豹変した。本性を現した庄兵衛は、手当たり次第に次々と商家に押し入り、その手口は血を見ることも辞さない荒々しいものだった。当然、元・夜鴉の中から異を唱える者が出たが、庄兵衛はこれを力でねじ伏せ、さらに逆らう者は容赦なく始末した。勢いづいた庄兵衛は押入った先々で、誰かれ構わず手に掛けるようになり、ついには「血ぃ見なきゃ、仕事した気にならねえ」とその家の者すべての命を奪う凶賊に成り果てた。

「前々から荒っぽい御頭だと聞いておりやしたが、まさかここまでやるとは思っちゃいませんでした」

 目を閉じて小さく頭を振る伊之助に、広之進はためらいがちに訊ねた。

「伊之助さんも、殺ったんですか……。人を……」

「バカ言っちゃいけやせん。あっしは調べるのが(もっぱ)らの役目です。それにあっしのここにゃ、今でも夜鴉の御頭の教えが生きてまさあ」

 胸に手を当てて言い切った伊之助だったが、すぐに萎れた花のように下を向いた。

「でも、あっしの調べがもとで、幾つかの御店が皆殺しに遭っちまいました。中には、年端もいかねえ子供もおりやした」

 自ら手を下していないとはいえ、取返しのつかないことに手を貸してしまった伊之助は、床に目を落としたまま肩を小さく震わせた。

 押し黙る伊之助に掛ける言葉が見つからない広之進の耳に、ただ木々の騒めきだけが聞こえた。

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