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へっぽこ  作者: 真柴 文明
第二章
11/50

五.広之進、またやらかす

 突然の乱入者に茫然としている広之進と隆広の耳に再び遠くの方から今度は数名の走って来る足音が届いた。

 音のする方へ顔を向けた広之進は吞気に言った。

「父上、また誰かこちらに向かってるようですね」

「そうみてえだな」隆広も足音の方へ顔を向けて続けた。「だとすりゃ、さっきの男を追ってる連中だろうよ」

「どうしてそのようなことが分かるのです。ただの町人にしか思えませんが」

「バカ野郎。ただの町人が夜中に腕から血流して山ん中の荒寺に隠れると思うか」

 あっ、言われてみればと広之進が感心するように頷いていると、いきなりもう片方の戸口の扉が派手な音を立てて蹴破られた。

 蹴破られた扉の上には三人の男たちがいた。三人とも菅笠を被った旅姿の町人だったが、右の男はがっしりした五尺を超える大男で顔と言えば鬼瓦を思わせる厳ついものだった。

 片や左の男は五尺に少し届かない小太りな体付きで少し前屈みになってガマに似た顔を突き出している。

 年の頃なら三十前後に見える二人の間には、頭一つ低い四十がらみの年嵩(としかさ)の男がいた。一見、その男は商家の奉公人のようにも思えたが、何か違和感のようなものが漂っていた。

 広之進が相次ぐ乱入者に目を白黒させていると、年嵩の男が尖った視線を向けてきた。

「お侍さん、今しがた若い男がここに入って来やせんでしたか」

 濁った声で訊ねる年嵩の男に、身を硬くしながらも広之進は逡巡した。

(父上がおっしゃっていた追ってる連中とは恐らくこの者たちのことなのだろう。なんだか雰囲気が尋常でないというか、顔が怖いというか……)

 黙り込む広之進に、年嵩の男は声にいら立ちを(にじ)ませた。

「お侍さん、聞いてるんですかい。あっしは若い男がここに入って来たか、それを聞いてるんですぜ」

 それでも広之進は口を固く結んまま目を(しばたた)かせるだけだった。

 小さく舌打ちした年嵩の男は見切りを付けるように言った。

「こっちは時間が惜しいんだ。勝手に家探しさせてもらいますよ」

 左右の二人に目配せした年嵩の男は、広之進の後ろにある須弥壇をアゴで指した。

 元々、山中に放置された荒寺の狭い堂内。あるものといえば、所々に傷が入った須弥壇(しゅみだん)とその上に置かれた仏のいない宮殿(くうでん)だけである。隠れる場所といえば、それくらいで三人は入って来た早々に目を付けていた。三人は広之進に構わず須弥壇に近付いた。

 広之進は三人の背中を見詰めながら焦った。

「父上、どうしましょう。このままでは先程の男が見つけられてします」

「どうもこうも、放っとけ。いいか、あいつら堅気じゃねえ。さっき俺の横を通ったときに懐から合口が見えた」

「えっ」

「たぶんヤクザか博奕打ちか、なんかだろう。そういった裏街道を行く連中同士の喧嘩だ。下手に手ぇ出してみろ、ケガどころじゃ済まねえぞ」

「し、しかし、父上。先程の男は腕からーー」

「いいか広之進、おめえもこれから仇討やろうってんなら、よく見ておけ。命のやり取りってやつが、どういうものなのかをな」

 隆広が問答無用で遮ると、それっきり広之進は口を噤んだ。

 広之進と隆広が見守る中、須弥壇に向かって年嵩の男が声を張上げた。

「おい、伊之助! そこに隠れてんのは分かってんだ。さっさっと出てこい!」

 少しして須弥壇の陰から左の二の腕に手を当てた若い男が出てきた。須弥壇の前に現れた伊之助と呼ばれる背丈が四尺半程の痩身の男は、受けた傷のせいもあって、弱々しく見えた。

 口唇の片端を上げた年嵩の男が「留、吉松」と言うと、すぐさま二人は伊之助を挟むように左右に散った。

 須弥壇を背に血走った目を向ける伊之助に、年嵩の男が(あざけ)るように言った。

「伊之助、俺たち仲間を裏切るたぁ、いい度胸してな」

 伊之助は左右の留と吉松に気に掛けながら真っ直ぐに年嵩の男の目を捉えていた。

「仲間だと。どの口が言ってやがんだ。仁平さんよ、悪いがあんたたちのことを仲間だと思ったことなんざ一度もねえ」

「野郎、言わしておきゃ図に乗りやがって」と右の吉松が凄めば、左の留も「聞き捨てならねな」と唸るように言った。

「よさねえか」

 気色ばむ二人を制した仁平は改めて言った。

「そうかい、俺たちは仲間じゃねえって言うんだな。それなら、こっちも心置きなく事に当たれるってもんだ」

 仁平の顔からスッと笑みが消えた。

「留、吉松。殺れ」

 仁平が命じるや、二人は懐から合口を抜いた。同時に伊之助も懐に忍ばせておいた合口を抜いた。左右からにじり寄る留と吉松に、伊之助は顔と合口を交互に向けて身構えた。

 脅すように大きく足を踏み出す左の留に、思わず伊之助は合口の切先を向けた。そこへすかさず、右の吉松が丸太のような腕を振り下ろして伊之助の合口を叩き落とした。

 鋭い金属音と共に、伊之助の足元に血糊が柄にべっとり付いた合口が転がった。

 伊之助は後退ったが、すぐに背中が須弥壇に当たった。

 薄ら笑いを浮かべた吉松が「血の付いた手でまともに持てる訳ねえだろう」と言えば、留も「まあ、裏切り者の最後なんか、そんなもんよ」と鼻で笑って床に落ちた合口を足で払った。

 追詰められた伊之助に向かって仁平が冷淡に言い放った。

「伊之助。恨むんなら、裏切ったてめえを恨むんだな。さあ、とっとっと片付けちまえ」

 アゴをぐっと引いた留と吉松は、落とした腰に両手でしっかりと合口を当てた。

 まさに伊之助の命が消えようとしていた、その時、広之進が声を上げた。

「待ってください!」

「あん?」

 不機嫌な声と一緒に殺気立った六つの(まなこ)が一斉に広之進の方に向いた。

(あわわわっ。ど、どうしよう。つい口から出てしまった。しかし、人が目の前で殺されそうになっているのに、何もしないというのも……)

 自分で言っておきながら、目を大きく見開いたまま広之進は石のように固まった。

 それを傍らで見ていた隆広は「おめえ、バカか」と、ただ呆れ返るばかりであった。

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