6.青天の霹靂
帰宅した雄介はベッドに寝ころびながら悶々としていた。
沙苗の言葉の意味は、告白と受け取って良いものだ。それは素直にうれしいことである。だが、仮に沙苗と付き合うことになったとして、ちゃんと沙苗の彼氏としてやっていけるのか、まったく想像がつかない。
さらに言えば、その後、沙苗に愛想を尽かされてしまったら……。その不安のほうが強い。そうなってしまったら、告白して振られるよりも心の傷が深くなるだろう。
そんなところに呼び鈴が何度も何度も鳴り響いてくる。雄介はずっと無視し続けていたが、訪問者が諦める気配はない。
それに運悪くも、両親は外食に出かけてしまっている。雄介が夕方近くに外出することを告げたためなのか、帰宅してみたら書き置きがあった。おそらく今頃は父親と落ち合って年甲斐もなくいちゃついているのだろう、と少年は心の中で嘆息した。
「誰だよ、まったく。こんな夜になって……」
やかましさに耐えかねた雄介は自室を出て、玄関の鍵を外して扉を開く。と、玄関先にはセーラー服を身にまとった茜が立っていた。
「よっ、来てあげたわよ」
茜は戸から覗く雄介に爽やかな笑顔で答える。
雄介は無言で扉を締めようとノブを手前に引っ張った。しかし、茜は扉が閉まる前に、悪徳訪問販売業者よろしく、足を玄関に突っ込んで扉を閉められないようにした。
「何よ! 人がせっかく来てあげたのに閉め出すなんて、どういう了見なの?」
「そっちだって、仮に俺がお前ん家に行ったとしたら家の中に上げるのかよ?」
「冗談じゃないわよ。上げるわけないじゃない」
「それと同じだ! 帰れよ!」
「嫌よ、絶対に帰らない」
茜は足だけではなく、手まで戸の隙間にねじ込んできた。これ以上やれば怪我をさせてしまうことはハッキリとしている。
雄介の選択肢は、もはや家に上げることしか残されていなかった。
観念して、ドアノブから手を放す。
「大体、何でここが分かったんだよ?」
雄介は来客用のスリッパを茜に差し出す。
結局、茜を玄関に入れてしまった雄介は、すっかり諦めモードになり、彼女に対して投げやりに質問をぶつけた。
「え? 住所くらいクラス名簿に載ってるでしょ?」
しれっと言った茜の言葉に、雄介は目が点になってしまった。まさかクラス名簿をこんなことに利用する――悪用するクラスメートがいる、ということが信じられない。
「で、何の用なんだ?」
「まあ、それはあんたの部屋で、ね?」
そう言ったときの茜は、いつもの素っ気ない態度とは似ても似つかぬ程の、可愛い子ぶりっ子の仕草であった。
*
「へえ、男子の部屋にしては綺麗に片付いてるじゃん」
茜は雄介の部屋に入るなり、勝手に感想を述べると断りもなくベッドに腰掛ける。
ボフッ! というと共に、茜の尻を中心に固めのマットレスが沈み、木材で出来た寝台の軋む音が小気味良く部屋に響き渡る。
「おい、か、勝手に人のベッドに座るなよ!」
無遠慮な茜の振る舞いに、雄介は戸惑う。しぶしぶ部屋に入れることを許したのだが、彼女にはその自覚が全くない。ほとんど自分の部屋のような感覚である。
「だって部屋が狭いし、座れる場所はここ位でしょ? あ、大丈夫よ、ちゃんと下校前にシャワーは浴びてきたから」
「あのな、そういう問題じゃ……」
「それとも普段自分が座ってる勉強机の椅子に座ってもいいの? 色々と物色しちゃうかもしんないよぉ」
わざとベッドを揺すりながら目を細めて流し目で見つめてくる少女に、雄介は一瞬だけ体を強張らせてしまう。今、自分の目の前にいる茜が、普段の無愛想で、やる気の欠片も感じられない茜ではなくて、男を誘う色香に満ちた女性に見えたのである。
「……いいよ、座れよ」
「じゃ、遠慮無く」
茜は勝ち誇ったように笑みを浮かべるや、全身を投げ出すような形で雄介のベッドに仰向けになった。
「誰が寝ていいなんて言った? 座れ」
「ごめんごめん、なんかつい生活習慣が……」
茜は舌を少し出して、身体を起こす。
「で、話なんだけどさ……。昨日の昼休みの事なんだけど、私なりに調べてみたのよ」
「調べた、って何をだよ」
「下着盗難事件よ。二週間前に櫻林女子で、先週に東高で起こってるわ」
「で、それが何なんだ?」
「まあ、聞きなさいって。うちの学校――西高で発生した盗難事件とは明らかに違うのよ。二つの事件の共通点はね、一つ目、被害はその時に水泳の授業を受けていた女子全員。男子は被害ゼロなの」
後者はともかく、女子高では男子の被害もへったくれもないだろうに。
「ちょっといいか?」
「質問は後! 二つ目、盗まれたのは下着のうち、……その、何て言うか……全部、ぱ、パンツなのよね。ね、うちの学校で起こったのと、まったく規模も特徴も違うでしょ。昨日の被害は五人、盗まれたのはブラだけよ」
「じゃあ質問いいか? 要はよくある下着ドロと、昨日の事件では明らかに違う。ブラジャーだけ盗む下着ドロって不自然だよね。そういうことだろ?」
「そうそう、本当の変態下着泥棒はきっと、そこにあるものは全部を盗もうとするだろうし。四、五枚なんてせこ過ぎじゃない?」
茜は得意気に胸を張って自説の確かさを誇らしげに主張する。
「……でもさ、それだと内部の犯行だって線が濃厚になるうえに、かえって俺の容疑を固めることにならねえか?」
……。
気まずい沈黙が雄介の部屋に訪れる。
雄介が「今のはまずかったかな?」と悟るのに、時間はかからなかった。
「だあ、なんだってんだこの野郎! 人の気持ちも知らないで。悔しくないの? あんた先生達に下着ドロの疑いをかけられたのよ。濡れ衣を晴らそうとは思わないの?」
たちまち癇癪を起こした茜は雄介の胸ぐらを掴むと激しく前後に揺さぶる。
「何だよ、急に怒り出して。そりゃ悔しいよ! だけどな、それと長谷川が何の関わりがあるって言うんだよ?」
「うるさい、うるさい! どうせあたしよりも、巨乳の橘先輩の方が良いんでしょ? 下着ドロじゃなくて、セクハラでもやって停学になればいいのよ!」
「落ち着けよ! さっきから無茶苦茶だぞお前は! 何で怒ってばかりなんだよ」
「そんなの、あんたのことが気になるからに決まってんでしょうが!」
茜の言葉に、雄介は声を失った。
彼女の方も、おもむろに少年を解放する。
「あたしね……、最初はあんたのこと、馬鹿で助平でどうしようもない奴だ、って馬鹿にしてたよ。でもそうやってる自分も、無気力で特に何もしてないことは少しは自覚してたよ。人のことを笑えないよ、ってね。だけど、あんた見てると安心もできたの」
茜は乾いた笑い声をあげる。
「つまり、同類だと思ってたのよ。それが、今年に入ってからここ一、二か月を見てて、何か雰囲気が変わってるし、なんだろうな? そんなこと考えてたら、あの先輩に行き当たった、てわけ」
茜の発言に、雄介は数日前の彼女の態度を思い出した。
悔しそうな顔、八つ当たりするようにわめいて教室を飛び出してしまったこと、それはもしかしたら彼女と雄介との、奇妙な連帯意識が崩れてしまうことに対する焦りだったのかもしれない、と。
「あたしが部活に顔出すようになったって、この前に話したよね?」
「そういえば言ってたな」
「何か、最近のあんたを見てると、自分が不安になってくるの。置いてけぼりにされてるんじゃないかなって」
「で、部活はどうなんだ?」
「そりゃ、ずっと幽霊部員だったのよ。先生にもこっぴどく注意されたし、正直、みんなの視線も冷たいわよ。下級生なんて、『あの人、誰?』の世界だもん」
「つ、辛くないのかよ……」
雄介の問いに、茜は「……まあね」と首肯する。
「やっぱ行くのやめようかな、って気持ちがあったわよ。でも、いっぺんにそういうのを受けた後だと、案外平気だな、って。多分ね、先生もみんなもすごく怒ってたんだけど、続けるか辞めるか、ってことは、あたしに決めさせようとしてたんだと思うよ。楽な方――辞めるか、苦しい方――残るをとるか、ってね。で、残ることを決めたってところまでが、今夜の話よ」
ひと通り語り終えると、茜は深呼吸をするようにゆっくりと息を吸ったり吐いたりしはじめた。それは、何かを言おうとして、それでも言えなくて、気持ちを何とか落ち着かせようとしているようにも見えた。
「結局、何が言いたいんだよ」
「だからね、もう一つのことについても、一歩を踏み出そうかな、って決意したの。今日はそれを伝えようと思って、お邪魔したの」
「何だよ、そのもう一つのことって……?」
茜が、静かに顔を上げる。鋭さは相変わらずであるが、時折見せる突き刺すような視線とは違う。真っ直ぐで、澄んだ印象を与える目だった。
「あたしは赤堀雄介、あなたのことをもっとよく知りたい。遠くから、自分の思い込みだけで見てきた赤堀雄介じゃない、ナマのあなたを知りたい」
「ちょ、ちょっと待て! 何でそんなことを……。よ、よりにもよって今日の夕方に、先輩が言ってきたのと同じような台詞を言ってくれるんだよ!」
「先輩と、今日の夕方?」
しまった。そう思って雄介は慌てて自分の口をふさいだ。しかし、もうすでに遅い。気づいたときには再び襟首を締め上げられてしまっていた。
もうすでに茜は、人殺しでもしそうなすごい形相で雄介をにらみ、襟首を掴む腕の力も先程よりも増していたのである。
「あんたはあの先輩と、今日、どこで、何していたの? 正直に言ってくれないかしら」
脅迫まがいな台詞を吐きながら迫る茜を何とかなだめた後、雄介は今日の夕方のこと――沙苗とのデート(であると信じたい時間であった)の顛末を素直に、事実だけを伝えた。
「……じゃあ、あんたはあたしと先輩、どっちが良い? どっちをもっと知りたい?」
茜が再び食い下がってくる。
「正直、先を越されたのはむかつくけど、でも、向こうもあんたを信じて、心配して色々と世話を焼いてくれてたのを聞いたら安心したわ。嫌いじゃないよ。そんな人を私は悪くは言いたくないわ。やっぱり、正々堂々と勝ちたい」
茜の言葉には、少しばかりの不満はあったが、沙苗に対する憎悪や嫌悪の気持ちは感じられなかった。
しかし、その思いが本物であるほど、雄介を決断出来ない状況へと追い込んでいくのもまた事実であった。
「ねえ、あんたは一体どっちなの?」
「わかんねえよ……。突然すぎるし」
結局、茜の問いに雄介は答えることが出来なかった。
その後、下着泥棒の事件はというと、何ともあっけない結末を迎えた。次の日の体育の授業の時、タイミングが悪いというか、良いというか、犯人が四回目の標的として雄介達の学校へと侵入したところを、教員に発見されて取り押さえられたのだ。
では、肝心のブラ盗難はどうなったのか? これも、学校に復帰してきた沙織の機転で犯人が猫であることが判明した。学校のすぐ近所にある、猫が住処にしている所を捜索した結果、桂子や明里たちのブラも発見された。もっとも「どさくさに紛れて見るな、このすけべ!」と茜や桂子から殴られたことを考えると複雑な気分ではあるが。
ともあれ、雄介の疑いも晴れ、これで一件落着としたいところだが、少年にとっては問題はまだ終わっていないのだ。
「あの、これは一体どういう展開なんですかね?」
終業式が間近になった日の昼放課、雄介は校舎裏で二人の少女――沙苗と茜に詰め寄られていたのだった。
「夏休みになる前に、やっぱりきちんと返事をもらわないと。私と長谷川さん、どっちにするのかをね」
「当然、あんたはあたしを選ぶよね?」
と押し売りのような態度で問う茜。対して沙苗は、余裕綽々の態度で、
「夏休みも図書当番があるけど、それが終わった後にでも、勉強を教えてあげるわよ? 何なら、家にお邪魔して教えてあげても良いわよ」
と誘うように語りかける。
「な! それ反則だろ。家にまでなんてダメに決まってるだろ。上級生のクセに、節度を知らねえのか」
「あら、それじゃ私が彼に何かするみたいじゃない? そんな飛躍した発想をするあなたと違って、清い交際をするに決まってるじゃない」
沙苗は含み笑いを浮かべ茜の発言を制する。その態度に茜は「くっ……」と歯がみする。
唸り声が聞こえてきそうな強面で上級生にメンチを切る茜、それを涼しげな顔で見返している沙苗。見た目は対照的であるが、
「で、さっきから黙ってるけど、あんたはどっちなの?」
「……あの、そんなにすぐには返事ができないです」
二人は少年の返事に対して怒るかのように見えた。しかし、返ってきた言葉は、彼の予想だにしないものだった。
「ま、そんな返事だと思ってたけどさ」
「やっぱりね。赤堀君のことだから返事はできないと思ってたわ」
二人のあっけらかんとした物言いを聞き、雄介はかえって嫌な予感に駆られた。
「先輩、なら夏休み初日から八月三十一日まで、計画決めておかないとですね」
「そうね。一週間交代でどうかしら?」
「いやいや、ここは日曜休みで三日間ずつが公平じゃないですかね? 先輩の提案を受け入れてあげたんですから、今度はあたしの条件を受けてくれないと」
「二人とも何の話を?」
「そんなの、あんたの所有権に決まってるでしょ?」
「赤堀君がはっきりと答えを出さなかったら、抜け駆け無しに順番で君とデート……、じゃなくて、アプローチ。……そう、赤堀君にたいしてアプローチしていくことにしてたのよ。そのうえで、君に考えてもらおうかな、って」
沙苗は、どこか取り繕うように言葉を訂正しながら事情を説明する。だが、女心に疎い雄介でも、本音は訂正する前の言葉にあることは想像できる。
だが、問題はそれが恋人同士がする、甘いひとときを過ごす時間ではないことだ。
沙苗と茜。共に雄介にとっては気になる異性ではある。だが、この二人を相手に、最終的に一人を選ぶことを前提にして、交互にデートをするとなればどう考えても修羅場になる。その間、事実上の二股をしているわけだ。選ばれなかった側は、相当に怒るだろう。
「言っておくけど、あんたに拒否権なんて無いわよ。この取り決めだって、納得いかないけど敢えて先輩の提案を飲んだだけなんだからね」
茜は心底怒っているということがはっきりと分かる調子で狼狽える雄介に念を押した。
彼女の言葉に、雄介は空を見上げた。そして、優柔不断というのが時にのっぴきならない状況を生むのだということを身に染みて感じるのだった。
しかし見上げた空は、そんな彼の心とは裏腹に青々と晴れ渡っていたのであった。
赤堀雄介のエピソードは以上です。次回からは、最後の人物のエピソードになります。
次回からは、不定期の更新となります。更新時刻は昼12時を予定しています。
差し支えなければ、このサイトに掲載されている別作品『パッション』シリーズとも、
気になったところや、感想をいただけると幸いです。




