5.デート
翌日の放課後、雄介は沙苗から指定された場所――駅前で、彼女が来るのを待っていた。
授業が終わったあと、すぐに帰宅して向かったのは良いが、やはり早く来すぎたようにも感じた。駅前広場の時計を見ると、時刻は午後五時二十分を指している。約束の六時までにはまだまだたっぷりと時間がある。
少しばかり奇妙な経緯ではあるが、これが雄介にとって人生で初めてのデートである。気がはやってしまうのも無理はない。
周りを見やると、大学生ぐらいのカップルが談笑していたり、腕を組んで歩く姿を何組も見ることが出来る。彼らは、人が大勢いるにも関わらず、まるで周りには誰もいないかのように完全に二人だけの世界を作ってしまっている。それは、見ているこちらが恥ずかしくなってしまうほどだ。学校にも、何組も男女のカップルが存在するのだが、年齢を重ねている分、彼らの方がいちゃつき方は一枚も二枚も上をいっている。
まったく女っ気がなかった時期にはそういう光景は腹立たしかったが、今ではそんな嫉妬が混じった気持ちではなく、奇妙なほど現実感を持ったものに感じられた。
――先輩はどんな服を着てくるのだろうか。
――先輩とどんなところに行くのだろうか。
色々な関心が頭に浮かび、思考が徐々に鈍っていくような感覚に襲われる。
雄介が悶々としている間に、時間はあっという間に過ぎ去っていく。
それからしばらく経って、周囲のカップルも大方がそれぞれのデートスポットへ繰り出していった頃である。
「ごめんね。待たせちゃった?」
聞き慣れた声を耳にして、雄介の意識は内側から外の世界へと戻っていく。
声の主は間違いなく沙苗だ。
彼は顔を上げて、眼鏡をかけた清楚な雰囲気を持つ彼女の姿を捜した。
しかし、彼の目の前には沙苗はいなかった。彼女の代わりに立っていたのは、毛先に向かって緩やかにウェーブが掛かった艶のある黒髪の女性だった。着ている服も、夏らしく開放的ではあるが、下品にならないように肩口はしっかりと覆われているものを採用している。
鼻筋もしっかりと通っており、控えめな服装をしているというのに、どことなく華やかさが滲み出てくるようであった。
そんな女性は、ジッと雄介の方を見つめてくる。
しかし、雄介は彼女のことを知らない。けれども、女性は自分から目を離してはくれないのであった。
雄介が、女性と目を合わせては気まずそうにして逸らす、という動作を何度か繰り返した後だった。
「はあ……、君って子はどうしてそんなに鈍いのかしらね?」
女性は盛大にため息を吐くと、携えていた鞄から眼鏡ケースを取り出して、その中に入っている大きな黒縁眼鏡を装着する。
髪型こそ違えど、そこに立っているのは紛れもなく橘沙苗その人だった。
「これで分かったでしょ?」
沙苗は悪戯っぽく笑みを浮かべる。
雄介は驚きのあまりつい声を上げてしまいそうになり、慌ててその口を両手で覆った。
「もう、気付くまでが遅過ぎよ! こっちが馬鹿みたいじゃないの」
沙苗は拗ねたように少しだけ頬をふくらませて、雄介に文句を言った。
「そんな事言っても、まるで別人じゃないですか……、そんなの反則ですよ」
雄介は、別人にしか思えない沙苗の端正な顔を、チラリと盗み見ては恥ずかしさから目をそらす、という動作を繰り返すことしかできない。正視するには刺激が強すぎるのである。
狼狽えている少年の挙動に沙苗は呆れかえってしまい、さっさとメガネをかけた。
「やっぱり、こっちの方が良いみたいね。じゃあ外も暑いし、少しお茶でも飲んでかない?」
「え? お、お茶ですか?」
一人でスタスタと歩いていく
「いらっしゃいませ」
沙苗に連れられて入ったのは、駅から少し離れた場所にある喫茶店だった。
店に入った二人を、大学生ぐらいの若い女性店員がテーブル席に案内する。
内装はレトロな雰囲気に統一されており、抑えめにされた照明もそれを上手く引き立たせている。天井では天吊り式の扇風機が回転しており、穏やかな風が店内を循環し、冷房とは違った自然な涼しさが生まれている。
二人掛けのテーブルへと案内された雄介と沙苗は、向かい合うように座っているが、その姿は好対照だ。リラックスしている沙苗に対して、雄介の方は体がカチコチに固まって、対面に座っている沙苗を見ることが出来ないでいた。
「お待たせしました。……ご注文はお決まりですか?」
冷水が入ったコップを運んできた店員が、そのまま注文を尋ねてくる。
「私はキリマンジャロを、……赤堀君は?」
「あの……俺も一緒ので良いです」
「ふーん、じゃあそれでお願いします」
店員は軽くお辞儀をすると、カウンターに注文を伝えに向かった。
「あの男の子、私達と歳は変わらないくらいよね? 高校生かな?」
「……そうかもしんないですね。ここの喫茶店、家族経営なんじゃないですか? さっきの女の人も若かったですし。あの二人は姉弟かも」
雄介は冷水を一口飲む。
「あら? 赤堀君は読みが甘いわね。ほら、あそこ」
逆に沙苗は彼の解釈に待ったをかけ、さりげなく人差し指でカウンター席を指し示す。彼女の指し示す方向に目線を送っていくと、二人が作業の合間に親しげに談笑する姿が見える。
「あの二人に何か特別なことでもあるんですか? 普通に話してるようにも見えるんですが」
「はぁ……。想像はしてたけど赤堀君って、男女の心の機微に疎いのね」
沙苗は軽くため息を吐くと、雄介と同じように冷水を一口飲み、対面の彼を見つめ直す。
「君と付き合うことになる女の子は苦労しそうね……」
見つめる早苗の目には、少しだけ怒りの色が混じっているようにも見えた。
雄介は頬杖をつきながら、気まずそうに頬を人差し指で掻いた。
その後、テーブルに運んでこられたコーヒーをすすりながら、二人は時間を潰した。
*
「先輩、どこに行くんですか?」
「いいから、ついてきなさい」
早足でスタスタと歩いていく沙苗に、
喫茶店を出た二人は、そのまま手を繋ぐでもなく、また離れて歩くでもなく、微妙な距離感を保ったまま駅前を通り過ぎていく。やがて二人は、駅からほど遠く離れた場所にある、小さな公園にたどり着いた。
あたりは夕暮れに染まりつつあり、公園に設置された滑り台、ジャングルジム、ブランコなどの遊具を、傾いた陽が照らす。地面には間延びしたシルエットが浮かび上がり、二人の人影を覆い尽くしてしまう。
沙苗はブランコに腰をかけると、地に着いてる両足で揺すりながら、傾きかけている夕空を眺めている。
「昨日はごめんなさい……」
顔を突然に向けて話しかけてきた茜に、雄介はドキリと心臓を弾ませる。
「昨日って、図書室のこと……、じゃなくて指導室でのことですか?」
沙苗はコクリと頷く。
「噂が三年生の教室まで流れてきて、不安になったの。何かの間違いじゃないかって」
沙苗は気まずそうに、言い終える前に顔を逸らせてしまう。
「でも、指導室の前まで来たときに、もし君と会ったりしたらどうしようって思って、引き返そうとしたの。そうしたら赤堀君が出てきて……」
「……俺が、先輩に失望するんじゃないか、と思って、声をかけられなくなった」
沙苗は頷く。
「それ以前に、軽はずみだったのは確かよ。本当だったら、まだ二年生しか知らないはずなのに、私があの場に来ていたら赤堀君のことが噂で広まっている、てことを言ってるようなものだもの。赤堀君をさらに追い込むことにも気付かないなんて、本当にごめんね」
沙苗は深く頭を下げると、今度は胸を張るように背筋を伸ばして、ジッとまっすぐに雄介を見つめた。
「だから、今日こうして二人でいるのは、ちゃんと自分の思いを言うため、それと、もう一つのことを君に伝えるため」
真剣な眼差しで語る沙苗に、雄介は当惑してしまう。
そもそも、昨日のことについても、沙苗に謝られるようなことはないし、
「私は、赤堀君のことを信じてる。君はそんなことをするような子じゃないわ。付き合いは短くても、それは信じられる」
「沙苗先輩……」
「もちろん、君がエッチな子だってことは知ってのうえで言っているわよ」
感激の気持ちを打ち消すような沙苗の発言に、雄介はずっこけそうになった。
「だって赤堀君ってば、私の顔よりも胸をよく見てたじゃない。そういうの、女の子にはすぐにバレちゃうわよ。ちゃんと女の子は顔を見てあげないと嫌われちゃうよ」
雄介はバツが悪そうにあたりをキョロキョロと見渡してしまう。そう、自分はそのジロジロと見ていた場所に、あろうことか顔を埋めてしまったのである。
「安心して、胸をジロジロ見られるのは慣れっこだから。さすがに不可抗力とはいえ、胸に顔を埋められちゃったのは、あれが初めてだけど……。ねえ? 気持ちは……、良かった?」
「か、からかわないで下さいよ。先輩、なんか今日は意地悪ですよ」
雄介はさすがに少し怒ったような調子で沙苗に抗議する。
「でも、ここからは真面目な話よ。赤堀君、春に君と知り合ってから、もう三ヶ月になろうとしているよね?」
「ええ、まあそうですね」
「学年も違うし、図書委員でしか君と接することはできないでいるけど、もうすぐ夏休みになって、そうすると全然君と会えなくなっちゃうよね……」
それはそうですよね。という言葉を、少年は発することができなかった。明確な理由はわからないが、それは言ってはいけないことのように感じたからだった。
「ねえ赤堀君、私はね、君のことをもっともっと、よく知りたいと思っているの」
沙苗が真剣な眼差しを向けてくる。その時ばかりは、雄介も沙苗の顔から目を移すことが出来なくなっていた。
「私は三年生で受験もあるから、なかなか時間が取れないんじゃないか、て思うかもしれないけど、時間なら心配ないわよ。……ダメ、かな?」
先程とは逆に、今度はごまかすということが許されない。恋愛事については疎い雄介であったが、彼女の言葉が真剣なものであることは理解できる。だが、異性から想いを伝えられたことがない雄介には、その次の言葉がどうしても出てこないのだ。
「あの、何て言うか、どう返事して良いか分からないんです。何で沙苗先輩みたいな人が、俺にそんなこというのか……」
「……そっか」
沙苗は俯いて軽く息を吐くと、いつものような穏やかな顔を少年に向ける。
「でも、今の話はちょっと考えていてね。また今度、終業式前にでも返事を聞きたいわ」
終業式までに。沙苗はそう告げた。だが、それはあまり猶予がない期間であることに、少年は気づいてしまったのだった。
次回の更新は、1月5日12時を予定しています。




