3.気になる同級生
「おっはよー、赤堀くん」
朝のHR前の教室。自分の席についてボーッとしていた雄介に、隣の席の真帆はいつもの脳天気な口調で挨拶をした。
「……おはよう」
雄介は半分寝たような張りのない声で挨拶を返すと、眠気を紛らわすように深呼吸をする。
昨日の出来事が一日中頭から離れなかったため、ほとんど眠ることが出来なかった。
真帆は無造作に通学バックを床に置くと、まるで寝起きの時のように目一杯に伸びをしてから席につく。しかし着席するなり、今度は行儀悪くあくびをして、腕枕を作って机に突っ伏してしまった。
「今日も暑いよね~。私、昨日も熱帯夜で全然寝られなかったんだぁ」
顔だけを雄介の方に向けて話しかける真帆を、雄介は意識的に見ないようにしている。
しかし真帆はジーっと同じクラスの男子生徒――雄介を見ている。まるで無視するなと抗議しているようである。
人差し指で背中を何度もつつかれるような視線に負け、雄介は顔を少しだけ彼女の方へと向ける。
「……そうなのか? だったらエアコンつけて寝ればいいじゃねえか」
「だめだめ。あたしの部屋、冷房ついてないんだ。だから夏は最悪……。おまけに私、汗っかきだから朝起きたら汗でパジャマもベッドもベタベタなんだから。今日だって朝シャンしてきたんだよ」
彼女の明け透けな物言いに、雄介は思わず噎せ返ってしまった。
「……あのさ、あんまり他人に自分の私生活のことを話すなって」
「えー? いつも友達とこういう話をしてるよ。ほら、コミニュケーションってやつ?」
「できるか! 何がコミュニケーションだよ。へ、返事に困る話題を振られて答えられるわけないだろ。それに今、言い間違えただろ?」
「ん~、そうかもね。でも、こういう話題に乗れないと駄目だよ。赤堀君、女の子と話したことないでしょ?」
「そんなわけあるかよ。平沢みたいにこういう話振ってくるのは経験ないってだけだよ」
「初めてかぁ、つれないなあ。まあ良いや、HRになったら起こしてね。おやすみ」
突っぱねるような雄介の言葉もさして気にすることなく、真帆はそのまま居眠りに入ってしまった。
呆然とする雄介の目の前で、幸せそうな顔で、真帆は眠りについてしまった。
「おい、平沢? おーい? 本当に寝てんのかよ。ちょっと早すぎだろ?」
何度か声をかけるが、返事はない。寝ると宣言してからものの数秒の世界である。
雄介は呆れて盛大にため息を吐いてしまった。見事なまでに会話が成立しない。挙げ句の果てに、言いたいことだけ言ってさっさと居眠りである。
こんな調子であるから、雄介にとって同級生の異性と会話をするのは、言葉が通じない外国人と会話しているようなものに思えるのである。一方的に突っかかる、人の話を聞かない、返答に困る話題を振ってくる。おまけに文句を言っても平気な顔でいるのである。
「本当に、沙苗先輩みたいな人が珍しいのかもな」
雄介がボソリとつぶやいたとき、教室の引き戸が開く音が聞こえた。教室の入り口に目をやると、彼がよく知っている少女――茜が入ってくるのが見えた。
――厄介なのがまた来た。
これが雄介の心境であった。しかも良くないことにその厄介に思っている相手と目が合ってしまったのである。
茜は自分の席を素通りし、雄介の前の席に腰掛ける。
茜は座ったまま、背もたれに肘をかけて、スヤスヤと寝息を立てている真帆をじっと見ているだけであった。特にすぐ後ろの席の雄介に話しかけるわけでもなく、である。
すぐ近くに三人の男女が集まってるというのに、その空間にあるのは沈黙の世界である。無防備に寝る真帆がたてる寝息、校庭の樹に生い茂った葉が風に揺られることによって生まれるざわめきだけが時折、その空間にBGMとして流れている。
「……そこ、長谷川の席じゃないだろ」
「前野君が来たらちゃんと外すわよ」
会話終了。
ものの二言で終わってしまう話題のせいで、場の空気がさらに重くなってしまった。
「そう言えば、今日は随分と早いんだな、長谷川」
「久々に朝練に、っていうか部活動に顔出したからね」
「そうか、また始めることにしたんだな。バスケ」
「……あたし、剣道部なんだけど」
一呼吸の間が空いて返された言葉には、少し怒りの色が混じっていた。
「そ、そうだったか?」
「バスケ部は桂子と明里。ていうか、去年も同じクラスなのに、あの二人と混同してるってのはどういうこと?」
茜に横目でジロリと睨まれ、雄介は恥ずかしさと気まずさから逃れようと窓から校庭を眺める。
「まあいいわ。それにしても幸せそうに寝てるわよね? 平沢さん」
茜の声に、雄介は首を九十度ぐらい右肩の方へ回して、隣席の少女の寝顔を見る。どちらかというと、締まりのない顔、というふうに彼には感じられるが、このゆるい顔を可愛いと感じる人もいるのだろう。
「つーか、堂々と寝すぎだろ。ここは学校だぜ?」
「まあそうね。そのせいであんたは昨日、先生に怒られたんだっけ? あたしは、最初はあんたがセクハラでもしたのかと思ったわ」
茜は意地悪そうに目を細めて雄介を見る。明らかに挑発的な態度である。
「す、するわけないだろ! こっちは何とか平沢を起こそうとしたんだよ。大体、あんなエロい声を出すなんて考えられるか!?」
「まあ、赤堀にそんな度胸があるとは思ってないけどね」
明らかな上から目線の物言いに、雄介は少しムッとした。
「むひひひひ……、私ってば、赤堀君の初めての相手なっちゃったのね……」
真帆の発言|(寝言)に、教室がまるで冷蔵庫の中のように冷えていくのを感じた。それは、一瞬二人が呼吸することを忘れてしまう程の衝撃だった。
雄介は恐る恐る顔を茜の方へ向ける。
彼の視線の先には、獲物を矢で射殺すような目で睨み付けてくる少女がいる。
幽霊部員とはいえ剣道をやっていた影響であろうか、まばたき一つせずに見据えてくる視線に、雄介は思わずたじろいでしまう。
「何? 今の平沢さんの発言は一体どういう意味なのか、説明してもらえるかしら?」
その口調は質問ではなくもはや尋問と言えるものだった。
「ただの寝言です、それだけです!」
「ふーん、じゃあどうして初めての相手って言葉が出てくるのよ、ねえ?」
顔を突き出して、迫ってくる茜の顔。非が完全に雄介にあると思っている素振りである。
「何だよ、今日は随分と絡んでくるじゃないか。機嫌でも悪いのか?」
身を乗り出していた茜は「え?」と声を漏らした後、ほんの少しの間、魂が抜けたように表情を固まらせてしまった。
「べ、べつに! あ、あんた、最近楽しそうな顔してるからさ、浮ついてるからなのかなって思っただけだし」
狼狽えるように話す彼女の口から出た「楽しそう」という言葉だけが、雄介の頭から消えずに何度も聞こえてくる。
もし彼女の言うとおり、自分が楽しそうにしているとしたのなら、原因は一体どこにあるのだろうか。
「まあな、最近は自分でもよく分からないが毎日が楽しいぜ。夏休みになって欲しくないっていうのかな?」
先程の態度への意趣返しの意味もこめて、からかうように戯けた口調で答える。
しかし、反応を見ようとして覗き込んだ茜の顔は、雄介には予想も出来ないほど悔しさに歪んでいた。何かを押し殺しているような、そんな苦しそうな顔である。
「ふん、にやけてるんじゃないわよ! どうせあんたなんか、絶対に釣り合うわけないんだからね! せいぜい夢でも見てなさい!」
そして茜は、意味もなく怒り出すと捨て台詞を吐いて教室から居なくなってしまった。




