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サマー・メモリーズ  作者: 遠藤賢治
第三部 赤堀雄介の場合
11/15

2.気になる先輩

 昼休み。

 図書委員の当番となっていた雄介は足早に図書室に向かっていった。図書室に入ると、もう既に当番となっている女子生徒が受付に腰掛けていた。

「遅いわよ、赤堀君」

 女子生徒は雄介を見つけるや、野暮ったい太縁眼鏡の奥にある瞳をキリッと光らせ、女性にしては良く通る声で彼を注意した。

「橘先輩が早すぎなんですよ。大体、三年生の教室は一階じゃないですか。なんで俺よりも早いんですか……」

 雄介はしぶしぶ女子生徒の隣に腰掛ける。

「無駄口は叩かないの。それと、名字で呼ぶのはやめてって言ったじゃない。妹が君と同じ学年にいるんだから、沙苗先輩って言わないと紛らわしいでしょ?」

「そ、そうですか? でも、下の名前で呼ぶほうが失礼なんじゃ……」

「私は別に気にしないわよ。……はい、やり直し」

「じゃ、じゃあ……、沙苗先輩」

「よろしい。これからもそうやって呼んでね」

 沙苗は満足そうに笑みを浮かべ、雄介にウィンクする。そんな彼女の仕草が、小さい子どもを教育するお姉さんのように、雄介には見えた。

 しばらくして昼食を終えた生徒達が図書室にやってきた。とはいっても、保健室に次いで生徒が余り寄りつかない場所だ。やってくる生徒もほとんど代わり映えしない。本の虫か、あるいは昼休みの教室の騒がしい雰囲気が苦手な生徒、受験を控えて自習に来る三年生ぐらいである。

 大分立て付けが悪くなっている図書室の入り口が、キイキイ音を立てる。

 その音を伴って、一人の女子生徒が入ってきた。

「……橘?」

 図書室に入ってきた女子生徒は、雄介の声に反応して彼に顔を向ける。

「あら、珍しいわね? 私が当番の時にここに来るなんて」

「うん。ちょっと、調べ物があるから……」

 沙織は、自分の姉と雄介を何度か交互に見る。

 クスリと、含みのある笑みを一度だけ雄介に向けた意外は、特に顔色を変えることもなくそのまま図書室の奥へと行ってしまった。

「橘?」

「何なのかしら? あの子……」

 沙苗は妹の挙動を少し怪しむ。

 それからしばらくして、沙織は二冊の本を持って受付にやってきた。

「貸りるのね?」

 こくりと沙織は頷くと、手に持っていた本を長机に置く。

「なっ!?」

 置かれた本のタイトルを見て、沙苗は驚きのあまり思わず声を発してしまった。妹が持ってきた本、それは有名なフランスの女流作家が書いた恋愛小説だった。もう一冊は、イギリスの女流作家三姉妹の長女が書いた、これもまた有名な恋愛小説だった。もちろん、読書をよくする沙苗は、どんな話かは良く知っている。

 あてつけのつもりなのか。

 顔を上げて妹を睨むように見るが、沙織は相変わらず何かを言いたそうな含みのある笑みを浮かべてこちらを見ている。

「へ、返却期限はしっかりと守ってね……」

 口元を引きつらせながら、無理矢理にでもいつもどおりの事務的な発言に終始する。

 対して、橘妹は本を受け取ると、二人に目配せをして、いつものポーカーフェイスの戻って図書室を退室していった。

「……なんか、笑ってませんでした? 俺、橘が笑ったところ、初めて見たような……」

「……赤堀君」

 雄介が「は、はい?」と、上擦った声で情けなく返事をする。

「妹には気をつけて」

「…………へ?」

 沙苗の突拍子もない発言に、雄介はたちまちのうちに思考停止状態に陥る。

「な、何ですか急に? き、気をつけろって。突然に言うからビックリしましたよ」

「と、とにかくよ! いい? あの娘には興味を持ったら駄目なんだから! 少なくとも、赤堀君だけは絶対に駄目!!」

 言葉の意味を理解しかねている雄介の両肩を、沙苗はガシッと掴み、取り乱したように前後に激しく揺する。

 当の揺すられている雄介本人は、何が何だか全く分からない。分かるのは、普段落ち着きはらっている沙苗が、妙に狼狽えていることだけだ。もっとも、取り乱しているおかげで普段なら、指一本でさえ触れることができないような、憧れの先輩に堂々と触られているという嬉しさも、心の片隅にはあったのだが。

 けれども、いつまでも幸せに浸っているわけにはいかない。

「先輩、先輩、ここは図書室……」

 雄介は、沙苗に対してだけ聞こえるような、小さな声で何度も呼びかけた。二度、三度と呼びかけて、ようやく彼女も冷静さを取り戻したようで、少しだけ恥ずかしそうに周囲に笑顔を振りまいた。


        *


 放課後。

 雄介と沙苗は、返却された図書を指定の書架に戻す作業を黙々と行っていた。見た目以上に重量がある本を一杯に持って図書室を巡回するのは想像以上に重労働である。おまけにこの学校の図書室は公立校にしては広い。そのため当番の時、本を持つのは専ら男子である雄介の仕事になっている。

 今日は返却された図書が通常よりも多かったこともあり、もう何度も返却台と書架を行き来している。それが終了した後も、毎日の蔵書の点検や、日誌の記入など、地味ながらもやることはたくさんあるのであった。

 作業をこなしながら、雄介は自分の顎に届きそうなほどの本を持ちながら書架に本を戻している沙苗を眺めていた。

 普段クラスで見ている姦しいギャル系の女子とも、田中や渡辺のような勝ち気なタイプとも違う。どこか落ち着いた雰囲気を持った大人の女性であるように思える。

 ロングヘアを三つ編みにして左肩に垂らし、今時とは言い難い黒縁眼鏡を掛けた出で立ちが雄介にそういう印象を与えていたのであるが、今年図書委員になって、仕事がいまいち分からなかった彼に、世話役を買って出て色々と仕事を教えてくれたのは、他ならぬ沙苗だった。そういう経緯もあって少年の、彼女に対する憧れにも煮たイメージは作られていった。

 最初はくじ引きで任された図書委員という仕事を、イヤイヤながらこなしていた雄介であったが、今はこうして沙苗と過ごす放課後の時間が秘かな楽しみになっている。

「赤堀君。ボーっとしてちゃ駄目よ」

 雄介が惚けていたのを察知した沙苗は、少し顔を怖くして注意してくる。

 おとなしそうに見えて、怠けやサボりにたいしてハッキリと注意してくるあたりも、何となくしっかりしたお姉さん然としていて、怒られているのに顔が自然とゆるんでしまう。やはり家庭生活でも、妹である沙織をこんな感じで注意しているのだろうか。

 それに、これは雄介個人の基準ではあるが、怒った沙苗もなかなか可愛い。ダサい眼鏡から覗く、優しい感じのする目を必死に三角にして怒る仕草も、一回り背の高い雄介を見上げるような形で見つめてくる姿も。

「あ、ごめんなさい先輩」

 本当はもう少しだけ視線を感じていたいと思っていた雄介は、名残惜しそうに沙苗に本を数冊手渡した。

 本に囲まれた薄暗い空間に、二人だけで閉じこめられているような静寂の中、黙々と作業は続けられていく。気を抜いてしまえば、そのまま寝てしまうような、心地のよい時間が流れていく。

 そんな幸福な時間をかき消すかのように、少年の心臓の鼓動が高まっていく。沙苗が高い段に本を戻そうとしているとき、彼女を見つめる雄介の視界に、あるものが飛び込んできたからである。

 少年が見てしまったもの、それは大きく開いた夏服の袖から、一瞬だけ姿を見せた沙苗の脇の下だった。

 シャツなどによって遮られることのない素肌の脇と、制服のすぐ下にインナーとして身につけている淡いピンクの肌着が作る、一瞬の世界が少年の心を激しくかき乱す。

 事故だとも言える。彼女にしてみれば、ごく自然な動作であった。誰が見ても普通の動きであった。だが、それ故に見てはいけないものを見てしまったような罪悪感とその裏返しの好奇心が少年の内に生まれたのである。

 何とか心の乱れを静めようと沙苗を視界から追い出し、何度も深呼吸をする。しかし、皮肉なことに必死で忘れようとすればするほど、消そうとすればするほど、却ってその対象はより一層大きなものとなっていくのである。

「コラ! また余所見してる」

 必死で煩悩を追い払おうとして行っていた瞑想は、当事者である沙苗によって遮られた。

 沙苗はまっすぐに雄介を見つめてくる。当然、直視することができない雄介は抱えた本に向けて視線を落とし、詰まりながら「ごめんなさい」と言うしかできなかった。

「……赤堀君、どうしたの? ちょっと変よ。体調でも悪いの?」

 沙苗は歩み寄ると、雄介の顔を下から見上げるようにのぞき込む。

 端整な造りをしている彼女の顔が雄介に急接近してくる。それだけで少年の体温は上昇し、より頭の回転を阻害してしまう。

「い、いや、あの、風邪とかではないんで、ただ、ちょっとのぼせたというか……、だから、気にしないでください。そ、それより、早く終わらせて帰りましょう、ね?」

「本当に? 何か汗かいてるわよ」

 沙苗は信じていない様子で、さらに雄介の顔を覗き込む。

「だ、大丈夫ですって。熱中症とかではなく、一過性の体温の上昇というか、何というか」

 雄介の言い訳はしどろもどろで要領を得ない。もちろん、沙苗に正確に伝わるということはあり得ないのだから、彼女が引き下がることもまず無いだろう。

 沙苗の顔がまた雄介に近づく。そのことによって彼の体は金縛りにあったようにまったく動けなくなってしまった。

 そんな少年の額に、柔らかいものが当てられる。

「そんなに顔が青いわけじゃないけど、あまり不摂生はしちゃ駄目よ。夏に体調崩すと長引くんだから」

 沙苗のしっとりと湿り気を帯びた、柔らかな手の感触が、雄介の額に置かれたのだ。

 その独特の弾力を持つ、すべすべした感触は、少年の心をさらに昂ぶらせる事になったのだった。

 雄介は、心配をしてくれている沙苗の気遣いをありがたく思う一方で、彼女をより近くで感じられることにささやかな幸せを感じていたのだった。

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