依り代
富士夫が本音を漏らしてから2日後の朝、容体が急変した。
八重子はいつものように花束を持って病院に現れた。
N-220は病院のロビーまで降りて、富士夫の危篤を知らせた。
八重子は真っ青になり、花束を落とした。
「あなた!あなた!」
病室に着くと八重子は必死に富士夫の下へ行こうとするも、医師が処置中のため、近づくことを許されなかった。
「八重子さん、落ち着いてください」
看護師が八重子を一旦別室へと連れ出していく。
N-220は留まって担当患者である富士夫の容態を確認する。
富士夫の荒かった呼吸はだいぶ落ち着きを見せていたが、
「今日が山だろう…」
と医師は重く呟いた。
富士夫の容態が安定したため、八重子は病室に入ることを許された。
八重子は意識のない夫の手をギュッと握り締め、
「あなた、私を独りにしないで…ずっと、一緒にいてくれるって言ったじゃない…退院したら、沖縄に行くって約束でしょう?」
ずっと語りかけていた。
「八重子サン、少シ休ンデ…」
あっという間に一日は過ぎた。
食事もとらず、富士夫の下から離れない八重子にN-220はコップ一杯の水を持ってきて声を掛けた。
八重子は泣き疲れた顔を上げて、小さく頷いて水を受け取って飲んだ。
すると、やっと『ありがとう』と言ってくれた。
しかし、すぐにまた富士夫の手を握って離さない。
最期の瞬間を見届けるために。
夕日の赤い光が病室に差し込んできた。
その時、富士夫の手が八重子の手を握り返してきた。
「あなた!私よ、わかる?」
八重子が呼びかけると、富士夫はうっすら目を開け、
『…すまん…』
と、一言、酸素マスクの下で呟いた。
それが最後の力だった。
富士夫の心拍するが一気に急降下し、二度と目を覚まさなかった。
「ご臨終です」
「あ、あ、あ、あなた…」
医師と看護師がしばし席を外した。
八重子は富士夫の胸の上に泣き崩れた。
N-220はその後ろ姿をじっと見つめていた。
差し込んでくる夕日の赤い光が一際強くなった。
日が沈む直前の光だ。
その光が人の形をとり、八重子の隣に立った。
『富士夫サン?』
断定できないが、推定した。
人の形をとった光がN-220の方を向いた。
『八重子を頼む…』
言い残すように富士夫の声が聞こえ、人の形の光は日没とともに消失した。
薄暗い病室で泣き続けている八重子を見て、N-220は胸が苦しくなる感覚に襲われた。