逝く者の心残り
「また明日来ますね…」
「ああ、待ってるよ…」
数時間の面会を終え、八重子が帰り支度を始める。
その姿を名残惜しそうに見つめる富士夫。
「八重子サン、オ気ヲツケテ」
「ありがとう、ロボットのお兄ちゃん」
N-220に手を振りながら、八重子は病室を遠ざかっていく。
八重子の姿見えなくなると、いつもの咳が始まる。
「ゴホ、ゴホゴホ!!」
「富士夫サン」
N-220は富士夫に駆け寄ると、背中をさすって楽な姿勢を取らせる。
咳が落ち着いたところで、薬を吸引させる。
咳が静まり、富士夫は『ありがとう』と言って目を閉じ、そのまま眠りに落ちる。
空元気だったのだ。
妻を安心させるための。
N-220は富士夫を寝かせると、医師と看護師を呼んた。
念のための検査が始まり、N-220は手が空いた。
他の患者の世話に回されるかと思ったが、最新型の介護ロボット多数いて、N-220は待機状態となってしまった。
「ずっと働きづめだったんでしょう?たまには休んでていいわよ」
若い看護師が言った。
N-220はロボットだ。
『休む』と言う命令は人間的で困ったが、『はい』と一応返答し、病室を離れた。
充電は十分。
カルテなどのデータも更新済み。
ボディのメンテナンスも数日前に済ませたばかり。
やることがない。
『病院内ヲ回ッテ暇を潰ソウ』
人間的な休憩の取り方を思いつき、病院内を見回ることにした。
忙しそうな医師と看護師。
患者の世話を焼く同類の介護ロボット達を不思議な気持ちが沸いた。
『自分ハ何モシナクテイイノダロウカ?』
渡り廊下を歩いているとき、自然と窓の外に目が向いた。
病院の敷地内にひっそりとある庭園。
そこのベンチに座る女性に気づいてN-220は足を止めた。
先ほど帰った八重子だった。
八重子は家に帰ってなどいなかった。
夫が入院している病棟をずっと外から眺めていた。
N-220はその姿を食い入るように見つめる。
時折、ハンカチを目に当て湿らせながら、ずっと、八重子は病棟を見ていた。
もうそこにしか彼女の生きる理由がないかのように。
夕方になって、八重子はようやく帰っていった。
N-220はトボトボと帰っていく八重子の後ろ姿をじっと見送った。
*
富士夫の意識が回復したのは夜8時頃だった。
N-220は点滴を取り換えていた。
その間、富士夫はカーテンを開けたままの窓から暗い夜空を見上げていた。
富士夫が何を考えているのか、N-220には自然とわかった。
妻、八重子のことだ。
「富士夫サン…」
N-220は自分から話しかけた。
八重子が病院の庭園に夕方までいたことを。
富士夫の口から大きな溜息が漏れた。
「家に帰っても誰もいないからな…」
富士夫が掠れた声で呟いた。
「ソレナラ病室ニズットイレバイイノニ…」
N-220は首を傾げた。
「そうだな…でも、それじゃ、俺が持たない…それをわかっているから、帰ったふりをするんだろう…」
そう言った富士夫の目から光るものが流れた。
「八重子を独りにしたくない。でも、俺はもうダメだ…もう八重子の下へ戻ることは叶わん…せめて、もう一度、八重子と沖縄の海を見に行きたかった…」
富士夫は本音を吐露して暗い空を見上げた。
N-220は富士夫の言葉を強く記憶した。