4 聖女の役目をきちんとまっとうなさってくださいませ
翌日、早々に宿を出たアリツェとクリスティーナは領館へと向かった。
「お前は、アリツェ!? 戻ってきたのか!」
門番に要件を告げると、館から血相を変えて初老の男が駆けつけてきた。子爵邸の筆頭執事だった。
「オーッホッホッホ! お久しぶりでございますわ。いつぞやは、わたくしをいない子扱いしてくださったそうですわね。お世話になったエマ様から聞いておりますわ」
エマ経由で聞いたこの男のアリツェへの言い草は、今でも覚えていた。いない娘扱いをした件について一言文句を言ってやりたかったが、今は私情をはさんでいる場合ではない。さっさとマルティンに会うために話をとおさなければならなかった。
「ふんっ、いまさら我が子爵家に何の用だ! 没落した様子を笑いにでも来たのか?」
執事は尊大な態度で言い捨てる。この男とは子爵邸にいたころからあまり折り合いがよかったとは言えない。もともと良い印象は持っていなかったが、再会してみても、アリツェの執事への評価は変わることはなかった。マルティンの権力をかさに着て威張り散らす小物。所詮はその程度の男なのだろう。
「いいえ、違いますわ。……ちょっと、お耳をよろしいかしら」
あまり近づきたくはなかったが、アリツェはぐっとこらえて執事に耳打ちをした。アリツェがこっそり世界再生教に宗旨替えをしたこと、国王からの指示でマルティンに会いに来たこと、アリツェが仲介して国王との関係を取り持つこと、などを。
「それは本当か!? わかった、すぐに旦那様との面会の手はずを整える。しばらく応接室で待っていなさい」
執事は態度を一変させ、慌てて子爵邸へと戻っていった。
あまりの変節ぶりにアリツェは苦笑を漏らしつつ、指示されたように応接室へと向かった。応接室は領館一階にある。
「随分とあっさり入れてもらえたけれど、あんたいったいあの執事に何を話したの?」
一連の流れを黙って見守っていたクリスティーナは、訳が分からないと言いたげにアリツェに向き直り、首をかしげた。
「うふふ、秘密ですわ」
アリツェは悪戯っぽくニコリと笑いかける。
「まっ! 失礼しちゃうわね」
クリスティーナはぷいっと横を向き、口を尖らせた。
「そのうちわかりますわ……。それはそうと、クリスティーナ様は精霊教の『聖女』でいらっしゃいますわよね」
「当り前じゃない。何よ、いまさら」
アリツェの問いに、クリスティーナは鼻を鳴らす。
「そのお役目、ゆめゆめ忘れることのなきよう、お伝えしておきますわ」
これから計画している世界再生教を通じたアリツェとマルティンとの共謀。その場面で、クリスティーナにアリツェたちを糾弾させることこそが、クリスティーナに手柄を立てさせるための作戦だ。なので、しっかりとクリスティーナにはアリツェの意図どおりに動いてもらいたかった。
「いったい何が言いたいの?」
「わたくしと子爵との間に何があろうと、精霊教の『聖女』としての行動をしっかりととっていただきたい。そう申し上げておりますわ」
この場ではっきりと理由を言うわけにもいかないので、アリツェは肝心な部分を濁しながら、なんとかクリスティーナを誘導しようと試みた。ここで『聖女』の義務を強調し、クリスティーナの心に刻んでおけば、きっとクリスティーナは正義感に駆られてアリツェたちを非難するはず。
「……意図がわからないわね」
クリスティーナは頭を振り、ため息をついた。
「その時になれば、お分かりになりますわ」
ドミニクにいいところを見せたいと意気込んでいるのだから、まず間違いなくクリスティーナはアリツェの望んだとおりの行動をしてくれるだろう。せっかく自分を殺してまで、表面上とはいえ嫌いなマルティンと共謀を図るように見せかけるのだ。これで失敗されたらたまらない。
(頼みますわよ、クリスティーナ様……)
通された応接室でしばらく待つと、不意にバンっと大きな音がし、勢い良く扉が開かれた。現れたのは、養父マルティンだった。
「アリツェ……! いまさらのこのこと」
渋面を浮かべ、マルティンはアリツェを睨んだ。
「オーッホッホッホ! お養父様、ごきげんよう。大変にお久しぶりでございますわ。わたくし、今はフェルディナント叔父様の元で暮らしておりますの」
アリツェはマルティンの視線を軽くかわし、ニコリと微笑んだ。
「風の噂で聞いていたが、真実だったか……。辺境伯に取り入るとは、この裏切り者めっ」
マルティンは声を落とし、ますます顔をゆがめた。
「あら、心外ですわ。いったいどちらが裏切り者なのかしら。わたくしを殺そうとしたあなたが、そのような世迷言を口になさるだなんて、わたくしおかしくておかしくて、お腹がよじれてしまいますわ」
アリツェは扇子で口元を覆いながら、けらけらと笑った。もちろん、悪役らしく演技ではあったが。
「……ケンカを売りに来たのか? 執事が言うには、何やら――」
「そうでございますわ! わたくし、お養父様を助けに来たんですの!」
アリツェはマルティンの言葉を遮り、声を大きく張り上げた。様子見、前哨戦はここまでだ。さっそく本題に入る。
「……本気か? 私がお前にした仕打ちを、お前は忘れられるのか?」
アリツェの言葉を、マルティンは信じられないといった表情で受け止めた。
「それはそれ、これはこれ、ですわ。少なくとも十歳まで育てていただいた恩はあります。それに……」
アリツェはじっとマルティンの瞳を見据えた。
「わたくし、世界再生教に改宗いたしましたの。ですので、お養父様のお力になりたいと思っておりますわ。わたくしが霊素持ちなのは、マリエ様のお話からご存じでいらっしゃるのでしょう?」
クックッとアリツェは含み笑いをする。悪女らしく、悪女らしく。アリツェは慣れない言動や笑い方に、何とかぼろが出ないよう細心の注意を払う。
「精霊術で我が一家を助けるのか?」
マルティンは訝しげな表情を浮かべた。
「お養父様が精霊術だなんて言葉を使うのは、よくありませんわ。魔術でございます。魔術!」
世界再生教徒を名乗るなら、精霊術ではなく魔術と呼ばなければいけない。
「ちょ、ちょっとあんた。さっきから何言っているの?」
アリツェの変貌ぶりに、隣に立つクリスティーナは面食らっている。
(さぁ、クリスティーナ様。そろそろ出番ですわよ)
アリツェは心の中でクリスティーナに呼び掛けた。心の声にクリスティーナが気付くはずもなかったが……。
「お養父様、こちらの方は精霊教の『聖女』様ですの。わたくしたちの敵ですわ。さっさと捕まえましょう」
アリツェはクリスティーナを指さし、「さあ、捕縛いたしましょう!」とマルティンに叫んだ。
「な、なんだと!?」
マルティンは血相を変えて、部屋を出ようとした。衛兵を呼ぶつもりなのだろう。
「ま、待ちなさい。あんた裏切るつもり!?」
突然の事態に、クリスティーナは目を丸くしてアリツェを見つめた。
「うふふ」
アリツェは余裕の表情で、ニコリとクリスティーナに笑いかけた。
「なんなのよっ! イェチュカ、ドチュカ、トゥチュカ! こいつらを拘束して!」
クリスティーナの叫んだ声に応じて、脇に控えていた三匹の子猫が動き出し、大量の霊素を放出した。
「きゃっ!」
「なんだ!?」
子猫の発した霊素は風属性だったらしく、空気の壁が身体を囲み、身動きがうまく取れない。
「ふんっ、あんたたちの悪だくみ、精霊教『聖女』のクリスティーナがしかと見届けたわ! さあ、このまま王都プラガまで連行するわよ!」
クリスティーナは大声で宣言すると、精霊術でアリツェとマルティンを浮かせ、領館を脱出した。領兵をかく乱するため、一匹の使い魔が殿を務め、結構な規模の『かまいたち』を放っている。
(しめしめ、うまいことクリスティーナが食いついたな)
作戦がうまくいったと、悠太は声を弾ませる。
(しかし、わざとやっているとはいえ、犯罪者まがいの扱いをされるのは心苦しいですわね)
罪人の連行のように、両手足を完全に精霊術で拘束されている。アリツェは自分の姿を見て、情けない気持ちがこみあげてきた。
(ま、我慢しようや。マリエの遺骨などの貴重品は、ルゥに安全な場所まで持って行ってもらっているから、没収の心配はないしな)
最初からクリスティーナに捕らわれる予定だったため、取られて困るものはルゥが事前に別の場所に保管している。アリツェに万が一があった場合は、そのまま辺境伯領のラディムの元に持っていくよう指示もしてあった。
「まったく、このちんちくりんの性悪女めっ! とうとう尻尾を出したわね!」
クリスティーナの叫び声が鬱陶しいが、アリツェは我慢した。今はクリスティーナのなすがままになる必要があった。花を持たせてやるために。