4 聖女様を苛め抜きますわ
ラディムに協力を取り付けた後、アリツェは自室に戻った。
「さて、嫌がらせと申しましても、いったい何をすればよろしいのでしょうか」
椅子に腰を掛け、アリツェはぶらぶらと足を揺らす。
(うーん、そうだなぁ……)
悠太は口をつぐみ、考え込んだ。
(こんな感じでどうだ?)
しばらく待つと、悠太はいくつか案を出した。
もっとどぎつい嫌がらせを提案してくるかと思ったが、悠太は今のアリツェにも実行できそうな程度の作戦を示した。いきなりではアリツェが対応できないと踏んだのだろう。
「わかりましたわ。気は進みませんが、致し方ありませんわね」
アリツェはため息をつきつつも、首肯した。
その日の午後、アリツェは屋敷の廊下を歩いていると、目の前からクリスティーナが歩いてくるのが目に入った。クリスティーナは何やら困惑した顔を浮かべている。
「あらごきげんよう、クリスティーナ様。どうかなさいましたの?」
「あっ、アリツェ! ちょうどよかった。これからフェイシアの国王陛下と会食の予定があるのですが、指定されたこの場所がわからなくて、困っていたのです」
そういって、クリスティーナは手に持つメモをアリツェに見せた。
アリツェはメモを覗き込み、描かれた地図を眺める。アリツェのよく知る、オーミュッツで一番の老舗のレストランだった。アリツェは道を教えようとしたところで、ふと思い立った。
(悠太様の案に、ちょっとした嘘を付いて恥をかかせるっていうものがありましたわね。これはちょうどよさそうですわ)
「あらあら、それは大変ですわね。どれどれ……。ああ、ここは、中央通りから少しわき道に入って――」
アリツェはクリスティーナに懇切丁寧にレストランの場所を教えた。地図に描かれたものとはまったく別のレストランを……。
「ありがとう! あなた、ちんちくりんなのに気が利くわね!」
クリスティーナはパッと笑顔を浮かべると、アリツェの腕を取って礼とも言えぬ礼を口にした。そのままクリスティーナは手を離すと、パタパタと廊下を駆けていった。
(……嘘をお教えしましたが、なぜだか全然、申し訳ないという気持ちが起きませんわね)
クリスティーナの後ろ姿を見遣りながら、アリツェは嘆息した。
(ありゃ天然で性悪だな……)
悠太も呆れた声を上げた。
翌朝、クリスティーナが顔を真っ赤にしてアリツェの部屋に怒鳴り込んできた。
「ちょっと、アリツェ! 教えてもらった場所、全然違ったんですけど!」
クリスティーナは、鼻息荒くアリツェに食って掛かる。
「オーッホッホッホ! あら、それは大変に失礼をいたしましたわ。ただ、クリスティーナ様のお持ちだったメモでははっきりとはわからなかったものでして。文句ならわたくしではなく、そのメモを持ち込んだ側近の方におっしゃってはいかがかしら?」
アリツェはチラリとクリスティーナに視線を向け、薄ら笑いを浮かべた。
「あら、私の下僕……もとい、供の者たちが粗相をしたと? まぁ、失礼しちゃうわね!」
アリツェの態度にカチンと来たのか、クリスティーナはますます興奮し、地団太を踏み始めた。
(あらあら、はしたない。それでも一国の王女ですの?)
アリツェは呆れた。
「わたくしこれから予定がありますの。ごめんあそばせ」
これ以上付き合っていても時間の無駄だとアリツェは思い、適当な理由をつけて部屋を出た。
「ムキーッ! 何よあの態度!」
アリツェの部屋の中で、クリスティーナは悔しそうに吠えていた。
(これで、嫌がらせにはなりましたでしょうか、悠太様?)
(なんかあの聖女様、結構神経が図太そうだから厄介かもしれないぞ)
(はぁ……、そうですか。面倒ですわね)
アリツェはまだこんな不毛なことを続けなければいけないかと思うと、がっくりと肩を落とした。
翌日のお昼前、アリツェは厨房に足を向けた。
「ちょっとよろしいかしら?」
アリツェは近くにいたメイドに声をかける。
「あら、アリツェお嬢様。どうされました?」
本来厨房にいるべきではない主家の娘がいるので、メイドは少し困った顔を浮かべて、首をかしげた。
「いえ、実はクリスティーナ様が人参をお嫌いだとおっしゃっていたのを耳にいたしまして。あらかじめのけておいて差し上げようかと思いましたの」
アリツェはまったくのでたらめを口にした。クリスティーナから食べ物の好き嫌いの話など、聞いたことはなかった。
「あらあら、お嬢様はお優しいですね。いいですわ、除いておきます」
アリツェとクリスティーナは同年代の少女同士だ。メイドたちから見れば、友人同士のほほえましい気づかいに見えるのだろう。
「ああ、結構ですわ。あなたも忙しいでしょう? わたくしがやっておきますわ」
アリツェ自身がやらなければ意味がなかった。何しろ、クリスティーナへの嫌がらせの一環なのだから。
「でも、お嬢様を厨房にお入れするだなんて、旦那様に叱られてしまいます」
厨房に主人一家が出入りするのは、使用人の領域を冒す意味でもあまり好ましい行為ではない。本来であれば避けるべき行為だった。
「黙っていれば大丈夫ですわ。さ、あなたは自分の仕事に戻りなさい」
だが、アリツェは強引に中に入り込み、メイドを追い払った。
(えっと、このお皿にこの粉を入れればいいのですわね?)
アリツェは懐から小さな便を取り出した。悠太から持ってくるようにと指示されたものだ。
(ああ、胡椒たっぷりだ。こいつは楽しみだな。ふっふっふ)
(悠太様、随分と楽しんでいらっしゃるのですわね)
(あぁ、クリスティーナの性格が悪いから、オレもあまり罪悪感は抱かなくなったよ)
アリツェは苦笑した。だが、悠太の言葉には同感だった。
瓶の中に詰め込まれている胡椒を、アリツェはえいやっと勢いよくクリスティーナのスープ皿に大量に振りかける。巻き上がる胡椒の煙に、アリツェは思わず顔をそむけた。これは、なかなかに強烈だ。ちょっと、自分では口にしたくない。
目的を済ますと、アリツェはそそくさと厨房を退散した。
食堂で辺境伯一家とヤゲルの主だった面々がそろい、昼食会が始まった。
穏やかな雰囲気の中、めいめい談笑をしつつ、食事が進んでいく。
前菜が済み、スープが配膳された。各々がスプーンを手にし、スープを口に含めた時、事件は起こった。
「うっ! ゲホゲホゲホッ!」
クリスティーナは突然、盛大にむせこみ始めた。
「あら、はしたないですわ。どうなさったのですか、クリスティーナ様?」
アリツェは何食わぬ顔でクリスティーナをたしなめる。クリスティーナがむせたのは、当然アリツェが仕掛けた胡椒爆弾のためだ。
「ま、まさかあんた!? ちょっと、いったいなんてことしてくれるのよ!」
アリツェの様子にピンとくるものがあったのだろう、クリスティーナは怒りだし、アリツェを怒鳴りつけた。
「ふふっ、何のお話ですの? お食事時にみっともない真似はおよしになられた方がよろしいかと、わたくし愚考いたしますわ。皆さま怪訝な顔でクリスティーナ様をご覧になっていらっしゃいますわ」
アリツェは眉一つ動かさず、じっとクリスティーナを見つめた。
「くっ! ふ、ふんっ。今日のところは勘弁してあげるわ」
クリスティーナはたまらず顔を背け、口をナプキンで拭うと、再び食事に戻った。
その日の夕方、アリツェはペスを伴い、精霊術で身を隠しつつクリスティーナの与えられている客室に足を踏み入れた。
「さて、これがクリスティーナ様のバッグですか。……なんだか泥棒のようで、気分が悪いですわね」
アリツェの目の前には、純白の生地に金糸で縁取りがなされた肩掛けのバッグが置かれている。バッグの蓋部分には精霊王の刺繍が施されているので、どうやら精霊教会からの支給品のようだった。
(別に本当に盗むわけじゃない。気にするな)
悠太はクリスティーナのバッグを目立たないところに隠すよう、アリツェに指示を出していた。
「そうはおっしゃいますが、悠太様……」
本人のいないところで持ち物を勝手に持ち出す行為に、アリツェはどうしても抵抗感があった。
(っとまずい、人が来そうだ。とっととやっちまうぞ)
アリツェの葛藤をよそに、悠太は急かす。
「あぁ、こんなことに精霊術――今は、魔術ですか――、を使うだなんて……」
貴重な精霊術をバカげた真似に使う愚かさに、めまいを覚える。
(よしよし、うまくいったな。探しているぞ、クリスティーナの奴)
悠太は声を弾ませた。
「ちょっと、私のバッグはどこっ! 確かにここにしまっておいたはずなのに!」
部屋に戻ったクリスティーナは、自分のバッグが見当たらず、きょろきょろと周囲を漁っている。
とその時、一匹の猫がクリスティーナの傍にやってきて鳴いた。
「え? なに? 霊素を感じる?」
クリスティーナは動きを止め、きょとんとした表情を浮かべている。
(げ、やばい! 精霊術で仕組んだのが、相手の使い魔にバレたぞ!)
悠太はその様子を見て、慌てたような声を上げた。
どうやらあの猫はクリスティーナの使い魔のようだ。
(ちょ、悠太様! クリスティーナ様がこちらに向かって来ますわ!)
使い魔の猫に導かれ、クリスティーナがアリツェの潜伏している部屋の隅に向かってきた。
(こりゃ下手に小細工しない方がいいな。三十六計逃げるに如かずだ)
(まったく! 悠太様の言いなりにするんじゃありませんでしたわ!)
悠太の言うがまま、アリツェはその場をそそくさと退散した。
「逃げられたわ! まったく、あのちんちくりん、いったい何のつもりかしら!」
背後でクリスティーナの怒号が響いた。
「……それにしても、これを見つけられなくて幸いだったわ」
(何か見られたくないものでもあったのでしょうか?)
アリツェはクリスティーナが最後につぶやいた言葉が気になった。バッグに何かやましいものでも隠していたのだろうか。
(さてね。まぁ、いったんこの場は離れよう)
いずれにしても今は状況が悪かった。悠太の言うように、アリツェはクリスティーナの部屋から足早に逃げ出した。
「アリツェめ、許せない! クリスティーナ様に嫌がらせだなんて、性格が悪いにもほどがある!」
逃げ出す途中、廊下の片隅で聞き慣れた声を聞いた。
(おい、あれアレシュじゃないか?)
悠太が声のする方に意識を向けた。アリツェも声の方向へ視線を向けると、ドミニクの弟、アレシュ王子が物陰からクリスティーナの部屋の様子をうかがっていた。
(はぁぁー、なんでこうも次から次と困った方が現れるのでしょうか)
クリスティーナを随分と気に入っていた様子だったが、まさか部屋を盗み見するほどとは思わなかった。
「クリスティーナ様、ボクが絶対に、あの性悪女から守って見せます!」
アレシュはぐっとこぶしを握り締め、力強く声を上げた。
(目を輝かせながら何やら宣言しているぞ、あいつ)
悠太は呆れた声でつぶやく。
(邪魔をされなければいいのですが……)
ああいった手合いは、自分の思い込みで突っ走る傾向があるとアリツェは思っている。計画を妨害されやしないかと、一抹の不安がよぎった。