2 ドミニクの愛が重いですわ(嬉しいですけれど!)
翌日、アリツェはドミニクと話し合いを持った。悠太の提案を踏まえて、ドミニクがどのような反応をするかを知りたかったからだ。
「アリツェ、待っていたよ! 昨日のアリツェは、本当に美しかった。神話の女神もかくやといった雰囲気で、君が婚約者だなんて、ボクは本当に幸運だ」
ドミニクはぱあっと笑顔を浮かべ、両手を広げてアリツェを部屋に迎えた。
(……どうしましょうか。本当に悠太様の提案の件、ドミニクに話すべきでしょうか……)
アリツェはドミニクの屈託のない笑顔を見て躊躇した。
「どうしたんだい、アリツェ。なんだか浮かない表情をしているね。さすがに連日の準備で疲れが出たのかな?」
押し黙るアリツェを見てドミニクは誤解したのか、気づかうような視線を向けた。
「あ、いえ……。そういうわけではないのです、ドミニク」
アリツェは頭を振った。
「実はドミニクに、一つ聞いておきたい件がありまして」
意を決して、アリツェはドミニクに問いかけようとした。
「なんだろう。可愛いアリツェからの質問なら、何だって答えるさ」
ドミニクはさっとアリツェの傍により、アリツェの頭を軽くポンポンと叩いた。
「あ……、ドミニクったら、いけませんわ」
アリツェはかっと顔が熱くなるのを感じる。せっかく抱いた決心が、鈍っていった。
「ふふふ、いいじゃないか」
ドミニクは微笑を浮かべ、そのままアリツェの頭をなでる。
(あぁ、この甘美な気持ちに流されそうになりますわ……。でも、わたくしは辺境伯家令嬢なんですもの。悠太様のおっしゃるとおり、責任は果たさねばなりませんわ!)
「怒らないで聞いてくださる?」
ドミニクになでられつつ、アリツェは上目遣いでドミニクを見つめた。
「ん? なんで怒る必要があるんだい?」
ドミニクは首をかしげ、今度はアリツェを胸元まで引き寄せてギュッと抱いた。
「あっ……」
(ああ、もうっ! ドミニクったらいちいちわたくしを惑わせようとしないでくださいませ!)
ドミニクの行動にアリツェの思考はたびたび乱され、一向に本題に入れなかった。だが、ここであきらめるわけにもいかない。
「あの……、クリスティーナ様の一件、お引き受けなさった方がよろしいのではと、わたくしが申しあげたら、ドミニクはどうされますか?」
アリツェはどうにか言葉を絞り出した。
「はっはっは! アリツェも冗談がうまくなったね。そんな世迷言を言うなんて」
ドミニクは豪快に笑い飛ばした。
「いえ、少し気になりまして……。フェイシア王国としては、ヤゲル王国とより親密になれるクリスティーナ様の提案をお受けした方が、いいのではないかとふと思いま――」
「アリツェ……、何をバカな話をするんだい。ボクが君以外の女性と一緒になるだなんて、ありえないよ!」
アリツェの言葉を遮り、ドミニクは声を張り上げた。そして、抱きとめている腕の力をより一層強める。
「あっ、ドミニク、そんなに強く抱きしめないでくださいませ!」
アリツェは身動きが取れず、抗議の声を上げた。
「いや、ダメだね。そんないけないことを口走るようなアリツェには、お仕置きだ!」
ドミニクはいたずらっぽい笑みを浮かべ、アリツェの額や頬に口をつけだした。
(ああああああ! ドミニク、どうしてわたくしをこうも堕落させようとするのですか!)
アリツェはもう、正常な思考ができなくなっていた。ドミニクのなすがままに流される。
「ボクは絶対に君との婚約は破棄しない。だから、そんなに不安に思うことはないよ。安心して」
「あぁ、ドミニむぅっ――」
ドミニクはそのまま、これ以上アリツェにしゃべらすまいと、唇で唇をふさいだ。
(あわあわあわ、ドミニクと口づけをしてしまいましたわ!)
それからの記憶が、アリツェはあいまいだった。気づいたら自室に戻り、ベッドに横たわっていた。
(こりゃ駄目だな、アリツェ)
悠太が呆れた声を上げた。
「申し訳ございませんわ、悠太様」
アリツェは返す言葉もなく、うなだれた。
(いや、ありゃ相手の方が一枚上手だ。篭絡されたアリツェを責められない。オレも、なんだか……。いや、なんでもない)
またも悠太は妙なタイミングで言葉を濁した。
「? とにかく、ドミニクから婚約を破棄するつもりはまったくないとわかりましたわ。わたくしとしては、とても喜ばしいのですが」
アリツェはおやっと思ったものの、今は先ほどのドミニクとの痴態があまりにも恥ずかしく、悠太を問い詰められなかった。ただ、その痴態の結果として、ドミニクにアリツェを捨てる選択肢がまったく無いとわかった。アリツェは溺愛されているとの実感があった。
(ただ、現状のままだとまずいよなぁ。ラディムや優里菜にも相談するか?)
「あまり周囲を巻き込みたくはありませんわ。これは、わたくしとドミニク、クリスティーナ様の間の話ですわ」
恋愛話を兄とするのも、なんだか気が引けた。
(うーん、いっそアリツェが、ドミニクに嫌われるようにふるまうっていうのはどうだろう?)
「えっ……、それは……」
悠太の言葉に、アリツェはぎょっと目をむいた。
(アリツェにはつらいかもしれないけれど、オレたちが泥をかぶらないと、フェイシア王国とヤゲル王国のためにならないよ)
貴族としての義務はわかる。しかし、理解したからと言って、必ずしもそのとおりに行動ができるとは限らない。
「でも、さすがにわたくしからドミニクに嫌われるような態度をとるだなんて、そんな……」
アリツェの心は拒絶をする。初めて深く愛した異性に対して、自ら嫌われるように行動をするなんて、実行できるとは到底思えなかった。
(うーん……。ドミニク本人に対して嫌悪を掻き立てるような行動が難しいならば、周囲にするしかないか)
アリツェの不安を察し、悠太は別の案を考えはじめた。
「と申しますと? もしかして、クリスティーナ様に何か?」
悠太の『周囲にする』という言葉を受け、アリツェはパッとクリスティーナの姿が脳裏に浮かんだ。
(それも含めて、だね。クリスティーナには個人的に嫌がらせをする。アリツェとドミニクとの結婚を望んでいるフェイシア王国上層部には、アリツェに失望するような何らかの問題を起こす)
悠太は二段構えの作戦を提案した。
「やはり、やらなければなりませんか?」
気が進まないアリツェは、不満の声を漏らした。
(アリツェ、自分を殺すんだ。君は恋愛結婚に夢を見てはだめだ)
悠太は厳しい声でアリツェを諭す。
「……本当に、これでよいのでしょうか」
アリツェはそれでも納得しきれず、頭を振った。
(アリツェ、君は今から、悪役令嬢になるんだぞ)
悪役令嬢……。プリンツ子爵領にいた時から、悠太がたびたび口にしていた言葉だ。この悪役令嬢という存在を参考に、自身の言葉遣いを決めていると悠太は言っていた。
まさかアリツェ自身が、この悪役令嬢を務めることになろうとは、まったく想像していなかった。
「もう少し、考えさせてくださいませ……」
アリツェはうなだれながらつぶやいた。